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練習帰りにピザをついばむ先生と生徒、なんて素敵じゃないか! うまいこと親も巻き込んで、楽しみの輪が広がっていく展開も微笑ましい。そもそも本作のモチーフとなった、音楽に触れる機会の少ない子供に、プロの音楽家が音楽の技術と素晴らしさを教えるという、フランスで実践する音楽教育プロジェクトが素晴らしい。エンディングを盛り上げるのは、クラシックではなく、ウッドストックを象徴するフォーク・シンガー、リッチー・ヘヴンズの『フリーダム』とは、たまらなく自由だ。
ブータンで千年以上の歴史を持つ古刹チャカル・ラカンの後継者問題に直面した家族。親、子、それぞれの立場に中立なカメラの立ち位置が好ましい。無理に結論を導き出さない終わり方にも好感が持てる。いまの生活に満足し、将来にも明快なヴィジョンを持つ父は、家族の中でいちばん幸福そうに見えるが、娘のタシには誇らしく思えていない辺りがリアル。長男ゲンボの沈黙を父は「迷惑」と断じるが、性同一性に悩むタシを「ヒマラヤの花みたい」と微笑む兄の優しさは、父よりも魅力的だ。
観賞後、ゾウの平均寿命を調べると、人間とほぼ同じことが判明。途端に、作中のポパイ(ゾウ)の奮闘ぶりに、ますます哀愁が漂うというもの。大好きな仕事でも、家庭でも、居場所をなくした中年男タナーの郷愁ではじまったゾウとの旅は、回想の挿入リズムなど、独特の語り口が面白い。過去と現在を行きつ戻りつするうちに、出会う人出会う人(タナーとデュエットするニューハーフの魔力!)に助けられて旅が続く展開も、夢落ちのような結末も、童話を読むときのすこやかさで楽しめる。
冒頭、男の部屋のドアに体当たりして流血した荒くれヒロイン・ポーラが、ラストシーンでは女中部屋の窓越しにあんな表情を見せるとは!パンキッシュな映画である。長年の恋人に捨てられた(レンガ色のコートがにんじん色に見える男とうまくいくわけもないのだが)女がパリをさすらう中で、自意識を手に入れる話とまとめるには、ヒロインがエネルギッシュすぎる。「野生の小猿」とは言い得て妙。孤独なヒロインが、母やリラ、ウスマンと簡単なものを一緒に作って食べるシーンも豊かだ。
目標達成への努力という、まるで日本映画のようなフランス映画だ。カド・メラッド演じる音楽教師の描写は、「くちびるに歌を」の新垣結衣や「楽隊のうさぎ」の宮﨑将に比べると上手いとは言いがたく、この手の部活映画、学級映画は極東島国に一日の長あり。ただ本作の特長は移民用アパートの並ぶパリ19区をロケ地とする点。ならば黒人少年が練習に使う屋上はもっと特別な空間にできたはず。今井正「ここに泉あり」のハンセン病施設での演奏会のような突出したシーンもほしい。
作品を見るかぎり妹のタシはおそらく性同一性障害で、男子として活動するが、今後もタシがタシ自身であり続けられるどうか、これは伝統/近代化の世代間対立なんかよりも大事な問題だと思う。屋外シーンはほとんど斜面だが、兄妹は気にせずサッカー練習に余念がない。一度だけまともな平面が写るのは、タシが女子代表選抜キャンプに遠征した時だけ。元来サッカーは平面に住む民衆のスポーツ。この斜面/平面の逆説によってトランスジェンダーの輪郭がいっそう明確になった。
都会生活に飽きた熟年男のルーツ帰りという展開に興味を引かれぬまま、映画の序盤が過ぎた。象がノロノロ歩くのを眺めるのは楽しいが、それでロードムービー一丁上がりとはならない。しかし途中でニューハーフの娼婦が登場し、都会と変わらぬ世知辛さが生じたあたりから、文明批判の紋切り型をようやく脱却。終盤ではまるで「瞼の母」のような価値転覆が起こって、主人公の遁走を素朴礼讃で落着させない点は好感を持った。廃墟シーンの内省が全篇ともっと繋がるとよかったが。
今年32歳になる若き女性監督には、過不足なく物語を語ることなんて眼中にない。L・ドッシュという出色の主演女優を得て、人間がどれほど動物に戻れるかの人体実験を施す。そしてそれは素朴な「自然へ帰れ」運動ではない。私たちは都市のドブネズミのようにしぶとく徘徊し、餌をゲットしなければならない。ファーストカットはヒロインのぶしつけなカメラ目線で始まるが、その視線の先にいるのは間抜けなカウンセラーではない。スクリーンを突き破り、私たち自身に向けられている。
中年のバイオリニストがおそるおそる教室に。生徒はみな移民の子どもたち。バイオリンを媒介に双方の気持ちが寄り添っていく。それをドラマの情緒ではなく、ドキュメント・スタイルのさらりで描いた、この演出。アフリカ系の少年のマスク。彼が初めて楽器と出会った、その目つき。この繊細が主人公を揺るがし、他の子どもたちにも波及する。クライマックスの晴れ舞台まで、筋立ては少しお約束の型通りがうかがえる。けど音楽に打ち込む子どもたちの輝き、そこは本物の手ごたえがあって。
ブータンの日常。透明な空気があって、男根崇拝があって、カラフルな祭礼があってと、その一つ一つが珍しく、眼を引かされる。だけど10代の兄妹がいて、スマホを操り、サッカーに打ち込みと、その生活ぶりはまさしく今を匂わせる。兄が家代々の寺院を継いで僧侶になるかならぬかの迷い。妹の望みは〝男〟として生きること。切ない。この2人がいつも一緒で悩みを打ち明け合う。見てると、市川崑「おとうと」の姉弟を思い出して胸がキュンとなる。思春期、その大人になる前の逡巡に。
中年男が象と一緒にタイを旅する。その光景を眺めてるだけでのんびり気分に。男が象の背中にやっとこさよじ登る画面など嬉しくなる。いやもうドラマ的展開なんかなくて、旅のスケッチだけで綴ってほしかったくらいで。演出は、低予算のせいか、ちとせせこましい。人物描写も警官2人組のお笑いは泥臭いし、ゲイとホームレスは型にはまりすぎ。元エリート建築家の主人公と妻も同様の味気なさ。この題材だったらもっと自由に筆をふるってほしく。新人監督なのにパターンに拘りすぎの印象。
両目の色が違う女性。そこが個性。だけど自分勝手。興奮すると暴力的になる。平気で嘘をつく。見てると彼女に心情が入らない。これじゃ生きづらいだろうとハラハラもする。まさしく〝若い女〟、その自己中心の生きざまが、観察しているような乾いたタッチで描かれて。こんな女性でも子どもが懐き、黒人男性が打ち解ける。彼女の顔つきも穏やかになり、次第に他者を受け入れるようになって。そう、これは愛を知らなかった人間が、愛を受けとめるようになる映画かと。でもシンドいなあ。