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名声を求める夫に「愛を欲張らないで」と裕福な出自の、所謂身分違いの妻は言う。しかし他人の夢で喝采を浴びる虚しさに、夫はなかなか気づかない。雪の中、象にまたがる姿だってサマになる夫=ヒュー・ジャックマンの魅力で駆け抜ける華麗なるミュージカルだが、人生において夢を見る喜びと、生きていく上で足るを知る知恵、主人公が抱える相反するテーマについては、風呂敷を畳めず終わった感が拭えない。ザック・エフロン&ゼンデイヤの空中ダンスナンバーが最高にロマンチック。
関税消費税庁のファーカーソンが「こちらはプロだ」と言えば、ワゲット大尉は「相手もだぞ!」と返す。5万ケースのウイスキーをめぐって、当局と攻防戦を繰り広げるトディー島民とは一体何のプロなのか? ウイスキーの隠し場所を喋ってしまうおバカさんも、いくつになっても息子を幼子扱いする頑固おかんも〝命の水〟ウイスキーで慰め合い、ダンスを踊ればみな仲良し→機嫌よく生きるプロと見た。全篇スコットランドロケ撮影によるほっこりした島の雰囲気も寝てばかりの犬もかわいい。
長江をおんぼろ貨物船で遡る男の、現実と秩序のねじれた旅には、やつれゆく男と若返る女、黒い魚とヨウスコウイルカ、水底に捨てられた町と李白らに愛された絶景など、意味深長なモチーフがちりばめられている。天安門事件の起きた89年、当時の最高実力者・鄧小平が市場経済を加速させ、20年後には世界最大の水力発電ダム・三峡ダムが完成。長江の流れがせき止められた歴史的背景も偶然ではあるまい。船のエンジン音と弦の音との奇妙なビートが耳に残る、荒涼とした哀しみと共に。
〝えぇっ、こんなオチ!?〟と思わせながら、ゆるりと蛇行するストーリーが〝これは思いつかなかったぞ!〟という愉しいエンディングに至る時、ラブコメディを観て笑っていたはずが、異文化=他者との距離感をはかりあぐねる、わが身の深層心理へとはね返って、ザラリとした感触を味わっているというふしぎ。BECKの『DEVIL’S HAIRCUT』から、作品世界へと引き込んでゆく、マイケル・アンドリュースの音楽もおもしろい。実話に基づく脚本(主人公は自身の役で出演)だなんて!
19世紀に実在した興行師を中心に米国ショービジネス発生史をどんなふうに開陳してくれるのか期待すると、夢と家族愛の両立譚に終始し、肩すかしを食う。「ラ・ラ・ランド」組の楽曲群、Ch・ノーラン組デザイナーの美術が生彩を放つ。ミュージカルはそれさえ揃えば勝ったも同然と言いたいところだが、脚本は人物の描き込みが稚拙。「上流社会は高尚で退屈な芸術、庶民は楽しい見世物」という図式に囚われすぎ、逆に主人公が自由な精神の持ち主にまったく見えなかった。
第二次世界大戦中、スコットランドの離島にウイスキーの供給がストップし、島民たちが一致団結して愛するウイスキーの確保に奔走するだけという爽快なまでにバカバカしい本作は、国威発揚の意図を隠し立てさえしないままに黙示録化した「ダンケルク」などより遙かに貴重な試みだ。アレクサンダー・マッケンドリックが一九四九年に監督したイーリング・コメディのリメイク。スコッチの歴史は密造酒の歴史と言われる。確保してずらかる。この素晴らしき伝統よ!
おんぼろ貨物船が上海の河口を出発し、怪しげな物資を載せて長江を遡行する。世界4大文明はいずれも川の文明であり、川とは私たち人間の時間そのものである。船の航行は長大な横移動であり、人類史の再考であり、長巻の山水画をスーッと捲りつつ小筆で跋を書き入れる手の動きであると同時に、映画の移動撮影についての洞察ともなる。この幾重にも意味が重層化した一隻の運命を、名手・李屏賓が超絶撮影で魅せまくる。西洋絵画の伝統と異なる詩画軸の新たな可能性を映画が拡げた。
主人公が売れないお笑い芸人という点で「火花」を、愛する女性の突然の昏睡という点では「8年越しの花嫁」を思い出した。この2本の日本映画との大きな相違は、パキスタン系男性と白人女性の結婚の難しさを悶々と説き明かしている点で、人種・宗教という障害がなければ腑抜けたラブコメに終わっているところだった。ショー出演中の主人公が白人観客から「ISISに帰れ」と野次を受けるなど、急速に閉塞化するトランプ政権時代の風刺的側面が強い。
あの「怪物団」の世界をミュージカルに仕立てたのかと胸がときめいた。下層階級から成り上がった男が、彼らとともに世間を騒がし、そして遂には喝采される。そこに絞り込めば、この作品、画期的だと思ったのだが。そうか、やっぱ家族愛に落ち着くのか。なんだか肝心要のところから眼を逸らされたような思いが残って。それより何よりも、ソング&ダンス場面のあわただしさ。CGの装飾も過剰の感が。演者の歌と踊りをじっくりキャメラで追う。そんなミュージカルは今では夢のまた夢?
昨年の「ダンケルク」以降、第二次大戦下の英国が舞台の映画が続々。これもその一篇だけど田園ならぬ離島喜劇で、のんびりした風情。イーリング・コメディと呼ぶには毒気がなくヒネリにも乏しい。けど、70年代頭あたりまで作られていた英国大衆喜劇に較べれば、泥臭くなく、さらっとした味わいで。島民総出で大量のウイスキーをネコババする顚末を気楽に愉しんだ。こういう小品が「007」みたいな大作娯楽映画の併映だったよなあと、なんか懐かしく。49年作のリメイクか。道理で。
すべては説明されない。もどかしい。分からない。だけど「1989年、彼女の笑顔を見た」という独白で、糸口を手繰り寄せた気がして。天安門事件。そこから現在に至る苦悶、焦燥、絶望の想いを河上りの旅のイメージで描写したのではと。船と付かずかず離れずに出没する女。それは主人公の夢想と現実を反映した幻影か。まるで水墨画を思わせる映像。とろけるように見事な撮影に酔わされながらも、中国、そこでずっと生きてきたこの作り手。その哀しみと切なさに、ひりひり胸が痛み。
米国在住のパキスタン人が主人公というのが面白くて。しかもスタンダップ・コメディアン。笑わせて、ちくり今の米国も刺す。その家族のお見合いの習慣が、かつての日本を思わせて微苦笑。対するアメリカ人女性のぱきぱきぶり。この二人が付きあっての経緯は等身大の自然さ。やがて女の大病。男と、女の父母とのやりとりがハラハラでクスクスでやがてシンミリという、この語り口に乗せられた。日本の難病映画も見習ってほしい。終盤部、想いが入りすぎて少し冗漫になったのが惜しい。