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A・ヴァルダとJRは田舎に行くだけで、その場をワンダーランドに変える。巨大な写真グラフィティと少しのドキュメントによって、村の郵便局員が英雄になり、廃墟の町に人があふれ返り、港湾労働者の奥さんがコンテナ・アートの主役となる。アートは現実に介入し、その発想で人々を驚かせるが、映画もこれくらい自由になるといい。90歳のヴァルダがフランス映画祭での来日をキャンセルしたのは残念だが、原宿の個展で猫の写真と浜辺のインスタレーションを見たので満足だ。
終末的な世界でのジュリエットの救いがたい現実に比べ、回想で振り返られる愛の物語は瑞々しい。だが、疫病によってどんな生理学的な反応が起き、クリーチャーが出現したのか理屈も必要か。CGだと思っていたクリーチャーが、ハビエル・ボテットの怪演だったことには驚いた。難病による身体的な特徴を、むしろ俳優としての個性に変えて活躍する姿に感動する。でもそれってSF映画が想像する怪物の外見が、難病や障害を抱える方々の姿に似てしまっている大問題を意味するのでは?
2年前、バンコクのシーナカリンウィロート大学で講義をした。大学生も制服姿なので高校生みたいに見えるのだが、タイに本格的な学歴社会と受験戦争が迫っているのを感じた。中国で起きた実話がモティーフとのことだが、カンニングの手口が推理小説のトリックのようで見事。銀行強盗ものでは、観客は犯人の視点に同一化して一緒にハラハラするが、本作のクライマックスも同様で「何とか逃げ切って」とカンニング大作戦を応援してしまう。学歴社会なんかカンニングでぶち壊せばいい!
映画の前半では「もしや傑作なのでは?」と胸が高鳴った。視力を失ったヒロインの知覚を映像的に表現するために、監督はわざとピントを外したイメージをCGで加工し、いくつもの不可思議な形象や色彩を生みだして目を楽しませてくれたから。しかし、彼女が角膜移植を受けたあとの俗なストーリー展開には意気消沈。そもそも白人の夫婦、白人の医師、白人の愛人や友人たちしか登場せず、しかも新婚旅行はバルセロナ。何のために舞台をバンコクにしたのか、必然性が感じられない。
土地とそこに生きている人とを素敵に描く作家。A・ヴァルダに長年そんな印象を抱いている。だからこの映画で創作する様子も同時に見られるのが嬉しい。計画を立てないで巡る先々での彼女には、人の生き様を大切にする姿勢がにじむ。それは作品の対象の人々に限らず、一緒に旅をするJRに対しても同じ。素敵の源流はこれだったのだ。なのに、ヴァルダへのゴダールの仕打ちに啞然。なぜ……。ヴァルダの涙は切なすぎる。直前に見た「グッバイ・ゴダール!」で好感を持っていたのに。
近未来らしき荒野を駆ける車。バックに流れる音楽は、身の上を歌う古いフォークソング「朝日のあたる家」。車を運転する女性には深い事情がありそうだ。それを考えているうちにクリーチャーが出現。さらには同じ女性が現代の都会でラブストーリーを展開。しかもその恋愛ドラマが随時フラッシュバック。荒野と現代の都会との関連・意味に気づき、彼女がパンデミックで生き残った一人と知るまでに時間がかかる。難易度の高いホラーである。フラッシュバックの入れ方に工夫があれば……。
生徒に正気を失わせるまでにタイでも受験は熾烈だったのだ。でも貧しいヒロイン=天才的頭脳の持ち主、金持ち=頭の良くない生徒たちという設定に加え、持てる側が持たざる者を利用するといった筋立てが、何だかなあ……。受験に血眼になる高校生の軽さが面白いので、いっそこのノリで入試制度をぶち壊す方向に展開するとか、もうひとひねりあってもよかったかも。時差を利用したカンニング・ビジネスは、飛躍し過ぎてリアリティが不足。見どころは、ヒロインの高校生らしい動揺ぶり。
確かに[恋は盲目]である。それまで見えなかったものが見えた場合はどうなるか。夫は想像していたほどではなかったケースでは[見ぬもの清し]となる。視力を取り戻した妻がメイクにファッションが派手に、行動も活発になり、その結果夫婦関係も変わるといった話に納得。輝きを増す妻に対して、気持ちが沈んでいく夫という図式は常道だが、エスカレートする夫の嫉妬がミステリーをより不気味にする。彼女の視力に合わせた心理テストのような映像やサウンドもそれなりに効果を発揮。
ロードムービーの道すがらに出会う一般の人々を写した顔、顔、顔。相手と向き合い、言葉を交わし、カメラを向ける。そしてビジュアルの楽しさを追求する。そのシンプルな行為の美しさが際立つ。これは写真というツールがフィルムからデジタルに、紙焼きから液晶ディスプレイに転じても、驚くほど変わらない。ゴダールの「はなればなれに」のワンシーンを模して車椅子でルーブル美術館を駆け抜ける〝ルーブルチャレンジ〟に興じる80代のヴァルダと30代のJR。その関係性もまた尊い。
これでいいのか? そのクリーチャーの造型はそれで正解なのか!? チラチラと見切れるたびに気になって仕方ない。手足の一部が小出しのうちはともかく、全貌が現れてしまうと、疑惑はほぼ確信に変わる。「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのゴラムの出来損ないといえば身も蓋もなく、それを可能にしているのはハビエル・ボテットの実演にほかならないが、いささかそこに頼り過ぎている。結果として異形度、恐ろしさ、哀しみ、どれも人以上妖怪未満の中途半端な印象が拭えない。
今月引退した安室奈美恵も、かつて「That's カンニング! 史上最大の作戦?」で女子大生を演じていたが、フランスの「ザ・カンニングIQ=0」に代表されるカンニング大作戦ものはこの度タイで再ブレイク。現代ならではのIT技術と昔ながらのアナログ戦法の合わせ技を、的確なカット割りと編集で操り、やや飛躍した展開もエンタメにひとまとめ。ヒロインは並外れたスタイルの良さと、愛嬌をかなぐり捨てた苦虫フェイスの豊かなバリエーションで、じわじわと惹きつける味がある。
地味な髪色に服装で、冴えないけれど優しそうな夫と、慎ましく暮らすブレイク・ライヴリー。かつてのゴシップガールも結婚して二児の母になり落ち着いたかと思いきや、そうは問屋が卸さない。視力が戻るとともにブロンドにカラーチェンジして華やかなドレスを身にまとえば『ゴシップガール』のセリーナ節が全開。ささやかな幸せが危うい格差の上に成り立っているのはチャップリンの「街の灯」から変わらぬ人間の悲しい性だ。恋愛の本質がパワーバランスであることの残酷な証明。