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食事のシーンが印象的だ。自身の文化大革命的作品「中国女」に因み、箸を器用に使いながら仲間と焼きそば等をつついていたゴダール。恋人のアンヌと、裸でフランスパンなんてシャレオツな朝食を楽しんでいたはずが、アンヌたちが豪快に手づかみで骨付き肉をぱくつく横で、ナイフとフォークを使ってまずそうに食べる貧相な男に成り下がる。やがてアンヌの職場に押しかけた彼には、凍りつくようなディナーが待ち受けていて……。対するアンヌ役ステイシーのチャーミングな口許は無敵だ。
前号本欄で、ホン・サンス映画を観ながら、思考が「正直さ」に行き着き、己の未熟さに赤面した筆者だが、本作によれば「映画作りも人生も、素直がいちばん」とは、ますます深遠なる大人の世界よ。写真=映画論を説くピアニスト役のイザベル・ユペールと、恋する女社長役のチャン・ミヒ、中年女の不思議な名言(素っ頓狂な迷言)に心地よく流されるようにカンヌをさまよう中、ヒロイン(キム・ミ二)の変化がみずみずしい。女たちの話に静かに耳を傾ける、グレーの大きな犬も美しい。
デモ中でも、恋のチャンスは見逃さないエネルギーをほほえましく感じつつ、それ以上に、学校や仕事は休まずきっちりと責任を果たす、若き香港人の勤勉さを尊敬する。自分のしていることは間違っていないと逮捕を恐れぬ彼らだが、デモによって市民が被る迷惑については素直に申し訳なく思う。このすこやかさは、彼らを取り巻く大人がきちんとしているからだろう。運動が収束しても彼らの摑んだ信念は消えないはずだ。「この映画が証」と語ったラッキーの、最後の笑顔が焼きついている。
97年の再結成時より、18年後の方がメンバーの背筋が伸び、若返っているという奇跡! イブライムステージ用に新調したスーツ、オマーラを飾るドレスにルージュ。彼らには、情熱的な赤がよく似合う。50年来の友情が珍しくもないキューバ音楽の歴史即ち世界とは、作中の言葉を借りれば「物質の世界」ではなく「真実の世界」なのだ。16年、フィデル・カストロの死からはじまる本篇のクライマックスは同年、ホワイトハウスでのライブ。政治について多くを語らずとも思いは伝わってくる。
ゴダールについての非ゴダール的映画が舌足らずな本作だ。「中国女」完成前後から五月革命までを語るのはいいが、ヴィアゼムスキーという中途半端な主体を隠れ蓑にして、五月革命もジガ・ヴェルトフ集団も不当に矮小化させた。「ヌーヴェルヴァーグに対する白色テロ」として本作を位置づけるべきだろう。エンドクレジットを眺めていたらB・タヴェルニエの名前。なぜカイエ誌から反カイエ派のポジティフ誌に転向したこんな名前が? 星1個は本作に対するせめてもの礼儀だ。
ホン・サンス映画はシナリオと絵コンテを旨とする構築主義者を常に苛立たせてきた。通常作法を破壊し、吟味に背を向ける。無意味一歩手前で立ち止まり、寿司か天ぷらのようにさっと滋味溢れる作品を撮りあげてしまう。カンヌ映画祭期間中、ユペールは「エル ELLE」、キム・ミニは「お嬢さん」で出席していたのを短時間だけ借り受けて一本でっち上げたその軽快さ。ただし筆者の萌えどころは両ヒロインではなく女社長役の張美姫。往年の裵昶浩映画のミューズが今なお美しい。
香港選挙の民主派排除に抗議する「雨傘運動」が爆発した2014年秋の記録映画だが、惜しむらくは運動の中心部分や決定的出来事をカメラは捉えきってはいないこと。運動の片隅でがんばる若者グループの青春日記という体だ。運動の高揚から終焉までが当事者としての思い入れをもって記録されたが、タイトル「乱世備忘」のうち「備忘」という2文字にこそ本作の趣旨が込められたのだと思う。運動は収束したが、その種子はどこかに散布されたはずという切実な願掛けである。
ヴェンダースのドキュメンタリーから約20年の年月が経過した。続編としてBVSCメンバー数人の死を看取るが、後日譚だけでない点が本作の特徴だ。BVSC結成前の前日譚――すでに引退して久しく、ギターさえ所有していない元ギタリスト、才能は認められつつも大成しないまま靴磨きで生計を立てる元ボーカリスト――がせつなく語られる。ブームの発火点となった前作を踏まえつつ、より思弁的な製作姿勢は好感が持てる。鑑賞後はキューバ音楽を爆音で聴きたくなること必至。
ゴダールの信奉者ではない。だけどその映画の才能は認めている。好きな作品もあれば苦手なヤツもある。そういう者から見ても、この描き方、少しイビツに感じる。ヴィアゼムスキーから見た私生活の彼。そのわがままぶりを作り手は強調しているようで。どこか神格化されたゴダールを地に落としているような印象。それもありだと思いつつ、(たぶん原作にはあるだろう)対象者への畏敬の念とか愛が感じられなくて。監督は67年生まれか。あの時代に無関心の世代が作ったゴダール映画の感。
カンヌ映画祭の合間にちょこちょっこと撮って、これくらいの質に仕上げるとは。ちとシャクにさわるけど、まあ感心。監督をめぐる恋愛模様は、どうも偽悪的。それ、自己を投影したような男を貶めて、女性陣を引き立たせる作戦だなあ。そうやって、逆に女心を摑んでいるのかも。ここんところの4作続けて観ると、キム・ミニの演技の巧さが分かるし、ユペールも違和感なく映画にはまっていいアクセントになっている。やっぱこの監督、女優の活かし方、女性描写が上手。好き嫌いは別にして。
若者たちが立ち上がった雨傘運動。観てるとヒリヒリする。この日本でもその昔あった、そして今でもある光景が繰り広げられて。27歳の青年がキャメラを廻す。素人っぽい。状況に接近しすぎる。出てくる人物とか、何が起こっているか不明瞭なとこもある。けど、何とかしたい想い、怒り、悔しさ、無念、その時々の感情がライブ感覚で刻印されていて、胸を刺す。すべてが終わって、ある若者が呟く。「俺は(抑圧する側の)大人にだけはならない」。かつての自分もそうだったと、目が潤み。
前作はキューバにこんなイカすバンドがあるんだ! の驚きに満ちあふれていた。今回はその解説篇みたいな趣き。キューバの歴史、メンバー一人一人の歩み(若い時の映像が貴重)などが綴られ、さながらBVSC大全集の嬉しさ。そこから97年売り出しの時をピークにして、一人また一人とメンバーが亡くなっていく悲しみ。それでも活動は続くという最後の盛り上げ。その構成がピタリはまって。何より作り手たちの彼らに対する深い愛と敬意。それがこの映画をあたたかく息づかせて。