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MOST BEAUTIFUL ISLANDモースト・ビューティフル・アイランド/li> ©©2017 Palomo Films LLC All Rights Reserved.
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マチルドにとっての母とは、愛か、呪いか? ラストダンスの解釈に悩む。清めの雨を全身に浴び、笑顔に変わってゆく様を見ていると、母娘の美しい和解と捉えるべきだが、奔放すぎる母への怒りを珍しく露にした(梟も驚くほどの!)クリスマスの翌朝の「命令ゲーム」で垣間見た、少女が内面に抱える激しいものも感じたりして。冒頭の、向かうところ敵だらけ、といった風情で周囲を威嚇し、世間から母親を守ろうとした彼女のそばに梟がいたことは救いだが、9歳のさびしんぼうは淋しい。
可能性をつかみに来た昔と可能性に疲れた今、歪んだ欲望を金で満たすセレブと恐怖に怯えて直立する不法移民、最も美しい島と人間の尊厳を貶めるアンダーグラウンド……。大都会ニューヨークの、単純すぎる対立構造が重ねられるが、真の闇は地下ではなく、バスタブにゴキブリが侵入しても呆然としたままの主人公の日常にあるのでは? 冒頭で主人公が故郷に帰れぬ深刻な事情が明かされるが、命の代償に得た金で彼女が買ったものの儚さ(生意気な子供の顔がちらつくとはいえ)に震撼。
歌って踊って、大いに笑って泣いて、盛り沢山な、ザッツ・マサラムービーである。主人公パワンのバカがつくほどの正直ぶりは、人気俳優サルマン・カーンの魅力もあいまって、壮大な物語の中でだんだんと心揺さぶられていくのだが、喋れない迷子の少女シャヒーダー(オーディションで、5000人の中から選ばれたハルシャーリー・マルホートラ)の、アンニュイなかわいらしさに反する、手癖の悪さはいかがなものか? そんな些末なことが気になるのは単に観る側の狭量さゆえかも知れないが。
女性兵士のリーダー、バハールは「敵(IS)が殺したのは、恐怖心」だと言う。夫を殺され子供を奪われ、性的奴隷としてたらい回しにされ、全てを失った女たちは「女に殺されると天国に行けない」と信じるIS戦闘員たちの恐怖心を逆手に取り、男たち以上に大胆に戦う。全てを失ったと言いながらも、彼女たちが戦う理由には、戦闘訓練を強いられる子供の奪還がある。生きるとは、かくも哀しい。事実を語り伝えることで戦う、もうひとりの女戦士、戦争記者マチルドの存在が効いている。
長篇デビュー作「私を忘れて」(日本未公開94)が素晴らしかったルヴォフスキーの新作は、フクロウとの対話、オフィーリアの水死体イメージに仮託しつつ、孤独な少女の悪戦苦闘と空想世界が乱反射する。監督本人の演じる精神が崩壊する母親は絶品で、母の奇行に対する少女の無力が痛々しい。溢れるほど愛に包まれているのに、母子関係はなす術もなく解体されていく。後半で少女が腹立ちまぎれに自宅カーテンに蠟燭の火を点けるシーンは、トリュフォー映画のように鮮烈で切ない。
NY秘密クラブの恐怖の一夜に、「アイズ・ワイド・シャット」(99)を思い出さない映画ファンはいないだろう。キューブリックの遺作をもっとミニマルに切り詰め、監督自ら演じる移民女性の視点だけが世界のすべてとなる。この視点の狭まりは一定の成果を得ていると思う。欲を言えば、シチュエーションだけでなく背景をもっと強めに出してもよかった。どうやら彼女は母国で我が子を失った悲運を持つことが匂わされる。この背景をもっと物語に絡ませたかった。
インド映画の長尺を云々するのはお門違いだが、内容から言って159分は長い。釈迦に説法ながら100分に編集し直したらもっと良くなるのではないか。口の利けない迷子の少女は6歳。しかし自分の住んでいた村の名前くらいは書けないものか。世界中の幼稚園児が英語を学んだりしている時代なのだから。しかしそれを言い出すと、本作の成り立ちそのものが崩れてしまう。ここは印パの国境対立が話をややこしくし、サスペンスを持続させる点を受け止めて楽しむべきなのだろう。
対ISレジスタンス女性部隊の隊長バハールを演じたG・ファラハニの顔がとにかく素晴らしい。愁いを帯びつつも確固とした意志の力を宿らせたまなざし。女性たちの尊厳を取り戻す戦いという絞り込みがテーマ主義に流れてはいるが、作品に明確な訴求力をもたらしてもいるのも事実。戦う側と報道する側、女と男、支配者と解放者、恐怖と勇気など、いくつもの二文法が図式的に配置された本作を評するのは難しい。でもそれらの最上位に君臨するのがファラハニの顔なのだ。
情緒不安定の母を、9才の娘が面倒を見ている。どちらが親だか分からない。というよりこの家庭には大人が存在しない。少女は子どものままで生きている。だから自由だ。思うがままにフクロウとも会話する。時々トラブルもあるけど、自分の判断で解決していく。彼女は世界から自立している。父が疎遠の理由が不明瞭だとか、演出が少し近視眼的という不満はある。だけど池に沈んだ夢見る乙女が、ある日息苦しくなって飛び出した。それが現実の人生のはじまり――というところが切なく。
米国で不法移民として生きる。そのギリギリの暮らしが生の実感で描かれて。1ドル、1セントをどう稼ぐか。食べるためには何でもしなければ。見ていて息苦しくなる。その果てに地下世界に辿り着いた。怖い。飾り気のない、ドキュメンタルなタッチがここで効いてくる。スペイン出身の女優が自ら監督。これは私にしか描けないという覚悟の一作。けど、だったらもっとの欲も出て。この先また金に困って、あそこに戻って溺れての人間のもがきを。起承転結の承で終わった食い足りなさが。
迷子になった少女を気のいいオッサンが面倒を見る。よくある設定。展開はご都合よすぎるし、泣かせ笑わせの描写は泥臭くしつこい。相変わらずのインド映画だと思いつつ引きこまれていくのは、そこに娯楽映画、その根本の精神があるからか。歌舞場面が香辛料のようにピリリと効いて、役者連もいい味を出して。それよりも少女が口を利けない。その沈黙が言語や宗教や国境を超越して人間同士を結びつけた。それを誰にでも分かるスタイルで描いて。あ、これ、社会派の説法映画なんだと。
まさに今、言わなければ描かなければという熱情にあふれ。ISに夫を殺された。子どもを拉致された。性暴力の被害にあった。泣く、嘆く。それじゃ何もはじまらない。立ち上がる。これは女たちの戦争映画だ。だけど男たちのそれと違うのは、戦闘時の顔が悲しげなこと。国境で立ったまま出産するという壮絶な場面には、これこそが女の闘いであり強さであることを匂わせる。主人公の隊長と戦場ジャーナリストのわが子への想い。それが重なり、最後の幻想となって。切ない。怒りが沸々と。