パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
誰もが『エレファント・マン』を思い出してしまうことだろうが、内容はまったく違います。ペタンクという球技は全然知らなかったのだが、面白そう。まるで実話を基にしているかのような手触りの人間ドラマの部分と、ジャイアントになった時の非現実的な描写(創意工夫が素晴らしい!)の落差が、あるようでない。そこが良い。ありきたりな感動に落とし込まない製作者側の知性と誠実さを随所に感じる。ハリウッドのような莫大な予算を掛けなくても、こういう映画は造れるのだなあ、と。
これはALSに冒されたひとりの元有名アメフト選手のドキュメンタリーではない。ALSと最期の最期まで闘い抜くこと、ALSに打ち勝つまで闘い続けることを選んだ男とその周囲のひとびとによる経過報告である。そして、その闘いのすべてを撮り残すことを選んだひとびとの記録である。しかし、ここに映っているのは悲壮感でも絶望感でもヒロイズムでもない。たとえ微かなものであったとしても、希望でありユーモアであり幸福感なのだ。映像には、映画には、こういうことが出来る。
変な話だなあと思いながら(悦んで)観終わったが、考えてみれば原作者フィリップ・ジャンの「ベティ・ブルー」も変な話だったし、何より監督ヴァーホーヴェンの「氷の微笑」は相当変な映画だった(と今にして思う)。「パーソナル・ショッパー」がクリステン・スチュワートをひたすら「見る」映画であったように、これはとにかくイザベル・ユペールを「見せる」映画である。ストーリーも心理的納得も無茶苦茶と言えば無茶苦茶だが、そんなことは問題ではない。かなり変だが面白い。
僕は「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ」よりこっちの方が好きですね。とてもジャームッシュらしい「本筋のない映画」。文学者、それも架空の詩人や小説家を描いた映画ってなかなか良いのが思いつかないけど、流石としか言いようがない。アダム・ドライヴァーの不機嫌じゃない仏頂面も魅力的だし、脇が皆すごく良い顔をしている。僕が好きなのはエミリ・ディキンスンのことを話す少女詩人と会話を交わすところ。あとはやっぱりラストシーン。永瀬正敏は美味しい役だけど、良い。
頭骨の一部が巨大に変形したリカルドの風貌は、否応なく「エレファント・マン」を彷彿とさせ、異形ゆえの悲哀のようなものを勝手に感じ取ってしまいそうになる。下手をしたら差別よりタチが悪い。劇中ではリカルドの経験する厳しい現実を醜く、巨人の出てくる空想の世界は美しく描かれているが、事態はそんなにシンプルではない。ただ、人は自分の想像できないことに関しては驚くほど不寛容だから、リカルドのビジュアルや彼の視野に触れることは何らかの意義があるはずだ。
アメリカでアメフトのスター選手といえば勝ち組の中の勝ち組だろう。自らの肉体で栄華を極めた人物にとって、徐々に衰えていく筋力と日々向き合うことは、地獄のような苦しみに違いない。症状が進むにつれて話すのもままならなくなってくるナレーションがその容赦ない現実を物語る。弱い自分の姿をさらけ出しながらも、それがかえって人々に勇気を与え、病と闘う姿までもが勇姿になってしまうのはやはりスターたる由縁。スターはどんな状況になってもスターなのだと思わざるを得ない。
若い時代はもちろん、歳を重ねつつあるユペールの、映画界におけるパイオニアとしての役割ははかりしれない。他のどの女優が、六十歳を越えて、母でも妻でも親戚のおばちゃんでもおばあちゃんでもない、あるいはその誰でもあり得る現役の「女性」を、セクシュアリティとともに演じられるだろうか。ユペールでなければ破綻していたようなキャラクターを、ヴァーホーヴェンの極端な世界の中でも見事に成立させ、かつ品と気高さすら感じさせるものにした力量に感服するばかり。
デビュー作の「パーマネント・バケーション」(80)の翌日に作られたかのようなたたずまい。それだけジャームッシュは最初から完成された作家性をともなって登場したし、以降それをキープし続けている。一見穏やかなルーティンの日々に美しい妻の作る斬新な柄のカップケーキが何とも言えない不穏な気配を放つ。しかしいつどうなるかわからない危険性を孕んだままそれが爆発しない時間を一日でも長く延ばすことこそが、我々が「平和」と呼んでいる状態にすぎないのだ。
淡い光で描き出されるスウェーデンの自然は大変美しく、主人公の逆境、孤独を際立たせる。それに比較し巨人が山野を跋渉するファンタスチックなシーンはいささか面白さ迫力に欠ける。全体的に映画はファンタジーよりリアリズムに軸足を置いたような印象を持った。主人公に強い憐憫の情は感じるが、感情移入するほどの共感を覚えないのは、ジャイアントに託した空想の中の自由、解放のイメージが弱いからだろう。この種の映画に観客が期待するある種の結末の爽快感が欲しかった。
セインツのグリーソン選手の歴史に残るパントブロックを私もテレビで見て感動した。その彼が不治の病ALSを宣告され、生まれる息子のため撮り始めたビデオダイアリーが基になっている。砂田麻美の映画で定着した「エンディングノート」だ。1500時間にわたるビデオからトゥイール監督は私的ドキュメンタリーのレベルを超えた完成度の高い作品を作り出した。明朗で知的なスポーツマンが主役なので、変な悲壮感がなく、夫婦愛も介護の実態も社会活動も気持よく観られる。
冒頭、ミシェルを襲った黒覆面の男は誰かといった単純なミステリーではない。社会的にも成功している女社長ミシェルを中心としたセックスがらみの人間ドラマといっていいだろう。ヒロインをはじめ彼女の母親、息子とその妻、会社の同僚、別れた夫、いずれもアブノーマルで好感の持てる人物は一人もいない。こんな人間関係の醸し出すサスペンスが何とも強烈で面白い。アメリカの女優が皆尻込みしたという異常なセックスシーンをユペールが体当たりの好演、役者根性を見せる。
毎朝妻の作った弁当を持って出勤しバスを運転し、帰宅後は犬を散歩させ一杯のビールを飲む。判で押したような日々。彼は詩を書いている。日本通のジャームッシュの念頭に日本の私小説作家があったような気がする。上林暁、木山捷平、川崎長太郎みな詩人でもあった。永瀬正敏演じる日本詩人は、奇しくもパターソンと名乗るバス運転手と詩について語り彼を詩人と確信する。詩を書くバス運転手の映画ではなく、バスを運転する詩人の映画なのだ。静かな彼の日常が深い余韻と感動を残す。