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アップを多用する映画は基本好きじゃないのだが、これは良い。兄弟監督が撮った兄弟の物語で、弟の方の監督が弟役を演じている。クライム・アクションなのだが、作品の主眼は犯罪の成り行きにはない。何よりもまず演技の映画であり、演技の細部を見せる映画だ。カンヌ受賞のワンオートリックス・ポイント・ネヴァーの表現主義的な音楽は大変見事だが、あれがなかったら(兄弟だからというわけではなく)たとえばダルデンヌと比較されるような作品だと思う。あるいはカサヴェテス。
まったく確信犯ではない、自分でもよくわからないうちに二重スパイになってしまう男という複雑な役柄を見事に演じ切るソン・ガンホはもちろんいいのだが、理想のためならテロをも辞さない反体制側の中心人物に扮するコン・ユが実に好演している。狡猾なんだか間抜けなんだかわからないイ・ビョンホンも印象的。叙事詩的なタッチはハリウッド映画、スコセッシ作品なんかを思わせる。ストーリーテリングはちょっと不器用な所もあるけれど、とにかく見せ場連続だし、最後まで飽きさせない。
「つづく」と出て途切れるみたいにして終わった「リアリティのダンス」の続篇。従って前作を観てからの方が楽しめる(というか、そうしないとたぶん物語がわからない)。マジック・リアリズムとリアリズムの自在な混濁ぶりは相変わらずとびきりユニークで、各場面のヴィジュアル的ケレンを味わうだけでも楽しめる。撮影監督がクリストファー・ドイルになって明らかに画面のルックが変わった。前作同様、怒り狂ってばかりの父親と歌ってばかりの母親が妙に可笑しい。目指せ五部作!
私は根っからの犬派で、猫も見てれば可愛いとは思うが飼ったことはないし飼いたいとも思わない(犬は飼ってないが飼いたい)。そんな私でもこの映画を見たらオイオイ可愛過ぎるだろ! と思ってしまいました。イスタンブールでも猫は猫。猫の習性というかアティテュードは万国共通なのだなあと。むしろ異なるのは人間側で、猫っ可愛がりという言葉が似合う溺愛はニッポン的なものなんだなと思った。トルコの人はもっとクール。イスタンブールという都市を描いた映画としても魅力的。
血の気が多く短絡的な兄をロバート・パティンソンが思いのほか好演。金髪がヤンキーにしか見えない。ドラマがリアルタイムなので過去はほぼ描かれておらず、予想の斜め上を行く強引すぎる言動の数々はコントでも通用しそうだが、こいつはしょうがないと思わせる説得力がある。人間的な深みをほとんど感じさせないことで、逆に哀しみすら想起させるとは、なかなかに高度。どうしようもない虚しさの漂うエンドロールが切ない。カンヌで受賞したサントラはところにより主張が激しすぎ。
勢いに乗っているコン・ユ、安心と信頼のソン・ガンホ、フィクサーのイ・ビョンホンという絶妙なバランスの布陣。ガンホの低くしわがれた抑揚のない日本語は、感情のこもっていない感じが、抑圧された環境を生きる葛藤の違和感として残る。1920年代当時を再現したクラシカルな美術と照明、衣裳が眼福。「イングロリアス・バスターズ」を意識したであろう爆破シーンはボレロの使い方もしてやったり。ラストの青年役のクォン・スヒョンは大抜擢で美味しい役どころだ。
表現者ホドロフスキーが誕生するまでを描き切った自伝的一大寓話叙事詩。芸術との出会い、父親の抑圧、性の目覚め、恋愛、友情といった青年期の普遍的なドラマからナチスの台頭を逃れてパリへと旅立つ時代背景まで、チリの町並みを舞台に詩、演劇、音楽、ダンスなどあらゆるアートを駆使した演出とドイルの躍動的な撮影との相性が最高にいい。さらに実の息子アダンに父子の確執を演じさせ、自分は神のような存在として出演するという徹底ぶり。アダンのイケメンぶりがまた麗しい。
猫との距離が圧倒的に近い。イスタンブールの猫たちがそうなのか、そういう猫を選んだのか、監督が警戒心を与えないのか、猫の生活のテリトリーにかなり入り込んで撮っている(ように見える)。ただ、被写体はほとんど半ノラの猫たちなので、物理的には近くても飼い主が撮った動画とはまた違った距離感がある。猫というより人を見ているような感覚だ。彼らは人によってそれぞれにドラマを背負わされており、その意味で猫特有の自由さを奪われている。近さとは不自由でもある。
計画性もないケチな銀行強盗が、知的障害の弟が捕まったことから予想外の深みに落ちてゆく。巧みに造形された脇役たちがいずれも印象深く、鮮やかな演出と相まって斬新なアメリカン・ノワールが誕生した。最下層のギリシャ移民の主人公を演じるロバート・パティンソンの演技と存在感はハリウッドの全盛時代のジャンル映画でキャグニー、ボギー、ガーフィールドたちが演じたアメリカ底辺のアウトローたちを彷彿させる。痛烈な現代アメリカ批判でもある。
日本の植民地支配下の朝鮮を舞台とする骨太のスパイ映画。主役のソン・ガンホは朝鮮人でありながら抗日ゲリラ義烈団を追及している日本警察の警部。彼が最後まで日帝の狗であるわけがないことは観客は皆判っているが、それによってサスペンスが弱まることはなく最後まで緊張感は持続する。「バルカン超特急」さながらの列車内のスパイ狩りから終盤のクライマックスへ一気に流れ込み余韻を残して終わる。日本及び日本人の描き方も納得がいく。
自伝的な前作「リアリティのダンス」の続篇。強権的な父の意に反して詩人になるべく家を出たアレハンドロ青年の「若き日の芸術家の肖像」だ。放浪する彼を取り巻く奇矯にして真摯なアーティストたち! 彼等がたむろするシュールなカフェ! リアリズムにこだわりながらそれを越えようとするホドロフスキーならではの万華鏡のような世界だ。最後に父との和解を果たした主人公はシュールリアリズム運動真っ最中のパリへと出帆してゆく。続篇への期待は果てしなく大きい。
イスタンブールの人たちは、野良猫をまるで自分たちの共有財産のように大切にする。港町の歴史的風土なのか、国民性なのか? 個性的なノラが何匹も登場する。毎日レストランの戸を叩き餌をねだる猫に肉とチーズを与える主人。当然のようにそれをもらう猫。犬なら恩を忘れず忠犬となるのだろうが猫は媚びない。猫目線で描かれる猫と人間と風土の共存関係のユニークなドキュメントだ。それにしても幸せな猫たちだ。来世があるのなら、イスタンブールの猫に生まれ変わりたいものだ。