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ヴィルヌーヴだからこちらも期待が大きくなり、もっといろいろ深められたのではと思ってしまう。とはいえ、ディーキンズが実現する瞑想的な画面と、明滅するホログラフ映像と極端な音響が表現するノイジーな不安定さは、どんな言葉よりも多くのものを喚起。デ・アルマスの演じる役が、この物語世界のなかで持つ意味についても考えてみたくなる。次作は『砂の惑星』だそうで、このままだとSF大作専門の監督みたいになってしまいそうだけれど、それは果たしていいことなのかどうか。
長大な原作から少年時代パートを抽出し、性行為の部分はほぼ削除して、広く愛されるジュヴナイル映画に。怪物に襲われる恐怖よりも、自分のなかにある孤独感やトラウマとの闘いに重点が置かれているので、怖さはわりと控えめ(個人の感想です)。撮影は「イノセント・ガーデン」「お嬢さん」のチョン・ジョンフン。本作とは狙いが異なるらしい、キャリー・フクナガが監督として準備していたヴァージョンも気になる。すでに製作が告知されている大人時代パートのキャストも気になる。
おバカ映画と思いきや、かなりシリアスな恋愛ものかと思えてきたところでさらに想像を超える展開があり、アン・ハサウェイ案件にふさわしく、女の自立をめぐる物語へと着地する(と言えるかもしれない)。美術装置がこれほど雄弁な映画も珍しく、グロリアと恋人のアパート、実家、大きく仕切られたバーなどの室内装飾が、どれも主題に関わる重要な演出効果をもたらしていて、とりわけ、オスカーの家を初めて訪れたグロリアが室内を見て、彼の隠された一面を一瞬にして悟る場面は出色。
もたつく箇所が多いし、いまいちのコメディ・シーンも多いのだが、この映画をどうしても愛さずにいられないのは、カルヴィンに対するボブの度外れた崇拝の気持ち(ほとんど恋愛)に、俳優ロック様の不器用さがプラスに働いてほろりとさせられるのと、イジメ被害者の心に刻まれる傷の深さがはっきり描かれているから。ボブが大暴れしつつも基本「殺し」はしないことにも、若年層の観客を主たるターゲットとして意識しているのがうかがえる。映画の題名や俳優名への言及の多さも面白い。
続篇が見たいという期待に、充分こたえた出来ばえ。荒廃したロサンゼルスの市街や廃棄物処理場の光景など、美術、撮影、照明が目を見張る。ポップでありながら色彩は渋い。主人公ライアン・ゴズリングの苦悩も近い未来を予測して、よく分かる。レプリカントにどうしても感情移入してしまうのは、人間のエゴイズムが蔓延する世界の反映だろうが、ラスベガスの廃墟で、プレスリーやシナトラの立体映像を見ながら、ひとり酒を飲むハリソン・フォードを、そっとしておいてやりたくなった。
冒頭で少年が紙で作った船を追いかけて、水の流れとともに、邪悪なピエロ、ペニーワイズに接近して行く映像が巧妙。それを見ながら無関心な大人との対比もみごと。以下、ルーザーズ・クラブの少年少女たちもそれぞれの生活が、キングの原作らしく丁寧に描かれていて、土地に魔物がついている歴史的理由を孤独な転校生の少年が図書館で調べあげたりするのも、小野不由美の『残穢』の資料マニアと同じく、場所柄の恐怖を高めて、的確。血の誓いを立てたルーザーズの二七年後がたのしみ。
「プラダを着た悪魔」とは違った大きな目と口のアン・ハサウェイが見られて楽しい。ソウルに出現した怪獣とアメリカで毎日、酒を飲んで暮らす平凡な女の子がシンクロするという、とんでもない話はやはり、ハサウェイの顔と演技力がないと、もたないだろう。彼女の敵役となる青年を欠陥はあるものの、どこにでもいる気のいい人物として登場させたところはエピソードも含め、鋭い。物語の核となる空間や時間のひずみは筒井康隆の小説などでおなじみのものだが、ソウルに飛ぶのが笑える。
マッチョのドウェイン・ジョンソンがコメディを演じ、逆にケヴィン・ハートが真面目な会計士で、ひねりの効いたドラマ。ドウェインの方は高校時代、デブで、いじめられっ子だったが、やがて筋肉隆々たる大人になって再登場すると、その落差が大きくて、笑いをとる。対するケヴィンは、かつての同級生だった妻や、会社の上司、同僚との会話のやりとりなどは、さすがコメディアンと思わせる。しかしCIAの諜報活動になるとアイデア不足で、アクション場面のケヴィンはただの傍観者だ。
乱暴な言い方だが、雰囲気に浸り、映るものすべてのディティールに目を凝らすことを楽しむSFだった前作。そこで勝負しても勝てないと踏んだのか、ドラマ重視の作りに。妙に難解にすることなく、前作から続く〝人間〟や〝アイデンティティー〟というテーマをしっかりと深化させているのがミソ。だからといって答え合わせどころか、以前からの謎を増幅、新たな謎を投入している部分もあり、一見スッと入り込めるようでかなりの深淵度を誇ってもいる一筋縄ではいかぬ作品ではある。
前篇とはいえ、135分の尺で描き足りるのか? そう思っていたが、あの長大な原作の省いてはならない部分を一切取りこぼしていない点にまずは感嘆。ひょっとしたらアルゼンチン出身である監督の憧憬みたいなものがあるのかもしれないが、舞台となる80年代アメリカの風景もことさら輝いて見える。だからこそ、恐怖との落差がとほうもなく凄まじいものになるという仕掛け。キング映画であるはずなのだが、80年代のアンブリンが制作した最恐ホラーという脳内位置付けで見入った。
ヒネった怪獣映画くらいの認識であったが、どんな男でも無意識に繰り出しているかもしれない〝ミソジニー野郎あるある〟ともいうべき愚行を時にジワリと時にガツンと教えてくれる逸品。A・ハサウェイのヨレヨレぶりも良かったが、コメディ俳優の印象しかないJ・サダイキスの女性蔑視怪獣ぶりがとにかく見事で怖い。モンスター出現地は怪獣映画の一大産地である日本の首都・東京にしてもらいたい気持ちも。まぁ、東京だとガタガタうるさくて撮影許可も降りないだろうから仕方ない。
監督が大傑作「ドッジボール」「なんちゃって家族」のR・M・サーバー。それだけでも安心だが、ルックスをはじめとする己の特異性を熟知したうえで駆け回り、掻き乱すD・ジョンソンがとにかくお見事。ウエストポーチを装着するだけで笑いを誘える俳優は、彼ぐらいではなかろうか。いじめ被害者が抱える深い傷もテーマになっており、屈強なはずのD・ジョンソンが元いじめっ子の前で萎縮する場面はけっこう滅入る。コピー機のトナーを撃ってインク粉の煙幕を作るアクション描写は新鮮。