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オールロケーションの美しい映像と、映りのいい人物配置や動きを先行させた画面設計が、逆に物語を小粒化しているのがもったいない。とにかくすべてが映像優先、人物やドラマは映像の引き立て役のような扱いで、いくつかある斬り合いの場面も舞踊の振付のよう。どこかにはみ出したような躍動感がほしかった。小泉尭史の脚本も説明台詞が目立ち、固有名詞の連続も誰が誰やら。登場人物が多いわけでもないのに。奥田瑛二の一人悪役も実に安易。あ、でも岡田准一と黒木華の姿勢はいい。
わっ、わっ、解説と解釈と考察と推察などetc.、岡本太郎と〝太陽の塔〟について語る錚々たる方々28人のことばの洪水に押し流され、結局、気が付けば、このドキュメンタリーを観る前と同じ状態に戻っていて。ことばによる情報は次のことばによる情報にすぐとって代わり、また次のことばが……。土偶や土器に関する情報も鮮度不足で、そもそも映像クリエイターだという関根監督の太郎観が見えてこない。他人のことばにおんぶにだっこ、ちょっとヤラセ映像を入れたドキュでした。
吉沢亮も新木優子も20代半ば、もう高校生役は賞味期限ギリギリだと思うが(あ、こういう言いかたはもしかしてセクハラ&パワハラ!?)、需要に応じるのも俳優の仕事、せいぜいお気張り下さいな。と、どーでもいいことを書いてしまうのは、高校生たちが学業そっち退けで、恋と芸能活動でキラキラと張り合うという、少女漫画ファンご用達の夢物語だからで、夢物語にイチャモンをつけてもはじまらない。演出もロケ場所も夢を壊さないよう全てが絵空ごと。これはこれでいいのだ。
台湾のオリジナル版あっての成果だと思うが、主人公たちの会話のリズム、演出のテンポ、カメラの切り取り方も絶妙で、空いっぱいの地方都市の風景も実に心地良い。現代から10年前に戻っての主人公とその仲間たちの青春群像劇で、ここでは青春ドラマにありがちないじめや孤独といった〝負〟の側面がほとんどない。それでも将来への不安など、みな抱えているのだが、仲間とジャレ合ってのアンサンブル演技などもみごと。表裏のない山田裕貴の演技も好ましく、素直に青春を楽しむ。
もう何度かある種の映画好きどうしでその話はしてる。谷垣健治あるいは下村勇二コーディネートの岡田准一VS佐藤健。それが二十一世紀版「無敵のゴッドファーザー ドラゴン世界を征く」の倉田保昭VSブルース・リャン、「殺破狼」のウー・ジンVSドニー・イェン的な達成をしないか、と。本作の岡田氏の動きが久世竜=三船の〝三十郎〟殺陣より「将軍家光の乱心 激突」における千葉ちゃんに近かったのは大きな一歩だ。いや、そもそも女性の描写とか、トータルにいい映画だ、本作。
比較するのもおかしいが本作は先頃公開されたドキュメンタリー(PR映画?)「ピース・ニッポン」(監督中野裕之)の五万倍は良く、観甲斐がある。だがそれだけに本作の編集しすぎ、話者の発言の刻み方は気になった。また、本作と企画のパルコは、岡本太郎が表現し、赤坂憲雄、関野吉晴、Chim↑Pom、西谷修らが語った認識や世界への批判を受け止められているのか。……もっとも本当に爆発してしまえばまとまらないが。切り下げて成立した? と疑い続ける。しかし観られてほしい作品だ。
どれだけキラキラ映画を観るのか、わしら。私の上下にいるお二方から一ページ前のお三方まで皆、どうしても行間に、観終えたハナから忘れてやるぜというか忘れていくぜ、この架空すぎる青春どもを! という思いが立ちのぼっているが、しばしば何かはあり、それを観ているとは思う。本作は吉沢亮がマゾッホ的な位置に置かれている演劇・タレント業界版スーパーマンとしてヒロインに関わるのが面白かった。ちょっとだけ新機軸、可能性ある良いネタ。いつまでこれを覚えていられるか。
かなり原作映画より殺菌されてるが現在邦画界に氾濫する漫画原作キラキラ映画より確実に登場人物たちが生きる世界が広く、心理に綾があり、本作が出た意義は感じる。しかし先日米映画「50回目のファースト・キス」の日本版リメイクを観たときに似た、オリジナルを超え得ない方向性のリメイクと、原典が知られてないことに期待するガラパゴス精神により、釈然としない気分を味わう。役者は好演で、飽かず観たが。〝レ・ミゼラブル〟が「巨人傳」になるようなことをこそ観たい。
正しい行いが、必ずしも人を幸せにするとは限らないという不条理。そんな厳しい現実に左右されることなく四季は巡る。雪が舞い、風が吹き、陽炎燃え、紅葉する山々。そして、冬から春にかけて花期を迎える椿の花。本作は、現代人が何処かに置き忘れてきた「己のためではない美徳」が描かれている。その美意識は、構図における人物配置によって視覚的にも訴求。流布された噂を信じがちな傾向を「今も昔も同じだ」と描くことで、時代劇の体を借りながら現代社会を批判してみせている。
太陽の塔は「20世紀少年」でもモチーフにされていたが、設計者・岡本太郎は誰も想像できなかった未来を〝よげん〟している。〈人類の進歩と調和〉という大阪万博のテーマにあえて異を唱え、やがて科学の進歩が導くであろう未来の危機に対して警鐘を鳴らしていたのだ。彼の創作意図を、本作は21世紀の日本社会と対比させながら考察してみせている。つまり、太陽の塔を描いたドキュメンタリーの姿を借りながら、物言えぬ傾向にある現代の日本社会を批評してみせているのである。
〝ひとときのきらめき〟は、本作の根幹。例えば、代役を演じる主人公、そして、マジックアワー時に電話をかける主人公の姿。彼にとって〝代役〟も〝マジックアワー〟も〝限りあるひととき〟なのである。同時に、叶わぬ恋が成就する予兆として「夜が明け、朝がやってくる」ことが幾度も描かれている。例えば、劇中劇として採用されている『ロミオとジュリエット』。そこでピックアップされているのは、〝夜明け〟のくだりだ。どんな困難があっても「明けない夜はない」のである。
台湾版のギデンズ・コー監督にとって、ヒロインを演じたミシェル・チェンは理想の女性だった。彼はミシェルの大ファンだったからだ。自己体験が基であるがゆえ「自分が本当に大好きな女性でなければない、それが一番のポイントだった」と述懐。つまり“Apple of my eye”という恋慕は、カメラのレンズを通して彼女の姿を見る監督の視線でもあったというわけだ。ちなみに監督は「日本の漫画に大きな影響を受けた」とも述懐。齋藤飛鳥は魅力的だが、本作には、このふたつが存在しない。