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もはやポリスとかあまり関係なく、ハリウッドSFアクションやアメコミヒーロー映画の大好きな要素を監督がつなぎ合わせたみたいな世界で、もしかしたら珍品に属するのかもしれないが、話自体は人情ポイントを押さえてまあまあちゃんとしている。搾取映画みたいな撮り方をしているところをはじめとして、個人的にはどうかと思う演出もあるけれど、ジャッキーにこれだけからだを張られたのでは星の数は減らせない。オペラハウスの内部と外部を両方とも使い倒したシークエンスが出色。
時代設定が謎すぎるところへ、ハリウッドのロシアファンタジーまでもが流れこみ、どこかで見たようなお話にお定まりのキャラクターがちりばめられて、これはもう美しい絵本をぼんやり眺めるような気持ちで観るしかないのかと思ったが、ボールみたいな形の道化が登場するあたりから、劇的な緊張関係とヴィジュアルの美しさがかみ合ってようやく面白くなる。果敢にアクションに挑戦するヘレン・ミレン姐さんにびっくり。最後のクレジットの背景に流れる映像はたぶんバレエファン必見。
屋敷のなかで怪現象が続発するホラー映画かと思ったら、家族の心理のもつれを覗きこむかのような、これまたサイコスリラーの趣き。終盤の展開をどう見るかで評価が分かれそうだが、何が事実かわからなくなっていく中盤の展開が面白く、ドールハウスのイメージが強調されるのも、エンドロールにあの曲が流れるのも、たぶんそういうことなのだろう。どの画面にも異様な吸引力があり、奥行きを強調した構図の魅力を生かすべく、(シネスコではなく)ビスタの画面を選択しているのも賢明。
どの部分がメインタイトルなのかわからない日本語題名が足を引っぱらなければいいが、作品自体は、クリスマス映画の定番に仲間入りしそうな粋な出来映え。派手な視覚効果に頼らず現実と非現実を混在させる演出が、シンプルでとてもスマート。役に恵まれていない感のあったD・スティーヴンスが、文壇の若きスーパースター役にぴたりとはまり、プラマーがスクルージをユーモアをもって演じているのもいい。しかしわれわれの世界は、19世紀ロンドンへと逆戻りしているのではあるまいか。
ジャッキーが新人監督レオ・チャンと組み、いつものシリーズとは雰囲気が別だ。冒頭、白血病で危篤の娘を病院に残したまま、遺伝学者の警護作戦に駆り出されたジャッキーが派手なアクションを展開。事件は決着するのだが、それから13年後、事件と酷似した小説の発表がもとで事件が再燃するという構成には驚く。物語が生化学兵器や人工血液という近未来の分野から古い黒魔術の世界に及ぶので、流れに乗るまで落ち着かない。シドニーのオペラハウスでのジャッキーのアクションは健在。
可愛い主人公クララ(マッケンジー・フォイ好演)が科学と機械が大好きな少女だという話なので、全篇、カラクリと仕掛けが楽しめる作品。オモチャの兵隊やネズミの大群の動きも面白い。ラッセ・ハルストレムとジョー・ジョンストンの演出はキーラ・ナイトレイやモーガン・フリーマン、ヘレン・ミレンそれぞれに見せ場を作って、贅沢な感じを与える。音楽は「ファンタジア」以来の伝統を受け継ぎ、劇中で挿入される舞台の踊りもみごとでディズニー映画のよさを発揮しているとおもった。
ハリウッドのジャンル映画かと思って見ていると、新人監督アリ・アスターのホラーの語りくちは調子がちがう。美術デザインはデリケートにできているのだけれど、カメラの位置が不安定で落ち着かない。それは、崩壊していく家族の気持ちを表現するのにはマッチしているので、不幸な家族を描く私小説の映画化だと考えたほうがいいかもしれない。監督自身、自分の一家の出来事をホラーに仕立てたと言っているのだから、その狙いが作品内容を分裂させて、混乱を招いたのかもしれない。
「クリスマス・キャロル」の誕生秘話だが、佳作「赤毛のアン」の脚本家スーザン・コインの書いた、現実と幻想が入り混じる構成がいい。岩波文庫『炉辺のこほろぎ』の本多顕彰の序文では、ディケンズは俳優志望で人前での朗読が大好きな人間だということだから、ダン・スティーヴンスのオーバーでやる気満々の演技もぴったりだろう。金銭の感覚がいいかげんな現実の父ジョン(ジョナサン・プライス)と物語上の人物スクルージ(クリストファー・プラマー)との微妙な関係もいい。
人工の心臓や血液がネタとして飛び出し、舞台が2020年と再来年のわりには悪玉が「スター・ウォーズ」のスター・デストロイヤーみたいな超ハイテクの飛行戦艦に乗って移動したりと、やたらとSF寄りで話もわかったようなわからないような……。だが、キビキビとした語り口と派手な銃撃戦とジャッキー風アクションの巧みな融合が利いていて、「ポリス・ストーリー」とは別物と考えればそこそこの美味しさでいただける。それでも、この内容であの主題歌が流れるのには違和感。
大方の部分をラッセ・ハルストレムが手掛けるも、撮影の終盤をジョー・ジョンストンが引き継いで完成。なにやらトラブルがあったかどうかは我々の与り知らぬところだが、なんだか投げやりな雰囲気が全篇を覆っているのは確か。物語のフックになるはずである、ヒロインの亡き母が想像した王国、その摂政たちとの関わりなどがボンヤリとしか語られないので、クライマックスもさして盛り上がらず。マッケンジー・フォイの嘘みたいな美貌とスチーム・パンク風な王国の風景には見入った。
家族を襲った悲劇を再現したミニチュアとドール・ハウス、街で擦れ違ったら思わず振り返ってしまいそうな娘役ミリー・シャピロの独特すぎる風貌、なんだか虫唾の走る音楽と、ストーリーうんぬんの前にそちらに震えてしまうタイプのホラー。雰囲気だけと言ってしまえばそれまでだが、イヤ~な感じは観終わった後もしばらく抜けない。だが、最も刺さったのは、ある事件を契機に壊れていく家族の姿だったりする。顔など合わせたくないのに離れられない、家族のしがらみが辛くて怖い。
幽霊たちの導きにより、ひねくれまくった自己を見つめ直す『クリスマス・キャロル』の主人公スクルージ。原作者のディケンズ自身が、同作のようにスクルージとの対面を経てあれこれ逡巡するというメタ的なプロットはユニークだと思う。だが、呑気にも程がある父親と彼のせいで味わった苦労の辛さはなんだか表面的に描かれている。そして、そのわりにスクルージとの対峙は「スター・ウォーズ」におけるダース・ベイダーとルークのように大袈裟にするのでなんだかチグハグしてしまう。