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題材から想像されるような直球の作りの映画ではない。普通だったら省いてしまうような平凡な細部をこだわってじわじわ描き、アメリカ映画ではあまり目にしない強靱なクロースアップが連打され、言葉では説明しきれない複雑な感情がスクリーン上に広がっていく。さらに、主人公と親族一同、ツレの男たちの、洗練とはほど遠い雰囲気の表現が絶妙。インテリとエスタブリッシュメントの都市ではない、別の一面のボストンが見られる。フォーカスの使い分けを含め、何を映すかの選択も巧み。
病気をいつ彼に告白するかというスリルも、彼が水泳に対して抱えている葛藤も描かれていないので、前半は、優等生ふたりが理想のデートをするさまをえんえんと見せられている感じに。でも彼女の病気がついに彼の知るところとなってからは持ち直し、父親を心配するシーンはなかなかよく、洋上のシーンのあとの見せ方も上手。面影だけでなく声までどこか父親を思わせるパトリックと主演女優、そしてとりわけ彼女の親友役の女優は魅力も個性もあって、三人とも次回作を期待したくなる。
スラッシャー映画の要素ももちろんあるけれど、半分以上は、心に病を抱えてなおかつ悲惨な環境で育った少年少女らが逃避行する話。それ自体は悪いことではなく、むしろ哀切なバイオレント・ロードムービーとして面白くなるポテンシャルがあったのだが、「ホラー映画らしく」しないといけないとでも思ったのか、序盤に見られた、明らかに視界をふさぐことだけを目的としたクロースアップや、やたらでかい音で驚かすなどの安直な演出が継続され、おかげで全体にたいへんチープな印象に。
「ジオストーム」に続き、全然期待せずに観に行ったらバカみたいに面白いものが出てきましたの巻。動物が巨大化して暴れるだけのネタに、結構面白いストーリーがくっつけられ、飛行機脱出シーンで度肝を抜いたあと、後半はかなりレベルの高い怪獣映画に。終盤ロック様とともに戦うのが誰かは、たぶん観客全員の予想どおりだろうけど、やはり胸アツ。ユーモアがまぶされているのもいいところで、悪役姉弟のアホっぽい弟や、政府組織のカウボーイっぽいおっさんなど、脇のキャラも充実。
テロ事件を素材にした映画が次々に公開されているが、ジェイク・ギレンホールがプロデュースも務めただけに、爆弾テロで両足を失った男ジェフ・ボーマンを渾身の演技で見せる。労働者の一家は結束が固く、それゆえに、ボーマンの恋人エリン(タチアナ・マスラニー)と彼の母親パティ(ミランダ・リチャードソン)の間が感情的にすれ違うところが出てくるけれども、両者の関係が実にリアル。最後はヒューマニズムで締める企画にしろ、人間のイヤな面も描き切った点はよしとしたい。
日本映画「タイヨウのうた」が原典とタイトルされる。しかし流れる歌も含めて、アメリカの伝統的なホームドラマを見ている気分だった。日光に当たれない色素性乾皮症を病むヒロイン、ベラ・ソーンと恋人のパトリック・シュワルツェネッガーが、一瞬の輝きの青春をさりげなく演じ、ベラの父親、友人たちもクールな自然体の演技でいい感じである。ベラを真剣に見守る女医スレーカ・マシューが印象的だっただけに「予算がなくて、治療の研究はもう続けられない」と言ったのにはガックリ。
トビー・フーパー最後のプロデュース作品で、カルト的な監督二人の演出。テキサスの話をブルガリアで撮影したというのだが、美術小道具がよく、74年の「悪魔のいけにえ」のレベルをきちんと保持した出来である。冒頭、子どもの誕生祝いで、ソーヤー・ハウスに集まる一家の無気味さだけでもうR指定の気分だ。とりわけストーリーを引っ張る母親リリ・テイラーの、自我をふくらませたまま現実社会とは絶対に妥協しないという面構えと演技は悪夢的。主人公たちがいる精神病院も怖い。
怪獣ものは超現実な想像力を刺激するから、「パシフィック・リム」など、見ていて楽しいのだが、これは現実に存在する生物が商業主義的な遺伝子実験の失敗によって巨大化するという展開。ゴリラ、オオカミ、ワニが巨大化するという選択は登場する瞬間が映像的に面白く、大都市シカゴが破壊されつくすところが見せ場。物語もシンプルで、タフなドウェイン・ジョンソンがユーモアと知性を具えて戦う姿には説得力があった。予算さえあれば、もっと多種類の生物の巨大化を見たかった。
テロで両脚を失った被害者なのに英雄として担がれたら、誰だってどうにかなる。ここまでだと〝さもありなん〟としか思えぬ内容だが、家族、親戚、友人といった周囲が驚異的に無知蒙昧で軽薄短小なのがミソ。身近な者こそ彼の苦しみに気付いて理解すべきなのだが、激烈バカゆえに想像力皆無なのでそれができない。この絶望を徹底的に描き、恋人の賢明さや優しさ、バカの壁を乗り越える主人公の強さが浮き立つ仕掛け。英雄とは何かというより、環境の重要さについて考えさせられた。
難病ものが刺さる年齢でもないし、10年以上前の日本映画がオリジナル。同作を観てはいるが、これまた響いたという記憶もない。しかし、アメリカを舞台にされるとロマンティックが止まらなくなるから不思議だ。親友がバイトするアイス屋、ピザが飛び交うホームパーティ、ゴツいピックアップトラックといったUSAしている画が、この手の作品の居心地の悪さを打ち消してくれる。だが、ヒロインの症状が進んでそれらの画が映らなくなると、やっぱり陳腐な話だなと思ってしまうのだった。
名作や人気シリーズの前日譚やビハインド・ストーリーを作るとなると、当然〝こんなことが!〟というものを入れるものだし、こちらもそれを期待する。だが、悲劇めいたもの、メロドラマ的なエピソードは、一切の常識が通じない一家との遭遇を描く本シリーズには必要ない。レザーフェイスも若き頃は、普通の人間として生きたいと〝狂気の血〟の継承に抗っていたなんて気持ちがあったとは考えづらいし、考えたくはない。だが、被弾による顔面グッチャグッチャなどのゴア描写は◎。
元特殊部隊員の霊長類学者という肩書のうえに、ゴリラと下ネタも飛び出す手話まで交わす。さすがにナシだと思ったが、スクリーン越しにD・ジョンソンから睨まれるとアリになる。つまらぬ観念を捨て、名手B・ペイトンのメリハリを利かせたタッチに乗れば、そのまま一気呵成に楽しめる。怪獣に挑むD・ジョンソンにヤワい武器を与えず、あの肉体に相応しいグレネードランチャーを持たせ、対戦車ヘリに乗せてチェーンガン、ロケット、ミサイルすべてをブッ放させるセンスも悪くない。