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『ドン・ジョヴァンニ』作曲にまつわるモーツァルトのプラハ訪問を題材にしたフィクション映画。監督ジョン・スティーヴンソンはジム・ヘンソンのアシスタントから出発した特殊効果畑の人で、これが本格的な長篇劇映画デビューであるようだが、どうも全体的に絵作りがテレビ的というか、いちおう歴史大作の割にはスケール感に乏しい。愛憎渦巻く陰謀劇なのだが、ストーリーの進め方もメリハリに欠ける。俳優は皆、美しいし、クライマックスに向けて盛り上がりはするのだが、うーむ。
言わずと知れたモーパッサン原作の文芸作品だが、格調よりも破調を、気品よりも不安定を強調した創意溢れる演出によって、紛れもない現代映画として完成している。ブリゼ監督は原作とは異なり、徹底してジャンヌの内面と記憶に寄り添うことで、ひとりの女の矛盾に満ちた一生を動的に描くドラマに再生させた。声たちと画面との分離と接合にはマルグリット・デュラスを思わせるところもあり、断片的な構成は一種の実験映画とさえ呼べるかも。それにしてもジュディット・シュムラが美しい。
自由な老父に振り回される生真面目な息子、というネタは最近よくあるが、これは男女が逆転していて、しかも母と娘の血の繋がりはない。初老を間近にした娘と勝手気儘な人生を歩んできた継母。娘の職業が助産婦という設定も効いている。ドヌーヴはもちろん堂々たるものだが、この映画を支えているのはカトリーヌ・フロの方だろう。親しみの持てる丸顔に困った表情を浮かべるさまがチャーミング。しかし30年間一度も会っていなかったにしては再会が自然過ぎるんじゃないかしら?
またもやナチス/ヒトラー映画。邦題の通りの史実を描いた作品で、英語題名は『王の選択』。監督ポッペはノルウェー出身だが、キャストにはホーコン7世を演じる、近年のラース・フォン・トリアー作の常連で、「僕とカミンスキーの旅」でも好演していたデンマークのイェスパー・クリステンセンを始め、スウェーデン、オーストリア、ドイツなどEUの実力派俳優たちが結集している。まるで舞台劇を撮ったドキュメンタリーのような、不安定なキャメラと細かいシークエンスが特徴的。
18世紀のプラハを舞台にした時代劇。豪華絢爛なオペラのステージや仮面舞踏会のシーンをはじめ、特殊効果やアニメーションを手がけてきた監督のセンスなのか、視覚的なイリュージョンをねらった演出が随所に見られる。お金と技術があれば不倫に三角関係にと泥沼のドラマも芸術的に見えてしまうモーツァルトマジック。クラシック音楽と官能描写の相性のよさも味わえる。衣裳もヘアメイクも美術も照明もあらゆるプロが渾身の力を尽くした超本気のコスチューム・プレイを堪能せよ。
じわじわと真綿で首を絞められるような2時間。不安定に揺らぐ手持ちカメラの映像は、どこにも逃れないのにどこかに落ち着くことを許さず、抑制された色調が息苦しさを煽る。わざわざ4:3サイズに設定された画面に閉塞感を覚えながらも、より小さな正方形の中にあらゆる情報を詰め込んで演出するインスタ画面には慣れ親しんでいるのだから皮肉だ。無論、グザヴィエ・ドランのように途中で広がったりはしない。どこか他人事のように人生を見つめる眼差しが妙にしっくりきた。
年齢を重ねてからの女同士の関係にはまだまだ可能性がある。人生も後半に差しかかった女性たちのドラマをこんなふうに描けるなんてフランス映画が心底羨ましい。奔放なドヌーヴと生真面目なフロの噛み合わないやり取りから生まれるユーモア、エスプリの効いたそのセリフ、みなまで語らず、されど殊更に勿体ぶることなく、さりげなく残り香を漂わせるような品のよい描写に監督の力量が滲み出る。自由に生きてきたならではのお一人様ドヌーヴの引き際はいかにも彼女らしい。
ノルウェーの現ホーコン王太子といえば、シングルマザーで麻薬使用歴もあったメッテ=マリット妃との結婚で世間をざわつかせた、かなりリベラルなお人柄。しかしその曽祖父に当たるのがこの映画の主人公ことホーコン7世だとなれば腑に落ちもする。走る列車内をナチスの爆撃から逃げ惑うスリリングな一幕で脅威を見せつけた末、最後の決定を下す局面の国王をとらえたシーンは、それを見守る人々の様子を含め、ドキュメンタリーのようにその場の緊張と不安が伝わってくるようだ。
シナリオは『ドン・ジョバンニ』『フィガロの結婚』から着想したようだが、史実とはほとんど無関係のようだ。変態的な猟色家サロカ男爵の絵に描いたような色悪ぶりををめぐって展開するストーリーは、オペラならともかく映画では決して楽しいものではない。肝心のモーツァルトが十分に描きこまれていない。自分の恋愛が招いたヒロインの死にいかなる責任を感じているかもよく分からない。どうしても「アマデウス」と比べてしまうが、この映画いささか下世話に過ぎるようだ。
あくまでも主人公ジャンヌの心理に寄り添い彼女の視点から描こうというブリゼ監督の徹底した姿勢は、この映画を19世紀の自然主義小説というよりは20世紀の心理小説、例えばヴァージニア・ウルフやプルーストの作品のような味わいを覚えさせる。客観的説明描写が無いため、夫の死の件などやや判りにくいが、一貫したスタイルには説得力がある。トリュフォー以降、映画評論家にとかく評判の悪いストーリー主義になりがちな文芸映画の弊を免れ、すぐれた女性映画になっている。
質素倹約、真面目一筋で生きてきた初老の助産婦、自由奔放な享楽主義者で、酒、博打、男に目がなく死期間近な零落した老女。30年ぶりに再会する二人を、二人のカトリーヌが競演するのは見ものだ。ドヌーヴが昔の愛人(フロの父)の自殺を知った時の取り乱す姿は流石と思わせる。ただし、過去の回想を封印し、現時点で語られるストーリーは、意図的なのだろうが、いささか消化不良を覚える。ドヌーヴが送ってきた波乱の人生と二人の離別の経緯に誰しも思いを馳せるだろう。
どうしても、敗戦の「御聖断」を下した我が天皇と比較したくなる。孫と遊び戯れ、戦火の下を逃げまどう国王だが、苦渋の選択を迫られた際、最後の拠り所となるのは、自分は国民に選ばれた王であるという矜持である。ヒトラーに屈しなかったかどうかはともかく、心中の苦悩はドラマティックだ。あくまで正論を吐き戦地に赴こうとする王子、ノルウェーに平和を願いながらもヒトラーに背けないドイツ公使、ナチス嫌いのその妻、傍系の人物がそれぞれうまく描かれているのがいい。