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「パディントン」と違ってこちらのクマ(と仲間たち)が縫いぐるみなのは、原作どおりだから何も間違ってはいないのだが、リアルな自然のなかで彼らが動いている光景は、やっぱりシュールで可笑しい。そして後半の展開で、彼らの縫いぐるみっぷりが最大限に生かされるのがなかなか上手い。お話自体に特に目新しさはないが、1950年代の大衆社会の到来が背景になっているのが興味深い。トム・マッカーシーが脚本に参加。音楽を担当するはずだった故ヨハン・ヨハンソンへの献辞あり。
大して面白くもない会話が大して面白くもない演出でだらだら続き、いっこうに事件が始まらないうちはどうなることかと思ったが、生き残り全員が物陰に逃げこんでからはそれなり面白くなる。これまたキャンプ場で若者たちが殺人鬼に襲われる物語の変奏。一個のアイディアだけで勝負しているような映画だが、そこまで血まみれにしなくてもというのも含め、数年後にカルト作品になりそうな予感。キャスト等のチープさは否めないけれど、中心人物を演じた女優二人の今後には期待したい。
製作にワインスタインの名前を見つけて複雑な気分になるが、この映画自体はとても真面目な意図で作られた、古典ホラースタイルのサイコスリラー。どう書いても最悪のネタバレになりそうだから内容に具体的に触れるのは避けるけど、女性の描き方ではなく「罪」の主題という点において、アメナーバルがカトリック文化のなかで育ったゲイだという事実と切り離して観ることのできない映画だと思う。あと、すでに2015年の時点でエマ・ワトソンは、タフな方向へと舵を切っていたのだな。
「セントラル・インテリジェンス」の監督はこういうものも撮れるのかと、最後まで口あんぐり状態で観た。実際にこんな火災に装備なしで飛びこんだら、熱さと有毒ガスでどうにもならないと思うが、そんな考えはいったん忘れるのが吉。人物設定はまるで違うが、「タワーリング・インフェルノ」の勇敢なジェニファー・ジョーンズの姿がおおいにだぶるネーヴ・キャンベルが、予想以上の大活躍。序盤で予想されるとおり「鏡の間」で展開されるクライマックスも、予想を超える壮麗な演出。
ぬいぐるみのプーが俳優の演じるクリストファー・ロビンと共演するファンタジーでは、現実世界の方がきちんと表現されていないと成立しない。その点、舞台の100エーカーの森やロンドンの市街地がノスタルジックで美しいから、感情移入しやすい。ユアン・マクレガーとヘイリー・アトウェルのコンビがよく、ユアンの勤務先の旅行鞄会社の上司、マーク・ゲイティスの悪役ぶりも、リアルで笑わせる。プーが習近平主席そっくりで、批判の象徴にされて、中国では上映禁止だとはホントかね。
めったに車も通らないようなハイウエーを舞台に銃を撃ちまくる設定で、日本出身のプロデューサーと監督が、アメリカでなければ撮れない娯楽映画をつくってみせた。こんな物語は、日本ではできないわけだが、ダウンレンジ(射程圏内)にある男女をひたすら殺し続けるスナイパーはいかなる人物か、観客はその正体を終始、知りたくなるのだけれど、それは見てのお楽しみということで、バッドテイスト向きの作品。構成がここまで単純かつ一直線で、キャラクターを追求しないのには驚いた。
90年代のミネソタで起きた実話に基づくとあり、イーサン・ホークが演じる刑事が父親の少女虐待事件と真剣に取り組む姿がのちのサスペンスを用意していく。彼の前に地方の都市特有の、奇怪だがリアルでもある事件が次々に起きる。古い教会や悪魔崇拝者による儀式、荒廃した家族関係、そこへ知ったかぶりの心理学者まで登場して、刑事は現実と幻想の迷路に落ちこむ。郷愁を誘う風景に突如異変が訪れるので、観客も終始、迷路に引っ張りこまれて、ジャンル映画とは別の恐怖を味わう。
ことしは「ジュマンジ」「ランペイジ」とドウェイン・ジョンソンの当たり年で、この作品も彼のアクション場面の連続だが、期待するのはやはり彼の活躍する超高層ビル「ザ・パール」が香港の街の空高く出現する瞬間である。異様な建築物を目にすると、内部はどうなっているかと細かく知りたくなるが、物語はその建物の権益をめぐる争いやビル火災、ジョンソンと妻ネーヴ・キャンベルが家族を守るための必死の闘いへと移っていく。面白そうにビルの方を見物する香港市民たちがおかしい。
大人になった正太とQ太郎が再会する『劇画・オバQ』に似た話なのではないかとなんとなく思いつつ、そうした苦く切ない展開を期待した。しかし、ディズニーゆえにそんな夢も希望もない話になるわけがなかった。プーさんがこれまでの物語を通して訴えていた〝なにもしない〟ことの大切さは時世的に重要視されていることなので、こちらも観ていてしっくりきてしまうし、うっかりホッコリもしてしまう。本気でぬいぐるみなプーやピグレットは可愛いような気もするが、やはり不気味。
数メートル進めば携帯が圏外から圏内、車体は貫通できない弾丸、生贄のなかに狙撃に詳しい者がいるなどの状況をもれなく活かし、生き残りをめぐるスリルを盛り上げまくる。それに乗せられ、ビックリするくらいモッサリしたスローモーションの使い方も80年代B級スラッシャーを想わせて良しとなってくる。射殺体を鳥についばませたり、車で轢き潰したりする執拗な人体破損描写、最後までわからぬ狙撃手の素性、こちらの予想を覆す〝殺される順番〟などもいちいちわかっていて◎。
催眠療法によって作られる虚偽の記憶、それに基づいて固められる事件のストーリー、そこに捜査陣が縛られて進む冤罪への道。恐怖や不安から広がるタイプの集団ヒステリー。両者の発生するシステムを、フードを被って顔を白塗りにしたいかにもな連中がいかにもな悪魔崇拝儀式をするみたいな画も挟み、オカルト・スリラーとしての体をしっかり保ちながら描く巧みさにハッとさせられた。ただ、主人公刑事が精神的に追い詰められる〝弱さ〟の背景が描かれておらず、そこに引っ掛かりもした。
穴だらけというか、ネジが締まっていないというか……そんな脚本ではあることは間違いない。主人公が義足であることを弱点にも利点にもしようと試みているが、最もそれが活かせるはずのシーンで活かせていなかったりと語ればきりがない。だが、そんな穴や締まりの悪さを無理矢理になんとかしてしまうのがD・ジョンソン。クレーンから燃え盛るビルへジャンプし、壁面にしがみついたりぶら下がるイケイケガンガンな姿に引っ張られるうちにすべてがどうでも良くなってくるのである。