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安房直子の童話『天の鹿』を思い出す淋しい物語だが、マーリア役のアレクサンドラ・ボルベーイの佇まいが好きだ。周囲に甘えたり媚びたりせず、初恋にもマイペースなところがいい。掃除婦のアドバイスや恋をした時に聴くべき音楽に耳を澄ませ、ポルノ映画を凝視するなど、満身創痍で恋に向かう様は、臆病だがクールな野生鹿のようでもある。やがて頭ではなく、心と体で恋を実感する中で、目を瞑り、嘘をつき、他者と対峙した時の身の処し方を知り、彼女は大人になっていく。せつない。
世界各地で活動するRBSSメンバーの様子をぐるぐるつなぐ構成は、記念写真で笑顔になれない彼らが晒されているリアルな恐怖を、浅はかな私にも教えてくれる。命を狙われたアジズの、煙草を持つ手の震えを捕らえたカメラは〝聖戦〟に命をかけるタフな彼の足も、肩も、全身が戦いていることをしっかりと見せる。やがて疲れ果て、眠りに落ちた彼がある音で目を覚ますシーンに、闘士のよるべなさ、脆弱さが立ち上がる。しんどい映像が続くが、希望香るラストの笑顔までしっかり見届けたい。
フローズン・ダイキリの故郷で寛いでいたかと思いきや、渋谷スクランブル交差点を闊歩するシューマン。劇中の言葉を借りれば〝明日をも魅了する〟背中がセクシーだ。気の向くままに世界を放浪し、各地の名店をふらりと訪れる、さすらいのバーマンの気どらぬ魅力を、編集のセンスが巧みに引き出す。ジャパニーズ・ルンバ(!)をはじめユニークな音楽も、映画の口当たりをなめらかにする。一方で、日本の席料(お通し代を含め由々しき問題)にもきっちりと言及する鋭い眼光には恐れ入った。
朝、家の外に出て「いい天気だ」と言い合い「またいつか」と笑顔で別れの挨拶を交わすありふれた光景。チョー・ヨンピルの大ヒット曲『おかっぱ頭』で始まる本作は、小市民の生活を朗らかに描くことで、彼らの目の前で起きている、光州事件の残酷さをあぶり出す。口ずさむ『第三漢江橋』の歌詞のように流れてはいけぬと光州に引き返す時。娘とのエピソードをふまえつつ遺体に靴を履かせる時の主人公の優しさ、正義に胸がすく。新緑の如き清々しいそれらは凄惨な事件に全くそぐわない。
愛を諦め、愛することを忘却しようとする人々に捧げられた愛ある叱咤の映画。まずは自分たちが一介の動物にすぎないことを思い出せ。牛肉精製工場で牛たちが殺され、解体される。貴い生命が一塊の食肉と化すまでの工程をあっさりとカメラがとらえる。そのあと主人公たちは真冬のキリッと醒めた雪景色の中でメス鹿とオス鹿に変身して再会する。タナトスとリビドーが夢ではあられもなく同居するのに、現実の関係性ではあまりにも慎重で、この思慮深さはもはやプレーの領域だ。
ISIL対SNS。まさに現代を代表するダビデとゴリアテの戦いだ。シリア北部ラッカを占領後、ISILはここを「首都」と定めるが、レジスタンスはネットを武器にする。彼らは虐殺され、亡命を余儀なくされ、ISILの広報は暗殺の恐怖を煽り続ける。画面を見るかぎり、追いつめられているようにしか見えないが、退却こそ彼らの戦術だ。リトリートしながらカウンターアタックを繰り出す。悲しいかな、閉塞せる日本でもリトリート戦術が有効となる日が近いかもしれない。
最もスリリングなのは終盤の東京ロケだろう。世界で忘却されたオーセンティックなカクテル・レシピを墨守する日本のバーマンたちは、その過激な正統性追求ゆえにかえって世界の異端に属する。そしてその神学的違和ゆえに、液体の調合が至高芸術たり得てもいるのだ。突如としてサッカーの元バルセロナ監督グアルディオラがブニュエル自伝の一節「バーは孤独の修行だ。かすかにであろうと音楽はお断り」と朗読し始めた時点で、このドキュメンタリーの作者は信頼できると確信した。
チャン・フン監督はキム・ギドク組の助監督出身とは思えぬほど徹底的なエンターテイナーだ。テーマが北朝鮮だろうと光州事件だろうとスリルあり笑いありに仕立て上げる。現代韓国を象徴する監督だし、泥舟たるキム一派から足抜けしたタイミングも抜群。光州事件というといまだにイ・チャンドン監督「ペパーミント・キャンディー」(00)の苦渋に満ちた自責が思い出される。しかし本作のソン・ガンホにそんな自責はなく、権力の横暴に物申した民衆の自意識を完璧に代弁している。
心に病を抱えた女がいて、体に障がいがある男がいる。2人を繋ぐのが〝夢”というところがすごく面白くて。舞台は牛の屠殺場。そこで働くことは人間の荒廃、とは描かず、当たり前に淡々のこのタッチがよくて。主役男女の病と障がい。それを大仰に描かず、その人に付随したものという捉え方。となると、彼らの互いの孤独感が呼び合ったわけで。人間は心だけでもなく体だけでもない、なにか言葉にならない不思議なものをもっていて、それが〝愛”を生むのだと。これぞロマンティシズム!
地元ジャーナリスト集団がSNSで世界中にラッカの現状を発信する。今、そこで起きている公開処刑などを。ツラい。痛い。怒りがわく。ISも同様にSNSでプロパガンダを発信。こちらは米映画みたいにカッコいい。つられて若者や子どもたちが志願する。映像が武器となって現実に影響を及ぼす、そこには両面性があるのだと。この作品、編集と音楽がちと威勢がよすぎの気もして。が、ISに殺人予告をされた男がいて、そのからだの震えをカメラが凝視する。そこに本物の映像の重みが。
カリスマ・バーマンが数カ国の酒場を漫遊。それぞれのバーテンダーのバーに対する想いやカクテルの作り方に違いがあって、興味を惹かれた。面白かったのは各人のシェイカーの振り方で、主役のシューマンは豪放磊落。日本人はスタイリッシュで律儀。キューバ人はジューサーで大量生産というのが笑えた。正直、こういう素材が作品として成立するのかと思ったけど、シューマン氏のハードボイルド的風貌につられて映画もちょっとカッコよく、結構楽しめた。さて、一杯飲みに行くか。
光州事件をシンコクで綴らず、笑いとハラハラの味付けで見せたこの脚本と演出。そうなると主役のソン・ガンホはまさに適役適演。政治など無関心のこの運ちゃんが、しだいに事件に巻き込まれて、最後は光州に引き返すかどうか逡巡する。ここはガンホの独壇場となって心を打つ。対する独人ジャーナリストのクレッチマンは、脚本の書き込みがもう一つ薄く、ちと食い足りない。終わりに近づくほど娯楽に寄りすぎの感も。巻末のガンホのカットはなくもがな?