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冒頭、DIDのワークショップ中の暗闇での「変化を受けとめるのは難しい」という台詞の余韻に引きずられて、主人公テオ40歳、広告代理店に勤めるイタリア男即ちプレイボーイの絶好調ぶりを眺めてしまっていた。枕に話しかけるかわいそうな女ことエマとの結末は、これがベストだったのか、傍観者にわかるはずもなく。美術が素晴らしく、特に恋人、愛人、自宅、エマ、各々の寝室に、テオとの距離感が描かれていた。テオの父親の墓地や、デートで訪れた森などのロケーションも美しい。
ドローンを使った冒頭から、天地がひっくり返る後半のシーンなど、饒舌なカメラワークだ。廃墟の鉄骨が窓のように、ベイルートの美しい海を“中東のパリ”と名高い街並みを切り取り、世界の分断を見せつける。音も意味深だ。瓦礫を踏み進む戦車の音と建設現場のコンクリートを砕く音が重なり合い、破壊と建設の境界線が混沌としていく。さらにシリア人労働者が語る記憶。セメントの味にはよるべない人の匂いが漂う。イメージとサウンドと物語が三位一体となって創られた新しい映画。
ラストシーンが好きだった。夫の運転するタクシーの後部座席に座るヒロインの表情がとても美しく“終わりよければ”という気持ちに。最初のタクシーシーンから、セックスを含む排泄をメタファーに、羞恥心にまつわるフレッシュな物語を期待したのだが、素朴というより相手を思いやれない未熟な人たちの、漂うような展開に、観る側の気持ちは沈んでいった。子供たちの視点が定まらないのは、母親や父親たちの個性が強すぎるから? 監督こだわりのホアン・ゴク・ダイの音楽が印象的。
20年前の人気舞台の映画化だそうだが、雪の中のニューヨークをはじめ、ベトナムの回想シーンなど、素敵なロケーション(涙のラストシーン)が作品の世界観を豊かにする。さらに主人公トゥーを演じた喜劇役者ホアイ・リンの陽気さが、作品世界を明るく照らす。長年の名コンビ、チー・タイとの丁々発止も楽しいが、アメリカ育ちの孫娘タムとのやりとりは見応えたっぷり! 家族ならではの、激しい言葉の応酬の中に、そこはかとない郷愁や絶妙な温もりを感じさせる。リンの本領発揮である。
気取り屋プレイボーイと盲目女性。他愛ないイタリア式恋愛喜劇で、もっと辛口の採点でいいのかもしれない。そもそもなぜこの男が好きでもない女性とさっさと別れないのか、金持ちだかららしいが、あまり上等なシナリオではない。しかし、何やら捨てがたい魅力を持つ作品だ。それは盲目女性役のV・ゴリノとプレイボーイ役のA・ジャンニーニなど、キャスト陣が放つ薫り高さに依るところが大きい。イタリア映画は時として役者の芸達者ぶりだけで逃げ切ってしまう。これはずるい。
およそドキュメンタリーらしい自然さを欠いた、峻厳たるシネエッセーに瞠目させられた。シネエッセーと言えど、誰も一言も言葉を発しない。誰かの回想記が申し訳程度にボイスオフで読み上げられる。内戦からの復興で建築ラッシュに沸くベイルートの景観は、シリア人出稼ぎ労働者には空々しい。彼らの視界は地下からの仰角と高層階からの俯瞰に狭められている。なんという過激な作品だろう。だからこそラストの車載カメラによる回転がこれほど痛切かつ感動的なものとして映るのだ。
初夜にして自分の結婚が失敗であることを悟った新妻の彷徨が、ベトナムの首都ハノイのたっぷりと湿り気を含んで重く撓んだ画面にヌルリと足跡を付けていく。主人公がたびたび立ち寄る小説家の親友の書斎が秀逸。この親友は絶えず身体の具合が悪く、何を考えているか分からない。しかしこの女性の思惑通りに事態は悪化していくのであって、主人公の新妻は小説内の登場人物のように親友の手の平の上にいる。自覚されざるマゾヒズム。この無自覚さの戯れにひたすら酔いしれた。
舞台作品の映画化の拙いパターンに陥っている。各シーンはほぼ板付きで、人物同士の会話を自覚を欠いたカットバックで交互に写し出す。故郷喪失者の嘆き、亡き妻への思慕という主題はいいとしても、問題は、それらがただ心情告白やら日記の読み聞かせやらという形式で、映画的工夫も施さないまま、そして二項対立の図式性に依拠したまま持続することだ。とはいえ、さすがに地元ベトナムでの回想シーンはきれいに撮れており、一定のアクセントになっている。
女から女へと渡り歩く男がいて、その仕事が広告代理店。もういかにも軽佻浮薄の風情。だけど盲目の女性と知り合い、その恋だけは本気となっていく。彼女が、障害があってもキッチリ自立していて、そこに哀れや弱さが微塵もないのが凄くよくて。これをふくらませ、血を通わせたV・ゴリノが魅力的。対する男性像はぬるい。夫を亡くしたばかりの母親に慰めの言葉もかけず、その胸でさめざめと泣く。このマザコンぶりに男の弱さを投影したつもりだろうが。大人を甘やかしちゃいけねえ。
紛争、破壊、建設。ほとんどの中東の国々はその繰り返しだという。それで原題が「セメントの味」。瓦礫に埋まった人間の舌に、ざわりと残った恐怖の味。そのセメントは高層ビル工事現場の生命となって、そこで働く人間たちの糧ともなる。シリア人移民・難民労働者が日中は空に飛翔し、夜は地下へと潜っていく。この往復の日常が、破壊と建設、その循環の歴史を連想させ。言葉は少ない。キャメラが鋭い。映像感覚と音響で、そこにいるシリア人の若者の内面を描く。ひりひりと美しく。
T・A・ユン以外は大衆娯楽ばかりだと思っていたベトナム映画。ところがこれは純文学というかアートをやっていて。新婚の女性が、初対面の男に惹かれて別世界へと導かれていく。夫は夫で日々の仕事をこなしながら、非日常の体験を。夫婦の衝突はない。お互いはお互い。そんな二人の気持ちが、題名通りのふわふわした感覚で描かれて。その浮遊感にこちらも身を任せる。ちと人物描写が浅い気が。気分だけの映画という印象も。が、この監督と脚本家の才気はどこか期待でき、☆オマケ。
在米ベトナム人家族の話。もうそれだけで身を乗り出した。祖父はボートピープルの苦難を経て、今ここにいる。もはやアメリカ人そのものの孫娘と、口論が絶えない。真ん中にいる父親は生活に追われ心に余裕がない。舞台劇の映画化。少し台詞が説明的。だけど祖父が親友と語り合う青春の追憶。その故郷の風景の瑞々しさ。監督は在米2世。それゆえか、昔のベトナムに対する憧れが匂う。ただ、あの戦争のことがさらりとしか描かれないのが気になって。そこは未だふれたくない傷なのか。