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長瀬智也が社員を守ろうとする熱血社長役ということからも、彼が逆転勝利することはお約束ごとだし、まただからこそ、原作がベストセラーになったのだろうが、それでもしっかり、うっぷん晴らしができるウェルメイドな娯楽作品である。何のうっぷんかって? ホラ、ウソが大手を振ってる現代の政……おっと、と。長瀬が自分で動き回って、欠陥車情報を集める描写に説得力があり、大手自動車会社の社員による内部告発のくだりもスリリング。ウェルメイドな娯楽作をなめんなよ!!
こう言っては何だが、ピアニスト、フジコ・ヘミングへの世間の評価や関心は、その演奏技術より、彼女自身のキャラクターやドラマチックな半生に対する興味の方が強いらしい。その証拠がこのドキュメンタリーで、ほとんど彼女のキャラと言葉を鵜呑みにしてカメラを回しているだけ。たまにはツッコメよ。演奏シーンにしても、ただ写しているだけ。取材対象に最初から降参して、パリの街を犬とお散歩する彼女の姿を何度も撮って、で、だから? フジコ女史に関心のある人にはいいかも。
3年前に世間を騒がせた男性器切断事件。妻の不倫相手の弁護士のナニを、元プロボクサーだったという夫が、植木バサミでチョン切ったというアレ。この事件にひねりを加えて描いているのだが、3人の当事者のいきさつを再現ドラマ風に描く一方、妻につきまとう自称フリーライター男を登場させての進行は、台詞も演出も笑っちゃうほど薄っぺらで、もうイライラ。不倫妻の七海ななが空気人形のように受け身一方なのもイタダケナイ。ロマンポルノ初期ふうなからみの演出はワザと?
好奇心を煽る伏せ字のタイトルについ乗ってしまう人もいるだろうが、何のことはない、手を替え品を替え作られている胸キューン系のラブコメの変型版で、もう勝手に××していれば! 恋愛とは無縁の女子高生のウェブ作家が、恋愛小説を書くために仕かけたヤラセの恋。高圧的な態度で標的(!?)にアレコレ命令する彼女の内心の不安が見せどころなのだろうが、ウソの恋が本気にというミエミエの展開もおママゴト並。映画化権を賭けたライバル作家との公開バトルにも××しちゃう。
長瀬智也とディーン・フジオカのダブル主演だが自社トラックの起こした事故死がトラックそのものの欠陥だという真相を訴えそれを証明しようとする長瀬演じる運送会社社長が完全に正義のために戦う主人公であるのに対して内部告発を見せ札にして栄転するフジオカ氏の演じた人物沢田は到底良い人間だとは思えず専らそこが気になって原作を読むがそこの按配は変わらずで、昔の社会派に比べれば倫理の後退がすごいと思ったがこれが現代か。情報量と的確な演出から見応えはあり面白い。
期せずして訪れた成功に驕るよりも皮肉な微笑みで対している彼女を観てこのひと相当地獄のなかで生きてきたなと思う。本作ではその生活の優雅な部分の代償である苛烈さも撮られていた。鍵盤を叩き続けてきた農婦のような手。好きな男性があるがこんな老婆がそんな想いを抱いているなんてと自嘲。彼女と家族を日本に捨て置いたスウェーデン人の父がデザインしたポスターを見て、まあこんなものを作れたんだから彼も悪いだけの人間じゃなかったかなと言う。濃厚な芸術家の肖像。
実際の事件がおもしろすぎて、いや、このおもしろいとはゲラゲラ笑うことではなく、加害者被害者どちらの立場の男性にでもなり得る自分を感じ、慄然としつつインタレスティングということだが、これを映画化して見せてくれることがもうバンバンザイ。なおかつちゃんといまおかしんじ脚本、佐藤寿保映画。もっと美術や映像がダークでヘビィであってもよかったが。私としてはタイヤが飛ぶとかJK作家が××を強要よりも切断チンコが川にプカプカ浮かぶほうに映画を感じてしまう。
私という四十過ぎのふたりの子持ちのハゲオヤジが継続的に延々とキラキラ青春恋愛映画を観続けさせられて何になる、でもやるんだよ!と今月も観たこの系統。文芸と実体験反映に関するヘミングウェイ的アプローチを恋愛小説と恋愛でやるような構造が面白くなくはないし既にテレビドラマ版が作られていたそうでそのスタッフキャストそのままという練りもプラスに働いているだろうと思う。クライマックスは小説速書きバトルを題材とした近未来SF「決戦!プローズ・ボウル」みたい。
本作のカメラは時に〝眼〟となって、人や柱が被写体を遮り、手持ち撮影に切り替わることで、視覚的な〝不安〟を無意識に訴求させている。一方、シネスコの画角は、長瀬智也をはじめとする背の高い役者を揃えたことに向いていないようにも思える。それゆえカメラは、少し煽り気味の画角で役者の全身を撮影しようとしている。そして、物事を訴える側を目高で撮影することで対比を生んでいる。過去作品でも胸のあたりの高さを〝好み〟としてきた藤澤順一の撮影が活かされた結果である。
音楽でも言葉でもなくフジコ・ヘミングの何気ない仕草が、彼女の人柄を感じさせている。例えば、小銭を出す姿や店先の鉢植えから落ちた花を鉢に戻してやる姿、あるいは、舗道を父親と歩き嬉しそうにはしゃぐ子どもに向ける眼差し。「人生とは時間をかけて私を愛する旅」と自身を語る、彼女の過去と現在とを並列させることで生まれるモンタージュ。それに加えて、何気ないインサート映像を挟むことによって、本作はフジコ・ヘミングの人柄を浮かび上がらせようと試みているのである。
カラオケボックスで取材を受けるヒロインの表情がめまぐるしく変わる。それは実際に彼女の表情が変化しているのではなく、モニター映像の反射によって表情が七色に染められているに過ぎない。だが、外からの光によって変化する表情は、外からの視線によって彼女のある一面が引き出されていることを示唆しているようにも見える。観客が〝覗いている〟ような構図を点在させ、〝覗かれる〟〝見られる〟といった外的要因によると錯誤させることで、複雑な内面を解体してみせているのだ。
恋愛経験ゼロの主人公が恋愛小説執筆のために恋をしてみるという姿は、例えば「殺人を知らなければミステリーが書けないのか?」という命題と同様のように思える。ところが本作は「実体験に勝るモチーフはない」と描くことで、奇しくも恋愛パターンを解析するという構成になっている。脚本・北川亜矢子の特徴のひとつである〝御伽噺や童話の引用〟が活かされつつ、階段の上下という位置関係によって、パワーバランスやヒエラルキーといった人間関係を視覚化させている点も一興。