娘が大学生のとき周りの同期がこの作品に盛り上がって「学内でかなりヒットしている」とかつて聞いたことがある。もちろん娘も見に行ったが「表現の上で画期的」という印象を受けたようだった。そういう自分は当時見ずじまいのままでいた。
この間、高畑勲展に行ってみたら娘のかつての話が何となく腑に落ちた。高畑勲の年譜を見ると本作製作当時、氏は娘の大学で講義を受け持っていたようだ。娘は学科こそ違うがじわじわと噂や評価が学内に漂ってきたのだろう。
本作かなり昔から企画があって、まとまりかけては先延ばしになった末にようやく結実した作品と理解している。。日本最古の物語と言われる竹取物語を現代に甦らせるにあたり高畑勲はそこで何を訴えようとしたのだろう。ある意味、原作は潤色が命とも言える題材と言えるかもしれない。私は、「全ての生きものたちが自然の中に息づき、四季の移り変わりを愛でたり、厳しさに耐えたりできる地球という星が存在することの尊さ、愛おしさ」のように受け止めた。
なぜそう感じたかと言えば、自分にとっても画期的とも言える水彩画のような一枚の美しい絵が何の違和感もなく動き出したようなタッチに魅せられたことが大きい。絵にさりげなく優しさや温かさが込められていて愛おしさを感じる。加えて物語では、かぐや姫が都会の人間たちの欲や浅薄な考えに失望しながらも、厳しい自然の中で生きる人間たちに心を奪われたためとも言えよう。
このところ、漫画家やアニメーション作家にスポットを当てた企画展が目白押しだ。会場内には、日本人ばかりでなく外国からのお客様もかなり多く日本の漫画文化の人気を目の当たりにする。実写同様、それ以上にアニメーションは実験可能な分野であることは間違いない。この辺りでも『かぐや姫の物語』は大きく貢献していると思う。