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本作を周囲に口コミで薦めているが「子供の監禁ものはネットフリックスに多い」とか「80年代のSF番組を扱うのは最近の流行」といわれ、なかなか魅力が伝わらない。でも本当に泣けるのは、マーク・ハミル扮する誘拐犯が手づくりで教育番組をつくっていたり、洗脳された主人公が自ら映画版「ブリグズビー・ベア」を撮ったり、SFファンの想いがリレーされるところ。子どもの頃、チープでもいいから自分でSFを撮ってみたい、と誰もが思ったことがあるはず。心に沁みる作品だ。
サダム・フセイン時代のバグダッドで短篇映画を撮ったことがあるが、どこに行くにも情報省の役人がついてきて困った。多少の無理をしないとドキュメンタリーは撮れないが、本作の女性監督は国籍を韓国からドイツに変えてまで北朝鮮に入ったという。イラクもそうだったが、マス・メディアが流す独裁国家のイメージは偏っている。そこには必ず普通の日常があり一般庶民がいる。北の庶民が行う自給自足的で資源を循環させる生活は、私たちがなりたい未来の姿そのものであり、驚いた。
三拍子そろった映画ではある。「リトル・ミス・サンシャイン」の監督たちの新作で、男性至上主義の元テニス選手と女子テニスのチャンピオンの男女対決という実話、70年代前半の魅力的なファッションに、エマ・ストーンら俳優陣の役づくり。もっとおもしろくなっても良い作品なのだが……。ビリー・ジーンが夫を持ちつつ、ツアーを重ねるなかで同性とのランデヴーを楽しむ恋愛模様は、女性解放運動とそのイデオロギーがスポーツ選手の私生活に与えた影響として新鮮に映った。
国境を越えてファシズムに合うファッション、音楽、身体パフォーマンスがあるのだろう。解放記念日に平壌に招かれたライバッハのコンサート映像を見ると、軍隊的なマーチの要素や高揚感をおぼえるヴォーカルなどの特徴が興味深い。しかし、映画としては当たり前のツアー・ドキュメントであり、制約の多いなかで何とかコンサートを挙行するメンバーの苦労話に終始している。北朝鮮とスロヴェニアのバンドが21世紀に出会うことに関して、批評的な考察があれば引き締まったかも。
突飛な設定もさることながら、本当の両親と妹との生活が始まる中・後半にかけて、面白さがじわじわ盛り上がる。特に劇中番組『ブリグズビー・ベア』の制作を思い立ち完成させるまでの映画同好会風なノリは楽しい。事実、監督・脚本・主演が中学の同級生だそうで、なるほど、作品にどこかなごやか空気感があるのはそのためだったか。感動を押しつけずに、人や事との新しい出会いをちょっといい話として締めくくる清々しい結末まで、一貫してその空気感を保てたのがこの映画の値打ち。
ベールに包まれた北朝鮮。普通の暮らしとその人々を取材したとするこの記録映画から何が見えるか。惹句の[これはプロパガンダか? それとも現実か?]が、言い得て妙。実はそこが不思議な国を記録したこの作品で知りたかったことだが、判断は難しい。全員ではないが、どこか演技じみた人も。部屋は整理整頓されて暮らしの匂いは希薄。それでも、経済制裁の影響や夢を語る繊維工場の女性リーダーと工員には素の人間性がにじむ。惹句が判断の難しさをストレートに指摘している。
ビリー・ジーン・キングの功績を描いているが、伝記的アプローチは淡白。主題は彼女が言う「女が上だとは言ってない。ただ敬意を払って欲しい」にある。E・ストーンを中心に、主題を支えるS・カレル、A・カミングらの配役センスの良さ、彼らの持ち味と達者な演技で、そこそこ楽しい。特にお調子者キャラの男性優位主義者を演じるカレルは◎。さて性差の壁を破るために挑んだ’73年の一戦から今日までの変革は……。あぁ、映画業界は未だ圧倒的な男性社会。見て楽しんでから一考しよう。
ライバッハのコンサート場面がほんの少しだったのは、ちょっぴりがっかり。でも初日まで彼らに密着し、メンバーとスタッフ、そして招聘した北朝鮮の関係者とのやり取りは見応えあり。異文化の衝突(監視や統制)は話に聞くのと違い、映像で見るとよりスリリング。熱い両者とは対照的に表情が乏しく、楽しんでいるようには見えない観客は、そもそもどんな人たちだろうか。そこかしこに覗く独裁国家の素顔に音楽ドキュメンタリーを超えて諸々の関心が募る。今日の動静も含めるとなお。
子供が自分の意思で教育を選ぶ自由や選択肢は限られている。にもかかわらず、受けた教育はその人がどんな人間になるかを決定づける。本作では地下室に幽閉された特殊なシチュエイションになっているが、生まれた国、住む場所、家庭環境、経済状況、親の方針などによって無数のバリエーションがある問題だ。だから私たちはみんな大人になったとき、ジェームズのように、自分の受けた教育を自ら疑い咀嚼し直す必要があるのかもしれない。そして家族の形にも正解などないということを。
北朝鮮を取り巻く情勢が日々変化しつつある昨今、従来のイメージをベースに彼の国を描こうとすればかなりのリスクを伴う。しかし同国が圧倒的にマイノリティであることは依然変わらない。逆に言えば国土も人口もわずかな一国が国際情勢の一角を脅かしている。その中でさらにもう一つのマイノリティが女性という性だ。韓国出身の女性監督と北朝鮮の女性たちの対話は女性というカテゴリーにおいて普遍性を獲得している。かつて分断を克服したドイツ経由の制作であることも意義深い。
今をときめくエマ・ストーンがイケてない。冴えない髪型にほぼすっぴんで洒落っ気のない眼鏡。テニスウェアを着ても若い女性プレイヤーらしい華やかさはなく性別も年齢も不詳な感じ。しかしこれは決して本人の劣化でも衣裳メイク部の不備でもない。むしろなぜイケてないように見えるのかが本作の最大のテーマである。そしてなぜ彼女をイケてないと思ったのか、己の価値観を見直すことになった。それをふまえて観ると、序盤の美容室のシーンはなんとロマンティックな瞬間だろうか。
3年前の式典にまつわる真実がこのタイミングで公開されるのも数奇な巡り合わせと言える。1年前と比べても北朝鮮のイメージは大きく変わりつつあるからだ。過激なスタイルのロックバンドが検閲と闘いながら打開策を探る記録は表現をめぐる運動として極めてスタンダードなものであるが、ナチス的なファシズムをパロディとして装う同バンドを敢えて自国の記念すべき行事に招致した金正恩の胸中やいかに? それを慮れば、もっと奥の深い二重三重のブラック・コメディに見えてくる。