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このところの土屋太鳳は、迷走、妄想のハシャギ女子ばかりが目立ち、この「トリガール!」も、さぞやピーチク、パーチク、騒がしいのではと思ったら、今回は体育会系女子役で、けっこう根性がある。何よりも、大学の人力飛行サークルという設定がいい。飛行するには、縁の下の力持ち的な各班の協力が不可欠で、その描写も興味深い。で土屋太鳳は一番おいしいパイロット班で、琵琶湖の空へ。部員たちのキャラや、いくつものアクシデントも嫌味はない。晴れ晴れ感が嬉しい娯楽作。
誰か適切なアドバイザーがいたのだろうが、脚本、監督、更に編集まで手掛けるとは、当時17歳の松本花奈、隅に置けない才能である。この年頃の女子特有の、幼児的甘えと大人ぶった背伸び。北澤ゆうほが演じるヒロインがそうだし、この作品自体も甘えと背伸びで作られている。父を探してショボいストリップ劇場にもぐり込むくだりなど、背伸びというよりかなり手練れていて、そうか、〝昭和〟もしっかり盛り込むか。でも何か媚が匂う。そうそう松本花奈、「獣道」の役は笑えました。
それも是枝監督の狙いなのだろうか。作品そのものまで、役所広司が演じている殺人犯の掌で玩ばれているということ。当然、弁護士・福山雅治も、検事側も、世間も、そして真実も、かつて空っぽの器だ、と言われたこともある殺人犯の掌で玩ばれて。つまり役所広司は、劇中の人物でありながら、作品世界をすーっと乗っ取り、真実という白紙のカードを、観ているこちらに投げつけるのだ。まっ赤な嘘でも、灰色でも、お好きな色をどうぞ。終盤のトリッキーな映像に思わず鳥肌。
きっとサンダー監督やスタッフ、キャストの方々は、撮影前に、設定やキャラクターをたっぷり咀嚼したのだと思う。でもでもゴメン、咀嚼のしすぎなのか、自分たちだけで分かっていてしかも妙にアタマでっかち。いや、分かり易い映画にしろというのではない。設定やキャラクターにほとんどリアリティが感じられないということ。人影もまばらな町。田舎町を荒す不動産屋。そんなシーン、あった? 台詞で言うだけ。モノクロ映像も必然性は感じられず、アート気取りのポーズに見える。
監督英勉のふざけかたは、ふざけることを自ら禁じて息苦しい世界を形成しがちな青春キラキラ映画にとって良い横ずらしだ。「ヒロイン失格」の、ジャンル内における批評性は悪くなかった。本作は若さを燃やす対象に出会った若者の話であり、恋愛至上主義でないのが好ましい。暴れる土屋太鳳、良し。ところで彼女出演作「兄に愛されすぎて困ってます」でも本作でもイケメンが自転車でバスを追い抜いてイキがるがあれはダサい。時速五〇キロをもっと重いギアできっちり漕げ。
本作前半のまとまりかたや、既に流通してる高校生もの映画と同じようなものを高校生本人たちが見せることに驚くがそれはあまり肯定的なものではない。後半ヒロインとおじさん高校生がストリップ小屋に流れ着いてから映画はそれまでの落ち着きを失いなんだかよくわからない感じになるが、そこでの祷キララの緊張感と月蝕歌劇団OG公演的なノリが主人公らを成長させるのは良い。芹明香、池玲子は二十歳で立派な映画的存在だった。監督もヒロインも祷キララもそこに迫ると信じたい。
タイトルの意味するところでもある死刑制度に対する疑義、それを割とストレートに描いている。これは珍しい。東京には定着した映画イベントとして『死刑映画週間』がある。その特集で上映される映画には冤罪ものが多く、そこでは誤判からの取り返しがつかなさという角度からの反対論が示されるが、本作はそうではない。もろやっているし、二回目の殺人。しかし……この男は死刑になるべきか、と躊躇わせるものがある。彼こそが誰よりも倫理的な人間であるかのようにも。面白い。
地味だが面白い。高川裕也演じる、他人に憎まれることや悪さを仕事として引き受けている男がいるが、なんつうか彼はギリギリ人間らしさを残している。その理由が、ただ彼を見つめ、許してきた娘(志田彩良)がいたから、ということが良い。またそのことが、彼に踏み石にされた(と本人は認識しない)女性(山田真歩)との会話でわかるのも面白い。「エル・スール」のいろいろ抱えた父親は娘にただ不安げに見られていた間だけ庇護されていたのではないか。そんなことを思わされた。
人力飛行サークル部員として異色の存在であるヒロイン。土屋太鳳の運動神経が活かされつつ、時おり彼女に後光が射すことで〝主人公である〟と視覚的にも印象付けている。一方で、全員メガネ男子という集団の中でキャラ立ちする高杉真宙の〝個性的な没個性〟という役作りも印象的。本来であればライバルチームとの対決が物語の中心となるはずだが、本作にはその対立構造が無い。代わりに、人力飛行が己との戦いであることを提示することで、チーム内の対立を際立たせているのである。
MOOSIC LABは新進アーティストと組む大喜利的な側面を持つが、the peggiesの楽曲はCDを即購入させるほど、作品のトーンや物語とマッチしている。ヒロインが〈嘘泣き〉をするように〈嘘〉がちりばめられ、映画の〈嘘〉を形成している点が巧妙。いつの時代も映画のヒロインは過酷な人生を前向きに生きてきたが、〈嘘〉が本当を越える瞬間を観客に目撃させる点も秀逸。女子高生監督による人生を達観したような〈大人の視点〉は、新たな才能の末恐ろしさを感じさせる。
映画冒頭、殺人と思わしき場面から一転し、カメラはゆっくりと海から陸へと空撮で移動してゆく。やがてカメラは横浜港を映し出し、海沿いを走るタクシーへと接近。その後部座席に福山雅治が乗っていることをワンカットで見せている。しかしどうだろう、タクシーは常にフレーム内に映り込んでいたにもかかわらず、観客の多くはカメラが接近して初めてタクシーの存在に気付いたのではないか。つまりカメラは「この映画の中で本当に見るべきものを見ていますか?」と問いかけているのだ。
偶然が導いた悪魔との取引。この映画はモノクロで撮影されているため、空さえも青くない。白と黒が生み出すグラデーションは、この世界が白黒をつけられない〈灰色〉であることを示唆しているようにも見える。本作の描く〝土地の呪縛〟は、田舎であればあるほど顕著なもの。何事においても選択肢が少なく、目の前にあるものの中からしか選択できず、そこから外れれば敵視されるという息苦しさの根源でもある。『カンブリア宮殿』のナレーションで耳馴染みある高川裕也の演技が出色。