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まず理屈抜きに「糸」の美しさに目を奪われる。それから「羊」の愛らしさにも。YARN(糸)を共通項とする四組のアーティストを紹介するドキュメンタリー。彼女たちの作風は四者四様だが、編み物をアートにまで(結果として)高めた点で繋がっている。いや「高めた」という言い方は間違い。編み物はそれ自体が芸術なのだ。国際的に活動する日本人テキスタイル・アーティスト堀内紀子の姿も。監督ローレンツェンは軽快洒脱なタッチで、門外漢にもYARNの魅力を教えてくれる。
幾つになっても子役っぽいキュートさの抜けないクロエ・グレース・モレッツ的には勝負作と言えるだろう。「抗NMDA受容体脳炎」はいわゆる「悪魔憑き」の原因とも疑われている病気で、2007年に病名が付けられるまでは原因不明、治療法不明の難病とされていた。この病いに罹り、闘病の末、治癒した原作者と役名も同じであり、このことからもこの映画が原作の忠実な再現であろうとしていることがわかる。モレッツは刻々と進行する自己崩壊を熱演していて、一皮剥けた感じだ。
たぶんそんな筈はないのだが、まるで「ラ・ラ・ランド」と「PARKS パークス」へのレスポンスのような作品に思えた。「ミュージカル」と「音楽映画」の(あくまでも現在形の)ルネッサンス。だが、あまりにも人工的な、明確に意識的に浮世離れした画面造型の方針と、それが実に見事に決まっているがゆえの逆説的な物足りなさも感じてしまった。監督の狙いがそこだとしても、ここまで表層的なハッピー感満載でいいのだろうか、とか。でもこれは好みの問題かもしれない。
カサイ・オールスターズを従えてヒロインが挑みかかるように歌う冒頭場面は、ドキュメンタリーにしか見えない。とにかくフェリシテを演じるヴェロ・ツァンダ・ベヤの存在感が凄い。これもまた昨今流行りの手持ちの寄りショットが多用されているのだが、フェリシテを凝視し続けるような絵作りがおそるべき効果を上げている。カサイと対照的なアルヴォ・ペルトの音楽に最初はやや戸惑ったが、この趣向によって本作は望ましい「外部」を獲得している。ストーリーはダルデンヌ兄弟的かも。
ニッティングという行為は、実際に手を動かしてみると非常に地味な作業ではあるが、一本の糸から形あるものを編み上げていく過程はヴィジュアルとして映えるし、生きていく上で人が直面するいろいろな側面を投影するのに適している。だからそれに携わる人々の思いや実績も伝わりやすい。編み物が女性の属性のように見えるのは気になるけれど。それに比べると文章を綴ることは、具体的な工程を可視化するのがずっと困難であり、その労力や実態は見えづらい。ちょっと羨ましい。
前情報ゼロで観始めたらホラー映画並みの怖さだった。闘病ものは数あれど、病に抗って生きようとする姿を描くことがメインである場合がほとんどだ。でも本作では若い女性が原因不明の症状に襲われ、病名も治療法もわからないまま、自分の体と心とその人生がじわじわと失われていく様を、時間をかけてじっくりと丁寧に撮っていく。彼女の困惑、不安、恐怖、衰弱を、文字通り共に味わっていくことになる。運命に翻弄されるクロエの繊細な熱演とそれに寄り添う演出が好ましい。
ミュージカルの歌にはミュージカルらしさというものがある。ロックやジャズと同じように、その楽曲や発声や歌い方は一つのジャンルといえる。ところがこれはミュージカル映画の作りながらいわゆる普通のポップソングを使っているところが面白い。声や歌詞が体に入ってくる馴染み方が全然違う。それも現役のバンドメンバーやミュージシャンをキャスティングしているからこそだろう。それに基づいた演出は、ポップソングを芝居にするとどうなるかという実験にもなっている。
息子の脚を守りたい一心で、思い当たる限りの人と場所に出向き、なりふり構わずお金の無心をし、どんな仕打ちを受けようとも手に入れるまではテコでも動かない覚悟で、手術費用を集めて回る。無駄なパフォーマンスは一切せず、目的をありのまま真っ直ぐにぶつけるフェリシテの、迷いのなさすぎる表情と佇まいは、畏れによって相手を動かすに足るものだ。そういう形でしか表れ得ない強さの悲しいこと。その武装した心が崩れたとき、音楽と歌声の鮮やかなグルーヴが生き生きと輝く。
YARNとは糸を紡ぐの意。映画は毛糸を編むことによって自己表現を志す女性アーティストたちのドキュメンタリーだ。その「作品」とは、毛糸の着ぐるみで町を練り歩いたり、町中の郵便ポストにセーターを着せるなど街頭や海岸でくりひろげるパフォーマンスで一昔前に流行ったハプニング、コンセプチュアル・アートなどと言われたものだ。作品として評価するなら、紹介されていないが、日本作家のタブローの方が、緻密で美術的にも工芸的にもすぐれていると思うがいかがだろう?
クロエ・グレース・モレッツ扮するヒロインが幾度となく繰り返す奇矯な行動や激しい発作はさながら悪霊に取り憑かれたようでホラー映画のタッチだ。「抗NMDA受容体脳炎」という奇病は『エクソシスト』のモデルとなった少年の病だと知れば納得できる。実話の映画化だというが、映画の大半は21歳ヒロインのジャーナリストへの野心、献身的な恋人、離婚している両親などメロドラマ的展開に終始しているが、この奇病の医学的、社会的な背景をもう少し知りたいところだ。
台湾版「ラ・ラ・ランド」を狙った意図はあきらかで、群舞シーンや歌曲も悪くなく、台湾のエネルギーを感じさせるボーイ・ミーツ・ガール映画になっているのは監督ウェイ・ダーションの職人技だろう。だが、ミュージカルとしてはいささか魅力に欠ける。終始ツナギ姿で奮戦するジョン・ジェンインはキュートで可愛いが2時間のミュージカルを支えるには華に欠ける。歌と踊りで陶然とさせて欲しい。サイドストーリーの作曲家志望の青年スミンの話が本来ならメインであるべきだろう。
世界一危険な街と言われるコンゴの首都サンシャサ、そこのバーで夜毎歌うフェリシテのタフな生き方をカメラは追う。一人息子の不幸な事故をも時系列に沿って、なんら作為をまじえずたんたんと撮っていくが、壁にもたれてうずくまる彼女の悲しみと絶望は胸を打つ。しかしそんな悲劇を超えて、このドキュメンタルな映画が我々の心を揺さぶるのは、フェリシテという女性の人生であり、音楽であり、彼女の住む街の混沌とした生命力であり、背後から彼女を包み込むアフリカの自然だ。