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撮影に3年半かけられたと聞くが、自殺防止活動家(僧侶)への敬意を多分に払った上での撮影と想像する。望みもしないのに生まれてから、死へと向かっていく理不尽さに対抗するべく、踊りやアートなどの表現から感動を見出し、実践する僧侶のダンスははかなげでセクシーだ。やがて体を壊した後、それまでの価値観が間違えていたと思い至ってからの、僧侶の変化が生々しい。死が旅立ちだとするならば、生きるとはそこで踏ん張ることだと体現するような。寺の橙色の灯が、幻想的で温かい。
名家の生まれでありながら、その自由さは「グレイ・ガーデンズ」のビッグ&リトル・イディ母娘に通じる。ジャクソン・ポロックの才能を600ドルで見出す目利きぶりに目を見張り、サミュエル・ベケットはじめ、アーティストたちとの奔放かつ赤裸々なセックス・ライフに目を白黒させ、彼女の愛したラサ・アプソ犬たちがケモノと間違えて唸りそうな、上等の毛皮に目を丸くしているうちに、あっという間の96分だ。人生の哀しみより、楽しさに焦点をあてた、痛快なドキュメンタリー。
90年以上も前の(!)フィルムには、南太平洋サモア諸島で暮らすルペンガ一家の日常がノスタルジックに記されている。長男モアナの結婚式に向けて、踊りやタトゥー、ポリネシア民族の歴史に裏打ちされた儀式のひとつひとつに敬意を払い、厳かに取り組む島の人々の姿は、観ているだけで清らかな気持ちになる。美しい島で、モアナ兄弟らが器用にカニやカメを捕らえながら、どんな会話をしていたのか、と自由に想像するのも愉しい。半世紀後に付け加えた音も映像とぴったりで驚かされる。
素材はいいのに、調理法を間違えたような残念な印象だ。史上最年少でミシュランの三ツ星を獲得したスペイン・バスク地方の料理人・エネコの「(料理における)魂とは何か」というロマンティックな問いと、世界最年長の三ツ星シェフ・小野二郎の達観した答え(感動的な人生訓!)がうまく呼応していない。同じ日本料理人でも、山本征治や石田廣義夫婦の方が、エネコの疑問に率直に答えてくれたのではないか? と思う。斬新な編集も、それぞれの哲学を活かしきれず消化不良。もったいない。
自殺予防運動にひとり勤しむ日本人僧侶の日常を追うが、総じて重苦しい。こうした運動は一度始めたら途中で投げさせまい。米国人監督がこうしてドキュメンタリーまで作ることで、彼の立場は別のフェーズに行ってしまう。自殺を思いとどまった人の誰でもいいから主人公に感謝を表してほしいが、それは皆無。当の主人公もかなり消耗し病的に見える。彼を有識者として祭り上げるのではなく、「蟻の街のマリア」のような素朴な報いの恍惚がなければ映画として厳しいのではないか。
40年前に亡くなった人を偲ぶ記録映画にカメラは不在だ。あってもせいぜい関係者や有識者へのインタビューのみ。労力の大半は素材の検索と編集に費やされる。撮影行為による世界の再構築を欠いた作品を映画と呼んでよいものか、考えあぐねてしまう。しかしペギーの華麗な生涯が、激増の一途をたどるアートドキュメンタリーのジャンルに格好の霊感を注入したのは確かだ。オリジナリティの桎梏から解放され、副次的効果を厭わぬことも、映画に与えられた新たな役割かもしれない。
デジタル復元の意義深さをいつにも増して痛感させる超傑作。タロイモ採りに励む男たちを俯瞰でとらえた冒頭から映画の奇跡が充満し、空中でヤシの実を採る少年、後半の婚礼ダンスに至るまで、全カットが期せずして映画芸術そのものを祝福する。そしてなんといってもサウンド版だ。無声オリジナル版から50年後、フラハティの娘モニカの陣頭指揮で録音されたもの。島を再訪し、現地の人にリップシンクするよう話してもらい、歌ってもらったのだという。その労力に驚嘆する。
バスク自治州の若きシェフ、エネコ・アチャのポジティブなオーラは見ていて気持ちがいい。彼の料理を食べたことはないが、彼の先輩ベラサテギの料理はバスクで食べたことがあり、素晴らしかった。2人で海中ワインセラーから引き揚げたチャコリ(バスクの微発泡白ワイン)を船上で試飲するシーンには同志的交感が満ちる。翻って日本ロケ分は平凡。「龍吟」を削ってでも「壬生」をもっと掘るべきだった。「すきやばし次郎」のパートは「二郎は鮨の夢を見る」の同工異曲の感が拭えない。
自殺のサインを出す人間がいれば、いつどこにでも駆けつける。そんな僧侶がいて、キャメラは彼に密着する。一見、自殺防止メッセージ映画。が、それだけじゃない気がする。僧侶自身、〝死〟にとり憑かれた人間に見える。だからこそ〝生〟に縋りついているのではと思う。自分の肉体、家族、生活を犠牲にしたその活動に、どこか異常なものも感じる。一人の人間の執念、その凄みを作り手はじっと見つめる。そこに観察の冷たさはない。人間の強さ、弱さをともに呑みこんだ深さと温もりが。
向こうでは著名な女性かもしれない。その人がこういう生き方をした、あんな発言をした、たくさんのアーティストと親交があった――てなことが綴られていく。だけど彼女に初お目見えのこちらにはまったく響いてこない。なんだただのお金持ちのお嬢さんの道楽の記録じゃないかと。これ、知ってる人にしか向かっていない閉ざされた映画じゃないかとも。最近、この種のドキュメンタリーが増えてる気がして。蒐集した美術品を映像で丁寧に見せていく、ただそれだけでよかったんじゃないの?
あの時代に重い機材を担いで、未開の島で撮影する。その開拓精神に敬意を表する。中身も当時の島民の生活を初めて世界に紹介――の喜びにあふれて。ただ、南海映画に旨いものなしというかつての米映画のジンクス同様、ちとノンビリしすぎの感も。大氷原が舞台の「極北の怪異」の緊張とスリルがないのは残念。と思ってたら、最後の刺青を彫る場面でびっくり。サウンド版にしたのは、この音を聴かせたかったためなのか、と思わせるほど効果抜群。主人公の彼女がチャーミングなのも眼福。
すきやばし次郎の映画は5年前に「二郎は鮨の夢を見る」があって。今回もその繰り返し的で、あまり新味はない。スペインの三ツ星レストランのシェフが登場して、そのワインや野菜づくりの取り組み方、料理に対する哲学などが語られる。なるほどと思う。だけど料理は見るものじゃなく口にするもの。いくら語っても、その味は届かない。そこを工夫するのが演出なのでは。なんだかカタログ映画というかBSの番組に見えてきて。スクリーンで観るにはもうひとつ奥深さが必要なのでは。