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戦前に石垣島でパイナップル農場を開墾した台湾移民という、社会の知られざる切り口を提示した点では、正調のドキュメンタリーである。だが映画は題材の良し悪しで決まらない。似たような機能しか果たさないカットが重複し、モノローグも字幕も説明的すぎる。編集でもっと刈り込んだ方がいい。一家が久しぶりに帰郷した先で、言語の通じない親戚同士が行うことといえば、煙草の交換とか米寿の金一封の押し問答でしかない。人間のこの曖昧な隔絶にこそ鋭く迫ってほしいのだ。
米国で生まれ、ハリウッドで学んだヴー監督の作風は淀みない。ベトナムの農村は美しく、時に水害の猛威にも見舞われる。少年少女3人へのまなざしは塞翁が馬であり、アジア的情趣が世界市場へのアプローチとなる。だがこの南国で米国相手に酷たらしい戦争があったという史実を忘却の彼方に追いやるがごとき慰撫的ノスタルジアである、と指摘するのはもはや余計なお節介なのか。こういう作品がもっと増えることこそ、経済成長著しいベトナムに相応しい正常への道と言うべきなのか。
仕上げ面で稚拙な点もあるが、今年度映画界のダークホース的な大問題作だろう。植民地時代、台湾詩人たちは日本の文壇を通してダダイスムを、シュルレアリスムを知る。彼らは嬉々として支配者言語である日本語を駆使し、芸術的冒険に遊び続ける。彼らの悲壮なる使命感、高揚感に涙すると共に、彼らが自覚的に植民地支配の加担者たることに震撼する。戦前戦中においてすら、モデルニスムへの耽溺が支配への反駁をある線まで浄化し得たのだとすれば、現代の日台の相互慰撫とは何か。
売れない役者の堺雅人と殺し屋の香川照之が入れ替わってしまう「鍵泥棒のメソッド」は、日陰者の心情を洒脱に語る佳作だったが、韓国版リメイクが届いた。「王子と乞食」式の交換主題だが、「あやしい彼女」「転校生」「君の名は。」あたりと違ってこの物語がいいのは、SFめいた超常現象が介在しない点である。ただ単に、風呂屋で誰かが足を滑らせたらこうなった、というバカバカしい法螺話だ。この韓国版は演技が派手めで、顔芝居も戯画的。堺+香川版の方が儚いおかしみがあった。
石垣島に移住した台湾人夫婦。その三世代にわたる家族の軌跡を追う。日本統治下の台湾、戦中・戦後そして現在に至る沖縄の状況の中で、日本人でもなく台湾人でもなく生きてきた彼らの重み。「日本人から差別」の言葉がイタい。一家の中心人物のお婆が魅力的で、一族勢揃いの米寿の祝い、娘・孫を引き連れ台湾に里帰りの光景が愉しい。孫息子を映画の案内役にしたのも功を奏して。が、監督が素材に惚れすぎの感。ちと冗長なのが残念。もう少し家族と状況との関わりが見たかったという欲も。
設定は八〇年代後半。高度経済成長がはじまる頃だから、ベトナムにとってはちょうど端境期だろう。少年の初恋と別れを描いて、しかも貧しき農家、その家族愛、兄弟愛をも浮かび上がらせる。舌ざわりは滑らかで、どこか懐かしい。ただ、少し型通りの物足りなさはあるけど。だけど、少女の父親が小屋に幽閉されていたり、森の中にボロをまとったお姫さまが隠れ住んでいたりと、この映画、ちょっと影を潜ませている。それが砂糖菓子にふりかけた香辛料となって、捨てがたい魅力に――。
巴里のアメリカ人ならぬ日本に留学の台湾人の青春を追って。西洋モダニズムへの憧れが日本語の詩作となり、やがて自国語の表現となっていく――という文学史的な流れも興味深いが、魅力的なのは1930年代のモダン都市トーキョーが記録映像や流行歌を使ってふんだんに綴られること。時代のわくわく気分が伝わってこちらも昂揚。これがあるから、戦時の圧迫・戦後の弾圧の痛みみが効いてくる。あの頃の東京は巴里のごとく甘美だったという感慨に、普遍の青春の輝きと切なさが匂って。
いやはや、日本のあの映画を思い切り脚色したもんで。原典はストーリーテリングを重点にして、ディテールを積み上げ、計算を張り巡らしていたんだけど。こちらはどうでもいいのネ、細かいことは。とにかく面白い場面をどんどんつないでいこうっていう戦法。で、貧乏役者を脇に廻して、記憶喪失殺し屋をメインにお話を組んだのが、わりとうまくいって。演じるユ・ヘジンの凄みと愛嬌の混じったファニー・フェイスがよろしく、コメディ・センスも抜群。話は滅茶苦茶。が、これはこれ。
日本統治時代の台湾から、沖縄石垣島へ多くの人々が移住した。その一家族が、時を超えてアイデンティティを探る旅を追ったドキュメンタリー。主人公となる玉代おばあちゃんは、88歳の米寿を迎え、百人を超す子孫に囲まれている。異国で苦労しながら生き抜いた逞しさと素朴な明るさが、少しぶっきら棒なところも好ましい玉代さん始め、この家族には共通していて、大家族の迫力を見る。台湾移民の歴史を案内してくれる作品でもあるが、もう少しタイトに編集してもよかったのでは?
1980年代後半のベトナムの貧しい村を舞台に、みずみずしい映像で綴った子ども映画。子どもたちの顔や佇まい、自然の風景を素材として生かした、ぎこちなく感じるほどシンプルなタッチが懐かしく、古風なアジア映画の印象。が、監督は、アメリカで生まれ育ち、ハリウッドで学び、いまは祖国ベトナムで活動する人だそうで、ちょっと意外。美しい少年少女の初恋物語にもキュンとするが、主人公の弟が出会う〝お姫様〟のエピソードが面白い。いまはなき時代の空気が流れている。
1930年代、日本統治下の台湾に現れたモダニズム詩人団体。保守的な時代の中、彼らは日本文学者たちと交流しながら、シュールレアリスムに触発された詩を日本語で生み出していた。過去の写真や貴重な資料映像(日本のものがとても多い)、レトロな雰囲気で作られた再現パート、詩の朗読と、3つの要素から成り立つ実験風ドキュメンタリーで、最初はやや戸惑うも、観ているうちに異空間を旅するような楽しさに包まれていく。後半の、政治弾圧の展開には背筋が寒くなった。
内田けんじのヒット作「鍵泥棒のメソッド」の韓国版リメイク。殺し屋と売れない役者が、ひょんなことから入れ替わって……という仕掛け満載のトリッキーな映画だったが、オリジナルのコメディ・タッチを遥かに上回る、ベタな笑いをつめ込んだエンタテインメントに仕上がっている。香川照之が扮していた殺し屋は、もっとシリアスだったような。ドラマ撮影のシーンが何しろ愉快。家族の描写が増えたり、女性キャラが平凡になってたり、良くも悪くも韓国映画っぽい味わいであった。