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1992年のソ連邦崩壊から約四半世紀が経った。それゆえ、本作に映りこむ小道具の数々も懐かしく感じられる。宇宙ステーションから帰れないソ連の宇宙飛行士と、それを勇気づけるキューバの無線愛好家を、宇宙と地上のカットバックで描く本作。ウィンドウズの入ったパソコンも携帯電話も、一般的ではない時代。無線機や黒電話、クラシカルなコンピュータや8ミリ映写機のような小道具が、現代文明に取り残されたキューバの光景と相まって、不思議なユートピア性を醸しだしている。
プロの映画俳優が燃えるタイプの作品なのだろう。でなければ、キアヌ・リーヴスとウィノナ・ライダーという主演のふたりの組み合わせも、ふたりの会話だけで進行するという実験的な作劇も実現しなかったにちがいない。空港や小さな飛行機の客席、カリフォルニアの田舎にあるワイナリーや披露宴の席など、舞台は移り変わるが、ふたりのシニックで毒舌なコントのやり取りが見どころ。仕組まれたカップリングと知りつつ、目前の恋愛に溺れるしかない中年男女の姿は悲しくもおかしい。
タイでムエタイの試合を観たことがある。生ビールを飲みながら10歳前後の子どもの殴り合いを観戦し、大人たちは賭博に興じる。ムエタイは貧困層の少年が成功を摑めるチャンスの場だが、本作はタイで麻薬中毒に堕ちたイギリス人が這い上がる実話である。とにかく先進国の常識ではありえない、リンチあり、レイプあり、賄賂あり、タトゥーありの刑務所の描写がすさまじ過ぎる。タイに入国するすべての外国人にこの映画の鑑賞を義務づければ、大抵の犯罪行為は撲滅できるだろう。
サウジアラビアでマンスール監督が撮った「少女は自転車にのって」の少女は、自転車を買うため、女性の権利を制限する慣習を乗り越えていった。200年前のイギリスを舞台にした本作もまた、時代や舞台は異なれども、16歳のメアリーが男性中心社会と相克していく。詩人のシェリーと駆け落ちした少女が、若くして不倫や貧困や妊娠、バイロンとの出会いなど劇的な人生を歩む。小説『フランケンシュタイン』誕生の秘話というだけでなく、現代に通じる女性の自立が描かれている。
このコメディ、奇想天外だがあり得ないことではない。実際、ソ連崩壊から四半世紀以上が経つ現代、国際宇宙ステーションと地球との有人輸送は、ロシアが一手に担っている。それにしてもインターネットのない時代にキューバとニューヨーク、宇宙の三者間で電波の不安定な無線通信を駆使して飛行士を救うとは、なんとも人間臭く愉快。特にアメリカの象徴的な飲料コカ・コーラを、冷戦時代に敵対していたソ連人宇宙飛行士救出に使う人類愛に奇想天外を飛び越える究極の人本主義を見る。
大勢が集まる結婚式というシチュエイションで、主役の二人だけにしかセリフがない。アイディアは意欲的。この種のドラマの決め手は会話の面白さと俳優の実力だが、邦題が示すとおりの結末が見えていて、K・リーブスにもW・ライダーにも荷が勝ちすぎていたようで、展開はつじつま合わせのまわり道。残念ながらアイディア倒れに。89年にNY初演で、その後幾人もの俳優によって引き継がれている朗読劇『ラヴレターズ』のような形式で、違う配役のバージョンで見たい気もする。
ムエタイに知識も関心もないので競技のことは皆目分からないが、それ以前に全篇を通して画面が暗いうえに、ほぼ全員が半裸で主人公以外はまるでコスチュームみたいにタトゥーなので人物の見分けが困難。よって感情移入ができない。加えて凄まじいバイオレンスの連続で精神的負荷が増し、結局ヘトヘトに。原作者でもある主人公の自伝だそうで、監督のJ=S・ソヴェールは「実話であること、その真実味に惹かれた」と資料にあるが、この実在の人物の何を描きたかったのだろうか。
メアリー・シェリーのこの半生記、『フランケンシュタイン』誕生の話より、むしろメアリーとパーシーのラブストーリーの要素が大。それも二人の恋愛は19世紀の封建的な男性社会を反映。パーシーの身勝手さ横暴さVSメアリー。この点に先ごろ女性の自動車運転が解禁されたが、まだ女性の権利制限があるサウジアラビア初の女性監督だけに、前作「少女は自転車にのって」と共通する眼差しがにじむ。でもファニングが輝くばかりに美しく、この恋愛の通俗ぶりが意外に面白い。
旧ソ連とキューバのハイブリッド的な作風。かつて外交や社会主義の共通項でつながっていた両国はソ連の崩壊によりキューバが深刻な経済危機に。舞台はその頃。監督も俳優陣もキューバ出身だが、宇宙船内の描写やアナログ感あふれるレトロでキッチュな美術(バナナのウォールデコが可愛い!)は旧ソ連製の映画を思わせる雰囲気があり、シュールなSFノリには「不思議惑星キン・ザ・ザ」等に通じるものも感じられ、宇宙を介することで二国の距離感がむしろリアルなものになっている。
キアヌとウィノナによる熟練の悪ふざけを堪能。共に紆余曲折ありつつ、五十代と四十代になった今も独身の二人。共演経験も豊富で、同時代の映画シーンを共有した戦友だからこそ為せる、酸いも甘いも知り尽くした先にある大人の応酬が贅沢。二重アゴも厭わない顔芸剝き出しで文句を言いまくるウィノナ、武井壮ばりにピューマを威嚇するキアヌ、ロマンチックの欠片もないラブシーン……自分を捨てきれないがゆえにザンネン扱いされがちな妙齢男女の恋愛の生態考察としても価値がある。
イギリス人ボクサーがタイの刑務所で受ける逆差別ともいうべき強烈な洗礼。「きみへの距離、1万キロ」で線の細そうなオペレーターを演じていたジョー・コールがムキムキになって暴れ回るが、本物の前科者たちを起用したという囚人衆の中では可愛く見えるほど。言葉の通じない主人公が、体ひとつで成り上がるドラマだけあって、敢えて言語による疎通を排した演出は圧巻。実際にムエタイの試合会場で流れるという、民族音楽風の旋律にのせた終盤のファイトシーンは部族の祭りのようだ。
女性はいまだ社会において不自由な存在だ。19世紀の英国では自分の名前で著作の発表も叶わず、邦訳版も「シェリー夫人」名義の時代があった。女流作家メアリー・シェリーの特異な生い立ちと半生を『フランケンシュタイン』が生まれるビハインドストーリーとして脚色した脚本が素晴らしい。サウジ初の女性監督であるハイファ、若い女性の生きづらさを体現させたら右に出る者はいないエル・ファニングの起用を含め、この物語を今日映画化する製作陣の意図が見事に結実した一本。