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アジア系といえばエキゾチシズムをけばけばしく強調された女性や、セックスアピールをまるで持たないものとして扱われる男性を見せられることが、ハリウッド映画では多かったわけだけれど、この映画に登場する男女優は、アジア人観客も憧れるナチュラルなゴージャスさ。「オーシャンズ8」では活躍を抑えられていた感のあるオークワフィナが、本領を発揮して強烈な印象を残す。エンドロールで流れる彼女のラップのほか、劇中で流れる中国語のジャズやポップスも癖になるかっこよさ。
シンプルな発想とごく限られた場だけで、これほどの世界が描き出せるのかという驚き。この題材だから当然だけど、音響設計の丁寧さ。屋外撮影の美しさ。冒頭の悲劇がその後の家族に影を落とすという物語構造の力強さ。エミリー・ブラントの凄さにあらためて圧倒される。「ワンダーストラック」と「サバービコン」でそれぞれ注目された子役ふたりが存在感を発揮するのも見逃せない。特に、耳の聞こえない聡明な姉を演じたミリセント・シモンズが、思春期の鬱屈もにじませて素晴らしい。
日常の延長みたいな舞台設定で、能力者が自分よりもはるかに強力な能力者と出会い、人知れず戦いを繰り広げるという話が大好物なので面白く観た。安楽死のテーマにある程度切りこめているのもよい。謎めいた美しい映像が次々挿入されるのが魅力であり、観客を最後まで引っぱることに寄与するが、こんなに乱発せずに、ここぞというところに取っておいたほうがよかった気も。ホプキンスの演技はさすがだけれど、「羊たちの沈黙」のころの彼だったら、年齢的にもっとぴったりだったのに。
そこがいちばん見たいのにという部分が、最後にあっさりテロップで処理される。言い換えればこの映画は、すでにおなじみの話の前日譚なのだ。描かれるのは、有能で人情もあるけど俗物である男が、愛されない恐怖と戦い、欠けていた理想を手に入れるまでの物語。教養はあるが洗練からはほど遠いLBJを演じるW・ハレルソンがいちいち面白く、後半神妙になるのがむしろ残念なくらい。ケネディ兄弟の造形も興味深く、こうした人物描写の味わいは、アメリカ映画ならではという気がする。
シングルマザーに育てられ、苦労してニューヨーク大学教授になったレイチェル(コンスタンス・ウー)は恋人のニック(ヘンリー・ゴールディング)と彼の故郷シンガポールにやってくるのだが、実はニックが不動産王の御曹司だったというところから、大騒動になる。観光的に美しく撮影されてはいるのだけれど、製作者たちはこの国にシニカルだ。ロケ地もファッションも豪華に見せがら、登場するセレブたちがみんな拝金主義者で、同じアジアの者として、笑いが凍りつく場面もあった。
ホラー映画の表面に子どもが出てくるのはイヤだという人もいるが、ファミリーの人間関係をテーマにしている作品で、子どもの感情など、うまくとらえている。音をたてたら、何かが襲ってくるという恐怖の正体も段階を踏んで怖くなるように仕組まれ、一家が住んでいる場所の荒らされ方が映像として説得力があった。生理的にいたたまれないシーンも、監督とヒロインが夫婦だということで自然に見ていられた。ホラーというジャンルは次々に工夫をこらして、新手を提供してくれるのが楽しい。
アナリスト兼医者の主人公が予知能力のすべてをつくして、連続猟奇殺人事件に挑む知的なサイコスリラーで、「羊たちの沈黙」以来、ハンニバル・レクター博士を演じたアンソニー・ホプキンスにはぴったりの役柄だ。犯人像が複雑なアメリカではFBIにサイコキネシスを利用した捜査もあっていいように脚本は書かれていて、細かい映像モンタージュによりホプキンスの未来予知能力を表現。相対するコリン・ファレルも熱演で、無気味な人間像が一気に語られるのだが、登場が遅すぎる。
日本でもベトナム戦争を泥沼化したとして人気のなかったLBJだが、ロブ・ライナー演出の映画を見ると、価値観が一変してしまう。ケネディの暗殺で即刻、重職を担う運命のジョンソンが抱いた不安感をウディ・ハレルソンがみごとに演じている。さらにロバート・ケネディたち都会的エリート集団が、テキサス出身の「田舎者政治家」をことあるごとにいじめ抜く構図やそれを乗り越えて公民権法を成立させていくジョンソンの政治力もジョーイ・ハートストーンの脚本はよく書きこんでいた。
オール・アジア系スタッフとキャストの本作がアメリカで大ヒットしたことは快挙だし、意義があるし、相当な事件だとも思う。ただし、中身自体は格差愛(その差が途方もないレベルだが)を描いたウェルメイドなラブロマンス。そうした華やかな聖林的作品をアジア人でやってのけたことが痛快なのもわかってはいるが。主人公男女の対比的存在として登場する格差婚夫婦をめぐるドラマもなんだか中途半端。親子役で登場するオークワフィナとケン・チョンは持っていきっぱなしで◎。
〝音鬼〟とでもいうべきか。鬼ごっこ的なルール性はホラーやスリラーを盛り上げる大事な要素。本作のルールは実に単純でわかりやすいだけでなく、どんなに恐ろしくても声を出せないという超絶望的状況までも作り出して巧い。また家族だけの狭い物語ながらも、世界が滅亡状態になっていることをしっかり感じさせる点、ダレなしの90分にまとめた点も見事。短尺ゆえに肝心の出産をめぐるシーンが薄くなっているが。なにかしら声を上げると叩かれる世相を反映した作品と捉えるのも一考。
画面に提示される状況がA・ホプキンスの脳裏に浮かんだ予知なのか、現実に起きていることなのか惑わされてハラハラする瞬間もあるが、随所に挟み込まれるその他の予知イメージが〝しょぼいターセム〟といった感じのものが目立ってなんだか萎えてしまうことが多い。といいつつもホプキンスとC・ファレルが放つ圧はさすがだし、それにつられて最後まで見入ってはしまう。とにもかくにも2018年に観るには時代錯誤に感じられてしまう、90年代サイコ・サスペンス風味の作品だ。
実に教科書的というか、まっとうな伝記映画としかいいようがない作り。しかし、激動にも程がある時期に副大統領になり、ありえない状況下で大統領になったジョンソンのあれこれがスルッと学べてしまうのは確かだ。ただ、これといったフックがドラマにあるわけではなく、それになりそうなゴリゴリの保守派で反公民権派であった彼がリベラル寄りになったという点は、そういう世の動きだったからとしか感じさせるだけで終了してしまう。まぁ、そういう部分も大きかったとは思うが。