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邦題が醸すほっこり感、スタティック感が誤解を招かなければいいと思うが、これほど閃きに底光りする映画はめったにあるものではない。最近パリに住み始めた女性と、5区カルチェラタンの年老いた古書店主が愛し合う。画面には生々しい現代の都市が写っているのに、カフェで字を書く、街を歩く人物を見るこちら側の五官は、百年前にタイムスリップし、微睡みに沈潜する。ブルトンの小説、フランジュの怪奇映画に隣接する幻想的レアリスム。R・ベルタの撮影もさすがである。
生を営む上で最も大事なものを喪失したひとりの女性。本作は彼女の行く末をただただ追う。それだけに4時間もの時間を費やしても、いっこうに差し支えない。狂気の沙汰である。しかし今日、映画を作ることそれじたいが狂気の証左ではないのか。彼女は生涯の怨恨相手を倒すために、周到に作戦を立てる。そして作戦遂行のトリビアルな日々に尾鰭が付いてくる。フィリピンの昼夜は現実と幻想のあわいにあって、私たち観客を静謐に巻き込んでゆく。現代映画の最高傑作の一本だろう。
アフガニスタン出身の主人公ソニータはラッパーである。彼女は科せられた属性を全否定し、自分は「ラッパーだ」と宣言する。でもそれは不可能な宣言だ。彼女には花嫁としての隷属的な生涯が待っている。この宿命から勇ましく離反する少女の行動をドキュメントする本作は、清々しいまでに反イスラム的で、彼女の夢を叶えるのはアメリカだ。彼女はうれしそうだ。他のどの国が彼女を救えたのか。しかしなおも眉に唾をつけて考えたい。これは巧みなプロパガンダではないのかとも。
ゴッホの死んだ日のことを友人の息子が村に滞在して聞き込み調査するという探偵映画が、輪郭を残してコンピュータ実験と化す。俳優たちの演技はモデリングされ、ゴッホ絵画の筆致に一コマごとに置換され、音声だけは俳優たちの台詞が残される。この奇妙な事態にたじろぐなというのは難しい。狂気すれすれの場から生まれたゴッホの絵が活人画としてリアルに動くのは、見る側にとって過剰だ。黒澤明「夢」? 何故こんなグロテスクな試みを考案したのか、作者の発想が興味深い。
なんかこれ、ヌーヴェルヴァーグあこがれ映画。さらり、ふわりとした感覚。主人公の娘と老人(ジャン・ソレル!)のべたつかない交流。突然落下するの鳥の一瞬の衝撃。カルチェ・ラタン、その街並みの落ち着いた佇まい。謎の男の登場と突然の死。名画座のインド映画。そして「赤い旅団」、反核運動など政治体制への反抗の暗示。あの頃の匂い、感覚がいまに甦ったようで、懐かしくも微笑ましい。ただかつての映画たちのような瑞々しさと張りはないけど。R・ベルタ御大の映像が渋い!
復讐を企てる中年女性。彼女に絡む卵売り男、ホームレス女性、ゲイの街娼。出てくる人物たちは面白い。設定も興味を惹く。だけど話は一向に弾まない。物語のパターンをあえて外した、というよりこの監督、そもそも脚本が分かっていないのでは。ただただその場の思いつきと気分で映画は進行する。最近流行りの超長廻し演出。それは時たま効果を上げているが、大半は忍耐を強いられて。こういうのが映画祭では受けるんだ。ひょっとして最初からそれを狙ってたりして。だったら目論見通りで。
ドキュメンタリーの制作現場でいちばん悩ましいのは、撮影対象者とどう関わるかということで。例えば金銭的に困っている者に援助すべきかどうか。作り手の行動ひとつで、作品そのものの意義が違ってくる場合がある。映画と現実の垣根が消える怖れもある。この映画の監督もそれを突きつけられる。逡巡する。そしてある決断をする。そう、ドキュメンタリーって、写された人物だけを記録するものではない。作る側の心の軌跡もまた反映するものなのだ。そのことを改めて認識させられて。
ゴッホの絵画が動いている。凄い。その手間暇と労力を考えると気が遠くなる。特に導入部、街角から酒場へと至る移動画面など啞然とする。お話もゴッホの死の謎を解明するというミステリー的趣向で申し分ない。が、だんだん単調に見える。たぶんそれは会話場面が繰り返されるからで。2人の人物のカットバックで構成されたその演出は普通の劇映画的。ということはアニメ独自の飛躍の面白さに欠けていて。でも、それは贅沢な不満かも。もうこの動画、その色と形を堪能するだけで充分なんで。
パリで暮らし始めた若い女性と、小さな古書店の老人のピュアな恋が展開する。ヒロイン役は、ユペールの娘であるロリータ・シャマ。年齢不詳なキャラ設定等、パリジェンヌの日常を楽しむというには、いろいろ無理がありまして。街並みやインテリアはさすがに洒落てるんだけど。老人を演じるのは、ジャン・ソレル。80歳を超えているはずだが、クローズアップに惚れ惚れする、とても綺麗なおじいさんでちょっとびっくり。この内向的な映画の世界観に浸るには、私も年を取りすぎたか。
冤罪で30年の歳月を刑務所で過ごした女。無実が証明された釈放後、彼女を陥れた元恋人の男に復讐すべく立ち上がる。モノクローム映像の1シーン・1カットは、シンプルでありながら、それぞれに1つのドラマが成立するくらいの情報とスリルが凝縮されている。ヒロインの復讐者、母、女、市民としての多面な顔が、ロング・ショットの語り口から迫るように見えてきて、いつしか物語に引き込まれる。フィリピン文化にある人間の魂を、長尺で描き出すラヴ・ディアス映画を体験すべし。
アフガニスタンのタリバンからイランに逃れてきた難民のソニータ。ラッパーになりたい彼女は、娘を見ず知らずの男に嫁がせる祖国の古い慣習を訴える歌詞を乗せて歌う。2年半を費やしたドキュメンタリー。彼女の置かれた不安定な状況を、監督はカメラの向こうで見守るだけでなく、その才能を未来へと導く親身な手にもなって、撮影が敢行されていく。ソニータという少女がとにかく魅力溢れている。最後に渡米のチャンスを得るのだが、いまどうしているだろう。幸せであってほしい。
諸説あるゴッホの死因。一般に自殺とされているが、ゴッホの手紙を託された青年が、死の直前まで居合わせた関係者たちを訪れ、真相を解き明かそうとするサスペンス。世界で初、全篇ほぼ油絵で描かれたペインティング・アニメーションだという。公募で選ばれた約100名のアーティストたちによる、情熱と技術の賜物と言っていい。果たしてなぜこの手法なのかと観ながら思うのだが、本作が最後に辿り着く結論にはその答えもある。これは、現在そして未来のゴッホたちへの祈りだ。