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本作の主眼は炭鉱労働者の苛酷な環境への告発ではなく、ましてや人間讃歌でもない。そんな陳腐な意味作用を求めても徒労に終わる。地下空間のゴツゴツと黒光りする壁面、ツルハシや掘削機械の耳をつんざく爆音、深い闇とヘルメット電灯の光による明暗。言わばインダストリアルミュージックを聴く行為にも似た、荒涼とした映像/音響への無償のフェティシズムが作品を完全支配している。変態宣言である。陶磁を愛する人なら、この「面」の荒々しい景色の魅力が分かるだろう。
大部分の観客は、主人公が自殺するという結末を知った上で本作を見始める。カナダ仏語圏ケベック州の美人作家である彼女は生前、メディアアイコンであったし、精神障害を想起させる危うい存在でもあった。自殺という最期にむかって逆算的に映画は進行し、主人公の精神は崩壊していく。これほど意外性を欠いた物語はあるまい。それでも退屈せずに見られるのは、主人公の多重化し複数化する苦痛を見てあげたいという不遜な欲望を観客に搔きたてる誘惑の力があるためだろう。
かつて大島渚は「少年」で10歳の男の子を空想に自閉させ、「アンドロメダ星雲に正義の宇宙人なんかいない!」と失望と幻滅を絶唱させていた。本作「星空」も少年少女を10歳の設定にすれば、何の問題もなかったように思う。13歳の二人が折り紙の象やドラゴンに夢を馳せ、ジグソーパズルの1ピースに思いを託したりするのは、非常にくすぐったかった。だって13歳というと、早い子はゴダールとかパゾリーニとか見始める年頃でしょう? ファンタジー童話として秀逸ではあるが…。
下手なホラーなんて目じゃないほどの恐怖で見る側を追いつめてくる猟奇スリラーだが、芽の出ない小説家が、別れた元カノに捧げる悔悛と憎悪の表明でもある。彼に見切りをつけ、適当なところで勝ち組に乗った彼女は、小説の中で断罪され、陵辱され、その上で夫によって犯人を罰してもらうという、押しつけがましい手続きに戦慄する。と同時に彼女の愛が再点火するようなのだ。このややこしい心理の襞は、ファッション業界で成功を手にしたトム・フォードの自己懲罰にも思える。
どこかの国。暗い鉱山。働く坑夫たち。それをただキャメラは見つめ、こちらは漫然と眺める。時々、黒光りするようなハッとする映像に出会う。なんだか大学の実験室で顕微鏡を覗いている気分になる。この模様って何だろう、そうかレンズを通すとこんな風に見えるんだ、みたいな。退屈。だから妙に頭を巡らしたくなる。なるほど、普段使わない脳細胞をこの映画、刺激しているのかと思う。にしても卒業制作みたいな作品で。最後の、坑道へ降りるリフトのロープの動き。そこだけは残った。
高級娼婦が自分の半生を小説にしてベストセラーに。カナダでは彼女の存在は超有名。そこを前提として映画は作られている。その実像はこうだったんですよ。あるいはこう想像すると。が、彼女の存在を知らないこちらは、ただ戸惑うだけで。どうもこの脚本、独りよがりの匂いが。過去・現在・小説部分・想像が錯綜する展開。しかしどのエピソードもあまり刺さらない。主人公の錯乱が、作り手の混乱にも思えて。彼女への想いが強すぎて、逆に空転したか。どこか客観の視点を置き忘れた印象。
夢見がちな孤独な少女がいて、転校生と仲良くなる。この少年もひとりぼっちで、男の子たちからいじめられていて。はみ出し者の二人が森に旅して、その夜に満天の星空を見上げる。それはもう童画の世界。幼なさの中にちらり〝女〟を匂わせた少女。繊細さの中に芯の強さを見せた少年。彼らを見つめる監督の眼はやさしく、映画に温かい空気が流れている。だけど話の展開が少し紋切りで、演出も型にはまりすぎの感がして。なんか味気ない。原作の絵本、その感覚と詩情が映画にもあればと。
現在と過去、それに小説の世界が入り混じった展開。その小説部分の家族受難サスペンスは(よくある話ながら)緊迫感がある。冒頭のフェリーニ・スタイル、殺人死体のショック。この監督、映像感覚が新鮮だ。アートな現実、殺伐の虚構。この二つがどう絡むのか、息を詰めて見守った。が、この結末には気が抜けた。小説家って、確かに生活に対しては無力だろうが、その精神はもっと強靭ではなかろうか? なんだかこれ、作家に憧れているアーティストが背伸びして作ったような映画に思えて。
タル・ベーラの設立した映画学校で3年間学んだ小田香。ボスニア・ヘルツェゴビナ、首都サラエボ近郊の炭鉱の地下世界を、単身、カメラを持って坑夫と共に坑道に降り、その日常をとらえる。轟音が鳴り響き続けることに度肝を抜かれる。一筋のヘッドランプの光線が、暗闇の中で労働する男たちを映しては消える。特に物語はなく、暗闇で交錯する光と肉体に集中していると、感覚が鍛えられてくる。イメージに真剣に浸りたい鑑賞者には、大きな発見のある作品。才能を感じる監督だ。
仏文壇に彗星のごとく現れ、36歳という若さで自ら命を絶ったネリー・アルカン。高級娼婦だった過去をモデルにした小説で、たちまち人気を博し、社交界のセクシー・アイコンにもなっていく。彼女のさまざまなペルソナを交錯させながら、女性として、作家としての苦悩を炙り出す。実在のイケイケ風ネリーの顔立ちおよび雰囲気と、ネリー役を演じる女優のそれは随分違って、デリケートな感じ。パンチに欠けているこのキャスティングは、伝記映画になっていない気もするのだが。
台湾の国民的人気絵本作家によるベストセラーの映画化。両親は離婚が秒読み、心寂しい13歳の少女シンメイは、転校生の少年と出会い、互いに心惹かれ合う。みずみずしい表情をした美少女、美少年が、絵画や愛らしいモチーフを背景にして、ふたりだけの世界を作り上げる。子どもが観たら、きっと胸キュンするはずだ。思春期に入る前の淡い恋心がキラキラ溢れてくる。でも、編集がぎこちなく(意図的なものとは思えない)、あまりうまい映画ではない。かわいいだけじゃ大人は飽きる。
アートギャラリーのオーナーとして、富と地位を手に入れたスーザン。それと引き換えのように捨てたかつての愛。遠い記憶が、元夫から突然送られてきた1冊の本によって甦る。元夫とその小説の主人公を演じているのは、ジェイク・ギレンホール。つまり、スーザンは、元夫の顔を思い浮かべて本を読んでるわけだ。このふたつのジェイクの顔で進む語りが、トリッキーな復讐譚としてじわじわ効いてくる。トム・フォードのアートセンスと俳優陣の人間臭い演技に注目。結構心にキツく刺さる。