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マイケル・ムーア張りの剛腕というよりは、一見飄々とした佇まいは池上彰に似たチェ・スンホ監督。冒頭から突撃取材を試みるも、体よく追い払われるが、どっこい「みんなうまくやってるね、まあいいか」とへこたれない。約9年間にもおよぶ、韓国テレビ局への政治介入の実態を告発した本作の肝は、この粘り強さだろう。終盤、李明博元大統領を直撃した時のスンホ砲は痛烈だ。MBC解雇後も、市民の応援を受けて本作を製作、大ヒットを受け、MBC社長に復帰、という後日談も痛快。
印象的なシーンがあった。スパイ捏造事件の被害者ユ・ウソン兄妹(妹が「1987、ある闘いの真実」のヨニとだぶる)に謝罪する考えはないのか? と直撃取材を受けるウォン・セフン元国家情報院長の、黒い傘の下に隠れた笑顔。中央情報部の拷問で心身を病み、40年以上経った今も痛みに苦しむキム・スンヒョが、久々に再会した同胞を見送る時の真顔。カメラが捕らえた一瞬の真実に背筋が凍った。国家情報院の引き画から、延々と続く冤罪事件リストへの流れにも意志的対比を見た。
没後25年記念に制作されたので、当然ピアソラ本人の回想コメントはないが、きっと本人が見たらいい顔はしないだろうモノも含め、膨大な資料がわかりやすくまとめられている。ピアソラの代わりに、一緒にバンド活動もしていた息子(本作の制作を希望した張本人)が登場するが、海のように偉大で、鮫のように鋭いアーティストたる父に振り回された人生への苦い思いを、訥々と語る姿は哀愁を誘うが、視点がぼやける。人々が行き交う街でカメラが捕らえた「ONE WAY」の標識が心に残る。
戴冠式からマチルダとの恋の回想、再び戴冠式へ紡がれる物語では、ステージ上で衣裳が少しはだけただけで(とは言え十分エロいが)、ニコライ二世の心を奪ったマチルダだったが、やがて渾身の叫び声すら届かなくなった二人の距離感が圧倒的に描かれる。戴冠式後の、ホディンカの原での事故対応、皇后とのキスへの一連のシーンでは、ニコライ二世の、皇帝としての力量(父アレクサンドル三世の列車の脱線事故時との痛烈なる対比!)より、善良さにさりげなくフィーチャーしていて好感。
李明博と朴槿恵、両政権9年間の言論弾圧に抵抗する作者兼主人公たる元MBCプロデューサーを見ているうちに、出口なき墓穴に堕ちていく日本の現状との対比から暗澹たる思いに駆られると同時に、ある奇妙な歓びの感情にも満たされた。なぜかというと、人はここまで闘えるのかという素朴な驚きを再発見するからだ。弾圧に勝利した主人公は昨年12月に約2000日ぶりに職場復帰し、MBCの新社長に選任されたそうだが、そこではまったく別の闘いが待っていることだろう。
作者の自伝的要素と所信表明を兼ねた次作「共犯者たち」に比べると、報道者としての客観性を保って取材にあたる分、画面の緊張感は少ない。脱北した兄妹がスパイ容疑にかけられるが、容疑自体が当局の捏造だとしたら? 民主国家にあるまじき抑圧が蔓延してはいるが、一方でそれを告発し、えぐり出すメディアがあるということ。このグループがこうして映画製作を続行すること自体が民主主義復権の旗色となっている。緊張感の少なさと引換えに得るものはより大きい。
アルゼンチン・タンゴの巨匠A・ピアソラについてのきちんとしたドキュメンタリーがこれまでなかったことは不思議だが、ピアソラの全盛期を知るファンが存命のうちにこうして誕生したことをまずは祝うべし。非公開の写真、スーパー8の私的映像、アーカイブがモンタージュされ、天才の生涯をかりそめながらも再生してくれた。巨匠が死去した90年代前半にピアソラ・ブームが結構盛り上がったことを思い出す。そして今、彼の楽曲を画期的に解釈する演奏者たちが現れんことを願う。
ロシアはすっかり普通の国になったのだと思う。帝政末期の宮廷をひるむことなく優雅な美術セットと共に披露する本作にとって、帝国主義を打倒したソ連映画の記憶はなかったも同然だ。最後の皇帝ニコライ2世とバレリーナの悲恋というM・オフュルス的主題ながら、革命の前兆、時代の端境という視点が乏しいのが惜しい。パラジャーノフ「スラム砦の伝説」、ゲルマン「神々のたそがれ」を手がけたユーリー・クリメンコの撮影をただただ全力で堪能すべき作品なのかもしれない。
政権に楯突く者はどんどん首を切って、TVメディアを牛耳る。解雇されたジャーナリストたちが、デジタルカメラを武器に政府批判の独自報道をする。その闘いの記録がぱきぱきと展開され。ガツンとくるドキュメント。最近、民主化運動を題材にした韓国映画がなぜ増えたのか。その事情も分かる。観ながら、じゃ、日本はどうだと振り返る。原発を告発したTVスタッフが左遷され、安倍政権に批判的なキャスターたちが降板させられ。表面に出ない分、日本の方が陰湿でタチが悪いよな、と。
「共犯者たち」と同じく〝ニュース打破〟の作品。こちらでは北朝鮮スパイを捏造する国家情報院や検事を告発。監督も兼ねるジャーナリストが密着・突撃取材をする様は、M・ムーアの如し。徹底して被害者の側に立った視点はいいが、なぜこんなことが起こるのか、その裏事情も追及してほしく。南北に横たわる、どうしようもない溝。それに対する国民の感情が、時の政権によって利用されてるのではないか。そんな俯瞰の視点も見たかった。それ、韓国の人にとっては自明の理だろうけど。
最後はオーケストラと競演するピアソラだった。タンゴの名手でありながら、クラッシックを夢見ていた。ダンス音楽としてのタンゴに反抗した。楽団はいつも変遷した。これでもない、あれでもないと試行錯誤の連続だった。タンゴでもありクラッシックでもある、新しい音楽を模索していた。彼の音楽をもっと聴きたかった。裏も表もさらけだした彼の人間性。そこを描くのもいい。だけど彼は音楽家だ。もっと演奏場面をと思う。ミュージカルのドラマ部分の如く私生活の描写は控え目にして。
おお、ロシア皇帝と踊子の許されざる恋! なんとクラシカルな。しかもそこに母后、婚約者も絡み、日本の大奥ものの趣きも。撮影・セット・衣裳とどっしりした重みと深みがあって雰囲気もいい。よくないのは演出で、彼女と彼が運命的な出会いをする劇場の場面など、二人の視点が交錯するカットつなぎがチグハグで戸惑う。どうもこの腰が落ち着かない展開は、米メガヒット映画の悪影響では。にしても今ごろニコライ2世に同情的な映画が露国でなぜ作られたんだろ? それが一番の興味。