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女子スキーのモーグルで挫折した元選手がロースクールに入学、ひょんなことから始めた雑用のバイト。そこから、ポーカー・ゲームの主催者へと華麗なる転身をはかる。アメリカ人好みの実話もの。人生は偶然に導かれて流転し、年をとればその偶然が必然だったと振り返る。父娘の心理的葛藤なる悪しきフロイト主義に食傷気味になるが、モリーが下した「人生最大の決断」に、金や地位ではブレない女性の芯の強さを見る。もう少しポーカーの駆け引きがわかる演出にできなかったか。
90年代にトリン・T・ミンハは「実写と特殊効果が融合したハリウッド映画はアニメーションに近い」と喝破した。それから20年余。本作のウサギCGのフサフサ感やもふもふ感は、違和感なく実写部分と融合している。「実写ニメーション」とでも呼びたい細密さ。チャップリンとディズニーを足して2で割ったような、スラップスティック・コメディのネタが次々と惜しみなく投入され、大人しかいない午後の試写室は笑いに包まれた。子どもの付き添いの親たちも確実に楽しめる。
二十代後半までは貪欲に音楽を求めてたのに、昔の音楽ばかり聞いてる今日この頃。知らない音楽に触れるチャンスは映画を観るときくらいだが、フランスの歌姫ダリダの音楽と人生には度肝を抜かれた。国民的なシャンソン歌手がエジプト人というのも、ダイバーシティに富んだフランス社会らしくていい。60年代から70年代の黄金期に、恋あり自殺未遂あり、インドで瞑想したり年下の恋人で苦労したり。なんとなく宇多田ヒカルの人生を思いだすのは同じトップスターだから?
NYにきたドイツ人小説家が、かつての恋人を探し出し、一緒にロングアイランドの外れにある思い出の岬を訪れるだけの物語なのに、なぜにかくも狂おしいのか。シュレンドルフは余計なフラッシュバックを使わず、長いカットや広々としたビーチを見せる空間設計で、ふたりの過去を想像させてくれる。人は年をとるとどうしても、現在よりも過去が想念や行動を規定するようになり、愛し合っていても一緒にはなることができない。自分の人生最後の恋を予示されるような体験でした。
モリーの常人離れした才覚は実話でないような実話として、物語の満足度が倍に。トップアスリートから賭博場の経営者に転身するまでは普通の伝記と映っていたが、女性オーナーとして成りあがり、さらに逮捕から裁判と進展するにしたがい、セリフの応酬でドラマはにわかに引き締まり、隙を見せずスピード感も増す。J・チャステインはやり手キャラがすっかり板につき、初監督のA・ソーキンは危なげない一歩。両者共今後に期待がもてる。ポーカーの知識があればもっと楽しめたのに。
世界一有名な英国のウサギの、絵本の可愛いイラストからCGI映像への飛躍ぶりに、まず驚いた。バトル・アクションとラブ・ロマンスをミュージカル仕立てにしたとあって、アメリカ映画のお家芸へのアダプテーションには、さらに驚く。ウサギVS動物嫌いの潔癖症男。この男の、心優しきウサギの理解者へのロマンス。派手なドタバタ騒動を繰り広げ、それを丸く収める結末にサプライズはないが、周辺の動物キャラが面白い。ウサギ同士の感情伝達〝おでこ合わせ〟の意味を初めて知った。
無論、稀代の大スターなのだが、ダリダを個人的には、多くの恋をして恋人に次々と自殺され、自らも自死した歌手という印象が強かったので、一番の関心事は彼女がどう描かれているか。ファムファタールではないダリダを、人気スターと一人の女性との、二つの人格を等分にドラマにしたバランスの良いアプローチに○。結果、ダリダの意志の強さと自信のみならず、ヨランダ(本名)の脆さとの拮抗が、心を刺す。ポピュラー音楽史を反映した絢爛な音楽場面と主演女優の美貌にうっとり。
中年の、いわゆる〝焼けぼっくいに火がつく〟筋立てだが、「主人公は私と合体したような人物」と言う監督自身の独白的恋愛論か。17年前に一方的に別離をした主人公が当時の恋人からの誘いで、現在のパートナーとの約束を反故にして、ドライブ旅行に出かけたのには、男って思い出を美化し過去の再燃を夢見るのが、かくも得意なのかと苦笑。だが二人の顚末が明らかになるにつれ、結局〝ゲス不倫〟みたいな……。反面、主人公に絡む女たちの、タフな現実を生きる逞しさはかっこ好い。
アーロン・ソーキン一流の膨大かつウィットに富んだセリフの応酬が小気味よい。脚本家出身らしく言葉のテンポが編集を含め映画全体を支配している。チャステインの演じるモリーは彼女自身が「女神の見えざる手」で作り上げた、男性社会の中で頭角を現すヒロインの系譜に連なる演技とキャラクターで、安定感は抜群。弁護士役のイドリス・エルバとの掛け合いは見ものだ。優しい結末は「ソーシャル・ネットワーク」で組んだデイヴィッド・フィンチャーとの違いが浮き彫りに。
原作者であるポターの描くハンドメイド感あふれるタッチの絵柄と、ちょっぴりマザー・グース的な皮肉の効いたレトロな世界観に馴染みがあったので、実写化にはかなり懐疑的だった。映像ならではの情報量と色彩の豊かさ、声の演出による違和感は今も拭えないが、ピーターのいたずらっ子な気質がやんちゃなお調子者っぽくデフォルメされ、絶妙にチャラい雰囲気がキャラクターデザインの目つきにも表れていたり、ご機嫌なエンタメになっていて笑える。これはこれで再解釈として面白い。
恋多き女でありながら、交際相手が次々と死を選び、人気者であるがゆえに母親になることも叶わなかったダリダ。偶像を売るスターという職業は、男女ともに受け手の疑似恋愛的な感情に人気が左右される、またその感情を意図的に利用する商売であるだけに、私生活の充実とは根本的に相性が悪い。ダリダ本人のビジュアル然り、本作で彼女を演じたモデル出身のアルヴィティの野生的な美貌は、女性であることとショービジネスの世界で成功することの両立がいかに困難であるかを体現する。
浜辺で戯れる若い男女は眩しいけれど、大人の二人には何らかの事情を感じざるを得ない。当然、空も真っ青より薄曇りが似合う。男性というだけで十分にロマンチストなのに小説家でもあるときたらその極み。安全な場所から過去に甘い夢を求める彼の姿は、しっとりとしたラブストーリーのルックを持った作品であるにもかかわらずとてもマッチョだ。演じるスカルスガルドの体格のよさがそれを物語り、対するニーナ・ホスの硬質でシャープな存在感が象徴する女性の視点と好対照を成す。