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「マグノリアの花たち」(89)や「パーマネント野ばら」(10)のような可愛いドラマにならないのは、クリスティンの美容院がガザにあるから。男を愛しく想いながら、オシャレに精を出す彼女たちがのどかに見えないのは、女たちの生活がすっかり戦火に巻き込まれているからだろう。「政治的な映画を作りたくなかった」という監督の思いとは裏腹に、小さな閉鎖空間に充満する戦争の匂いに息が詰まるリアル。新鮮なアプローチの戦争映画だと思う。女たちの映画として、続篇を強く希望。
ヒロインが、クローゼットや地下室に閉じ込められるのでは? と勝手に身構えたことも含め(無論ポランスキーは原作以上にダイナミックに期待に応えてくれる!)、孤独な極限状態下の緊張を鮮烈に描く。同じ毒を盛るでも「ファントム・スレッド」ならば甘美な愛の行為だが、本作のそれは、かまいたち現象の如きあやしさである。オープニングとラストシーンのサイン会の対比が面白い。第三者用にサインを求める客が目立つ冒頭から、自分のために列をなすラストへ、と洗練された構成。
飲酒問題を抱える父親と自閉症の弟の面倒に追われ、14歳にしてすっかり生活にくたびれた少女オラに、カメラはぐいぐい寄っていくのだが、家を出た母親と電話する時だけ、少女と距離を置く。その距離感に〝この監督は信用できる〟と思った。この生活しか知らない少女には、自分が困窮している自覚も、髪の毛を梳かしてくれる愛情に飢えていることに気づく余裕すらない。しんどいエピソードが積み上がる中で、身勝手な母親の話に物わかりよく相づちを打つ少女がいちばん哀しかったから。
芸術家志望の頑な女とモラトリアムを引きずった中年映画監督という、世にも厄介な組み合わせが、デリケートな男女の、勇敢な出会いと別れという叙情的作品に! 何が正しくて、何が間違いだったのか? という観点から、観れば観るほど味わい深い。前半から後半へ、どこがどう変わったのか、観客自身がきちんと摑める構成が滅法面白い。そのズレが微妙な変化であるところもチャーミングだ。例えば結末の違いを筆者は素直さと捉えたが、おぼこさが自身にはね返るようなオマケも愉し。
ここはパレスチナの美容室、外は銃声と爆発音。詰めかけた女性客の誰一人として終わらない。丁寧な仕事ぶりに定評ある店とはいえ、さすがにこれは微笑ましい。停電やら妊婦の陣痛やらが起きて混乱する店内から誰も外に出られない。カメラでさえも。ただしパレスチナ国家の、女性たちの閉塞性の表象が過度にシンボリックであり、ブニュエル「皆殺しの天使」のように大きな映画的逸脱はない。あくまで単純な図式性に収まってはいるものの、切羽詰まった迫真性には手に汗握る。
O・アサイヤスの緻密な脚本(彼自身の監督作ではまず書かない類の緻密さだ)を得て、名匠監督が楽しそうにサイコサスペンスを演出している。「ゴーストライター」「おとなのけんか」「毛皮のヴィーナス」と近年のポランスキー作品はいずれも、小振りながら熟成された芳醇なワインのようだ。今作もそれに連なる好篇だが、気になるのが結末主義。それはこのクラスでは決して上等な話法でもないが、衝撃的結末で観客の度肝を抜くのも映画の一魅力として、まぁ良しとせねば。
母は愛人を作って別居、父はアルコール依存と問題山積の家庭にカメラがずかずかと居座る。自閉症の弟ニコデムの面倒を必死にみる14歳の姉オラは、ドキュメンタリーの取材対象の域を越え、もはや完璧に映画の主演女優となった。ここまで胸襟を開かせるまでの長い準備期間での関係構築を、ザメツカ監督は強調する。ではカメラの存在を消せたのかというと逆だろう。カメラがそこにあるがゆえに、オラは本来のオラ以上に「オラになる」のだ。それは「やらせ」なんて簡単なものじゃない。
擬似自伝的コント2つのうち前半は下世話な現実譚、リセットされ修正された後半は理想主義的。なんともずるいこの話法は大島渚「帰ってきたヨッパライ」のごとし。タラレバ的理想主義は、本作がロケされた京畿道水原市の空気が影響を及ぼしたと推理したい。前後半とも物語の発端となる世界遺産の華城行宮は、NHKドラマでおなじみイ・サン(正祖王)が建てた宮殿であり、一度は遷都が夢見られた理想都市。辺りにはあらぬ空想を掻き立ててやまぬ冷たい霊気が滞留しているのだ。
パレスチナは対イスラエルの視点で語られることが多いが、内情も混乱していることが分かって。美容室、その一場の女たち。舞台劇と思わせて、カメラは自在に動き、編集が映画の呼吸を見せる。脚本は、やや典型。だけどそれが外国の私たちにも、一人一人の事情を分かりやすく伝える。政治、宗教、結婚、家庭、何もかもが男性主導で息苦しい。それに加えての紛争、内乱。もう我慢できない。その怒りと嘆きと哀しみ。言いたいことを吐きだした女たちの呻き。それがひりひりと肌に刺さって。
ごひいき、ポランスキーの新作。「反撥」「テナント」の系列で、しかも脚本がアサイヤス。両者お好みの不条理サスペンス。人気作家、同居人、ゴーストライター、入れ替わり、殺意の匂い。じわじわと女主人公を追いつめていく、その手つき、息遣いにこの監督の熟練の巧さを感じて、ぞくぞくする面白さが。だけどこの種の映画に付きもののモヤモヤした感覚。それが観念すぎというか胸にこない。少し型にはまった物足りなさもあって。どうもこの監督、奥方が主演だとひと味落ちるようで。
不在の母。無気力な父。自閉症らしい弟。14歳の少女が一家を担っている。キャメラはこの少女と家族に寄り添う。誰も撮影を気にしないのは、作り手との信頼関係が厚いことで。監督たちが深い愛情を注いでいることが分かる。弟に聖体拝領の儀式を受けさせること、母を呼び戻すこと。その少女の願いが叶っても、状況は元のまま。というところに人間、その救いとは何かを問いかけているようで。少し作品世界が狭い印象。が、何があろうとこの姉弟は成長し続けていて。そこが胸に迫る。
映画監督が女をナンパする。一回目は失敗して二回目は上手くいく。その繰り返しの映画。監督が既婚のこと。それをいつ、どのタイミングで彼女に言ったか。そこが成否の分かれ目 という映画。ちと手法を弄びすぎという感がして。この主人公も身勝手としか思えない。はい、そんな男のイヤなところを率直に描きましたと、ホン監督は言うかもしれないが。相変わらず女心の観察眼は細かい。けど、ナルシスも匂って。「それから」の2年前の作品か。本気不倫を経て少し大人になったのね。