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愛猫ボブの助けで薬物依存症を克服したイギリス駄目男の実話であり、ケン・ローチ流の苛酷なソシアルワークにカワイイ系のペット愛好映画を接ぎ木するという、じつに理に適ったジャンル横断で間口を広げた。薬物やアルコールの依存による生活崩壊、生命危機について、この映画はきわめて例外的に幸運なケースを提示する。まずはこの立ち直りを実話の映画化というエクスキューズのもとで差し出すことにポジティヴな意味を見出す、という製作サイドの企ては意義深く、温かい。
「最高のふたり」のオマール・シーは、現代映画界のきわめて興味深いスターだ。彼は「(スラム街で幸運な出会いを待ちつつ)白人にも真価を理解してもらう用意を整えた黒人像」という絶妙なポジションを創造した。欧州のレイシズムは克服されるどころか、倫理的にも経済的にもより深刻なものとなっている。O・シーは、その現状に対する中和剤として、時代から要請されたスターである。しかしだからこそ、その限界も見定めねばならず、クリシェを批判しなければならない。
フランス映画(の特に作家の映画)の多くは具体描写が絶えず愛、生、死といった「大文字」へと還元される。しかし本作は、脳死患者からの心臓移植というスタンドアローンな設定に絞った作りだ。唐突に単純化すれば、本作は日本映画に似ている。元来こういう劇構造は、日本映画が得意とするものだ。冒頭、GFとの同衾から去ったブロンド少年が、夜明け前の北仏ル・アーヴルの街を丘陵から港湾までいっきに下降していく躍動感で、いきなり見る側の心は鷲摑みにされることだろう。
スカンジナビアの少数民族サーミ族の少女を演じたL=C・スパルロクの小柄な身体と鋭い眼光から放射される生命の力が素晴らしく、おののきさえ覚える。本作が単なる民族差別を告発するだけでも、民族の独自性を謳い上げるだけでもないのは、彼女の個がエゴと欲望と共に、遠慮なく表出するためである。さらに、老いた彼女を演じたM・D・リンピの険しい顔貌によって、一女性の頑迷な生涯が老若の双方から削り出された。あたかも増村保造がアイヌ女性の一生を描くがごとしである。
これをK・ローチが描けば、もっと過酷で厳しいものになるだろう。元ジャンキーの路上ミュージシャン。そこに猫が加わるだけで、映画が柔らかくなり、温もりを感じさせ。大晦日で、家族団らんでというその時期の孤独。だけど猫がいることで寂しさが薄れる。この青年が遂にどん詰まりとなり、その最後の小銭で求めたものがキャットフード。猫好きとしては胸がキュンとなる。ボブが行方不明の大詰めに少し作意が見え、猫が見た眼のカットもやりすぎの感。が、嫌みのない素直な善さがあって。
お気楽男が主人公。それに合わせたのか、お話の方も調子よくて――。「大人になれ」と親から説教されている男が、赤ん坊を押しつけられて、さあ大変。さて、どう育てるかというのはけっこう面白い設定。なのに素っ飛ばして娘はあっという間に小学生。男もいつの間にか売れっ子スタントマン。そこに母が現れ、子どもを返してくれと迫る。う~ん、その理屈が分からない。その後もまさかの展開となり、お涙頂戴となって。これ、ちと受けをネラいすぎでは? で、主人公は最後までガキのまんま。
心臓移植の手術寸前、ある人間がある行動をする。以降、それまで登場した人物たちすべてが愛おしく見えてきた。臓器を提供した青年、その家族と恋人。臓器をもらう女性、その子どもたちと恋人。そして手術に携わる病院の人々、その一人一人。前半でさりげなく口にした言葉や、行動、表情などがその画面を契機にことごとく活きてくる。群像劇、なのにそれぞれの人間性がさらりと滲み出て。この脚本の構成は新鮮な驚きだった。作り手たちはひょっとしたら「おくりびと」を意識した?
ラップランドのサーミ人。その民族の存在を意識しただけでもこの映画を観た甲斐があって。差別への抵抗、というよりこの物語、どこか女性の自立譚の趣き。窮屈な田舎、学校、それに加えてのスウェーデン人からの侮蔑的な扱い。もうもう息が詰まって詰まっての少女のもがき。そこに初恋の喜びと知の欲求を織り込んでと、この監督、繊細な筆致。主役の少女の不敵な面構えが良くて、そうなると彼女の旅だち、その後がもっと見たくなり。で、映画の前後に登場の老婆が、舌足らずの不満が。
猫ブームとは世界現象だったかと痛感させられる。ホームレス・ミーツ・猫・イン・ロンドン。ドラッグの更生プログラム中の青年が、ひょんなことから、のら猫と暮らし始め、街で音楽活動を共にしているうち巷で大反響を呼んでしまう。そんな実話をもとに、その本物の猫〝ボブ〟を出演させて映画化。運のいい成功物語というより、どん底にいた主人公が地に足ついた善意の人々に出会うことによって少しずつ更生していく社会派な側面がよく描けている。でもやはりボブの好演にホッコリ。
オマール・シー扮するプレイボーイは、ある時、突然〝あなたの子よ〟と、よく知らぬ娘に赤ん坊を突きつけられる。母であるその娘は失踪。男はシングルファーザーとなる中、父性に目覚めていく。ドタバタ・コメディかと思いきや、母親が戻ってくる辺りから、親権争いを巡るかなり深刻な話になってくる。弱い女の悪いところがズバズバ描かれていて、監督の女嫌いを感じるが、結構リアルなのかなぁ。ラストを予定調和にしなければ、現代の「クレイマー、クレイマー」になったかも。
夜明け前のル・アーブルの海でサーフィンに興じる少年。青春只中にいるこの彼は、帰路、事故に巻き込まれ脳死状態になる。パリに暮らす音楽家の中年女性。大人になったばかりの2人の息子を持つ彼女は、重い心臓の病を患っている。舞台を異にするこの2つの物語が、やがて命をつなぐ物語として1つに溶け合っていく。母なるものと息子なるもののラヴストーリーに思えたが、個人的には、少年と中年女性の位置が逆じゃないとしっくりしなくて。夜明け前の映像が美しかった。
サーミ人とは北欧の先住民族。1930年代、彼らを分離政策の対象とし、人種として劣っていると見なしていたスウェーデンで、人生を頑なな意志で切り開いたサーミ人少女の生き様を描く。微細な感情のゆらぎによる少女の表情の変化を、なんと見事にとらえていることか。この役を演じる女優のドキュメントかと見紛うほど生々しく、同時に彼女の演技者としての確かさが映画の芯を支えてもいる。サーミ人とスウェーデン人の両親を持つ若い女性監督の、自身のルーツを問う鮮烈な映画だ。