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巨匠F・ワイズマン監督の「パリ・オペラ座のすべて」(09)と同工異曲の感がなきにしもあらず。外部をシャットアウトし、説明ナレーション抜きでオペラ座内部のみを被写体とする点も同じだ。ただ、あちらがバレエ中心ならこちらは歌劇中心で、別の楽しみ方があり、さらに撮影時期の問題だろうが、ストライキやパリ同時多発テロなど、外部のかまびすしさがこだまする。ロシアの田舎から出てきた新人歌手の垢抜けない風貌と誰の耳にも明らかな才能の対照が印象的だ。
生前の情報に乏しいボスの生涯について、いったいどんな要領でホラ話めいた伝記をでっち上げてくるのかいささか気が重かったが、蓋を開けてみると、まるでNHK『日曜美術館』のように生真面目な鑑賞手引きに専念しているのが意外の感もあるし、好感も持った。ただし映画としての驚きもないが。プラド美術館所蔵の傑作『快楽の園』は、私もマドリード滞在時に幾度か見たが、一度の鑑賞では受け止めきれぬ豊饒さがある。その豊饒さを愚直に訴え続ける本作の姿勢は誠実だ。
「ダンサー、セルゲイ・ポルーニン」を見た時に痛感したのは、どんな天才がそこにいたとしても、バレエは一匹狼の芸術ではないということだ。作品はチームによって作られる。チームワークこそバレエだろう。M・ベジャール・バレエ団の『第九』公演を記録した本作は、集団性を注視する。ただし彼らの前途も安泰ではなさそうだ。ベジャールの薫陶を受けた団員が健在のうちは、亡きカリスマの精神が受け継がれるが、いずれそれは摩滅する。本作はその不安も漠然とだが記録している。
セレブのあいだで多大な支持を受ける靴デザイナーが被写体とはいえ、業界臭が映画全体に充満し、有名人との愉しげな社交や手放しの賞讃が延々と続く。本作を、業界臭に対する自虐的風刺劇として捉えた方が面白い。主人公がいかに靴を愛してきたか、女性の脚に取り憑かれてきたかという点は、きちんと語り起こされている。でも企業秘密ゆえか、実際に皮革と格闘し、一つの作品が生まれていく工程を1カットもまともに見せてくれないのだ。こういう映画の作り方ってあるものだろうか。
経営陣の動きがあって、バレエの楽屋裏があって、オペラ歌手の交代劇があって、本物の牛の出演があってと、次は何が出てくるのか、わくわくどきどきの楽しさ。なんか市川崑の「東京オリンピック」を思い出す。表舞台がメインじゃなく、裏方も含めた人間スケッチてなところが。構成的にいうと少し盛り込み過ぎの感で、細切れエピソードの羅列の印象も。が、これだけ面白いことが続出すれば、編集で捨てがたいのも分かる。ロシアの新人声楽家を軸にしたのが効果を挙げ、背骨はぴしり。
凄く眼を惹かれる絵画がある。それも三連の大作だ。立ち止まってじっくり鑑賞したい。でも映画ではそれを、監督の視点に合わせて見るしかない。断片の継ぎ合わせとして。おまけに耳元で様々な人々が呟く。どんな絵かこちらが探っている時に、称賛やら解釈やら意見をまくしたてる。少し静かにしてくれと言いたくなる。この画家と作品を教えてくれたことには感謝する。だけど映画で絵画を描いて、レネやクルーゾーは寡黙だった。音楽をベースに流し、作品の魅力を見せきった。官能的に。
一つのバレエ公演がいかに成し遂げられたかのメイキング映画なんだけど、すごく厚みがある。リハーサルを積み重ねるダンサーたち、その動き、それを追う撮影、編集の感覚がよくて。彼らの国籍もフランスでスペインでロシアで日本でと多彩。これがソロで紹介され、やがて大きな束になっていく醍醐味。妊娠で離脱のプリマバレリーナが一人稽古場の繊細なタッチ。ベジャールを崇拝のこの出演者たち、そして作り手のスピリットが、磨きに磨き抜かれた映画スタイルで繰り広げられ。陶酔。
いやもうまったく関心のなかった世界を見せられて。超一流の靴デザイナーのドキュメント。なるほど、その作品(商品)は美しくカッコいい。ずっと鑑賞したくなるほど。ひと癖ありそうなマノロの人物像と経歴も、ご自身と、親しい有名人たちのインタビューで的確に構成。門外漢のこちらにもなるほどと思わせる。個人的には、60年代のカリスマ、D・ベイリーの現在の姿に感慨が。マノロ工房における靴製造の過程をじっくり見たかった。その手仕事の凄みを。でもそれ、秘密だろうなあ。
転換期にある、揺れるパリ・オペラ座に密着。芸術の殿堂をとらえた作品にしては、芸術や芸術家に対する過剰な憧憬がない視点が独自のカラーになっている。かといって、ただクールで、愛や敬意がないわけでもない。芸術を生み出す現場は丁寧にカメラに収められ、そこで仕事をする人たちが等身大の〝人〟として映し出される。芸術組織は、社会の中でいかにしてあるべきか。そんな問いかけがこの映画では貫かれているように思われるし、それはとても現代的な方向性を示している。
15世紀のオランダで描かれたという、ボスの三連祭壇画『快楽の園』。引いてその全体像を見ても、奇妙にスペクタクルで、明るいようで猥雑で、何とも異様な画だ。このドキュメンタリーは、見れば見るほど時代を超越した気持ちにさせる絵画のディテイルを映し、解説し、にもかかわらず、ますます謎を呼んでいく。奔放なイメージとストーリー性が紡ぐのは、聖なのか、悪なのか。さまざまな分野の人たちの、この画に向けるコメントも自由で面白い。本物を目にしてみたくなること必至。
モーリス・ベジャールが振り付けた、ベートーヴェン作曲の伝説的な舞台『第九交響曲』を東京で上演。その背景を追うという意味ではオーソドックスだが、何しろ宇宙を感じさせる舞台のスケールが凄い。映画は、人類を象徴するような圧巻の群舞をつぶさにとらえるのと同時に、ダンサー個としての、たとえば、制作過程で妊娠したダンサーへの人生を包み込む目線もある。インタヴューも面白く、作品のテーマを掘り下げる。ベジャールの偉大さを再認識。神秘的な後味が残る1本。
マノロ・ブラニク、という名前を知ったのは、『セックス・アンド・ザ・シティ』を通してでありました。女性たちを虜にする優美なハイヒール。これは履きこなすのは大変なんじゃ、と思うけれど、ここに登場するヴァリエーションを改めて見ると、美しいし、品があって素敵。20世紀後半のカウンターカルチャーを享受してきた氏だが、現在の彼の佇まいや言葉は、節度ある人という印象だ。人をとらえたドキュメンタリーとしては薄い。でも、対象はやはり興味深いので、★半分くらいおまけ。