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アラまた、お呼びのかからない女優が主人公なのね。「ピンカートンに会いにいく」の内田慈も、「犬猿」の筧美和子も、年齢や設定は異なるがアイドル崩れの売れない女優。ま、それはいいとして、主人公の無神経さが、そのまま脚本、演出の拙さになっているのがつらい。シングルマザーだった姉の訃報で話が動き出すのだが、そうアッサリ人を死なせるな。しかも姉は〝泣き屋〟をしていて、その上、同業者まで登場。いくら地方が舞台でもどこの国の話かと思う。星の一つはケナゲな少年役に。
勇気があるというか、無謀というか、かなり野心的なダンス映画ではある。クラシックバレエに飽きたらなくなったダンサーが、自分だけの自由なダンスを踊ろうとする話。で出会ったのが一度はドラマーを諦めた男のビート。劇中、主人公が踊るシーンや、ドラムを演奏する場面が何度もある。がゴメン。ダンスもドラムも映画としての説得力はゼロで、自分たちだけでウケている。映像も演出も同様で、脚本だけが大言壮語。こういう作品こそプロ級のダンサーとドラマーが重要なのに、無茶!!
我が家から数分のところにある新宿歌舞伎町の一郭にはホストクラブが乱立していて、看板や店頭にはホストたちの顔写真と源氏名がズラリ。顔も名もほとんどジャニーズ系、もしくはEXILE系で、この「ハニー」で茶髪の大雅を演じる平野紫耀の、大雅という名も紫耀という名もある。共演の横浜流星の、流星の名も。そうか、アイドル名とホスト名はキラキラネームがお約束なのね。テナことをぼんやり考えながら、少女漫画の定石通りのキャラと展開を、ひたすら寛大に観ている私。
このタイトル、「ブレードランナー」の原作として知られるフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のモジリ? だとすると30歳を目前にした主人公役の武田梨奈は、誰にもかまってもらえないアンドロイドってか。「ハイキック・ガール!」ほかのアクション映画はともかく、シリアス演技にいまいち難がある彼女だけに、アンドロイド、正解かも。それにしても3人組強盗団の素性がナサケない。でも乱暴なりに伏線とオチもある。これでもっとテンポがあれば。
ゼロ年代中国映画に葬儀の泣き女を描く「涙女」というのがあった。この商売はいまも中国韓国ベトナムなどにあり、かつては日本にもあった。「涙女」は都会生活に失敗した女性が田舎で泣き女となって再生する話でアジア的土着が救いにもなるみたいな方向だが、本作ではその商売はもうちょっとフィクション的で、プライドと真摯さの釣り合いがとれてない女優である主人公が演じることを見つめ直す契機として機能する。見終えると平凡な言葉である本作題名に血が通うのが感じられる。
「グレイテスト・ショーマン」を観たときにそのダンス場面が全部心象や象徴だったのはひっかかった。そういうミュージカルもあるがあれでは元ネタの史実上のショーの置き換え表現の意味が強すぎる。その点本作は、映画のなかでダンスや音楽をやっている人のそれを見せるバックステージもの系としてすっきりしてる。人物の成長や葛藤もその表現行為に即して語る。生ドラムの伴奏とダンスも新鮮。単純だとしても「グレイテスト~」以上の強度がある。その直截に魂を狙う意志やよし。
もう六年ほどこの欄のため強制的に少女漫画原作恋愛映画を見せられる生活を送ってるが意外と飽きてない。自分的にはその映画が主人公らの親をどう描くかが評価のポイント、理解の手がかり。本作で高橋優(この眼の据わりと存在感は新たな俳優の発見)が好演した、主人公平祐奈の親代わりの叔父はよかった。平が助演してた「きょうのキラ君」の飯豊まりえの父親役の安田顕に匹敵。清水宏の映画で描かれる、こどもはその存在自体が既に育てる者に報いている、と同じ主題があった。
日本映画はいまだに武田梨奈のポテンシャルを活かしきれてないのではという気がする。などと言うと、駅で彼女が電車を待っているときに酔っ払いが〝ちょっと蹴ってみろ〟と絡んできたのと同じことになってしまうのか(という逸話を彼女は昨年末某所の一日警察署長を務めた際に披露。ふざけたことを言うてるとローキックで脚の骨を折るぞではなく、蹴りませんよ、そういう迷惑行為はやめようねという意味で)。本作は酒井美紀も美しかった。しかし武田映画としてもっとなんとか。
東京に生きる〝意識が高そうで実は意識の低い〟地方出身で女優志望という今も昔も変わらぬヒロイン像。その普遍性を都会ではなく、地方で描いているのが本作の真髄。女優・久保陽香と女優であるヒロインが、現実と映画の中の現実との狭間で入れ子の状態を形成。泣き屋という特異な職業を題材にしながら、女優という特異な職業が何であるかを解体しつつ、〈泣く〉ことにおける演技論をも暗喩させてみせている。同時期公開の「たまゆら」とは異なる魅力を放つ久保陽香が出色。
幼少期よりバレエやダンスを経験してきた服部彩加とONE OK ROCK結成時にドラマーだった小柳友。堀江貴大監督は「いたくても いたくても」でも役者の肉体を駆使することで映像に躍動感を生み出していたが、本作においても役者の潜在的な力を引き出すことで「本物」=「リアル」な躍動感を生んでいる。そして役者の演技だけでなく、カットとカットの繋がりにコマ単位のこだわりを感じさせる編集や撮影によっても躍動感を生み出し、至福のクライマックスを導いている。
東映のロゴマークに相応しく、本作は雨の中の乱闘で幕が開ける。冒頭から〈東映不良映画〉の系譜を刷り込ませることで、キラキラ青春恋愛劇の合間に挿入されるハードな喧嘩場面に対する違和感を払拭させているのがミソ。登場人物たち各々のバックグラウンドには、両親の死・母子家庭・帰国子女という悩みを内包させていることにも気付く。つまり、各々が悩みを抱え、支え合う相関関係を違和感無く生み出している。また、叔父を演じる高橋優のエピソードを丁寧に描いている点も一興。
フィリップ・K・ディックの小説をもじったタイトルが示すように、本作には「ブレードランナー」の小ネタやオマージュが満載。それらを探すことに気を取られていると、いつの間にか物語の本質を見逃してラストでまんまと騙されてしまうのが真骨頂。捜査や逃避行という要素においても物語がなぞられているということも、後になって気付かされる。『ワカコ酒』でも聞き心地のよいモノローグを披露した武田梨奈。「ブレードランナー」同様、これを削除したバージョンも観てみたい。