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流石ベロッキオ、というような台詞はあまり言いたくないのだが、これはやはり流石と言うしかない。今の映画とは到底思えないほどの格調と魅力に満ちている。60年代のトリノと90年代のローマを断片的なエピソードで往復しながら、主人公マッシモの、最愛の母を喪ったことで深く傷つけられた心の行く末を描いていく。原作はイタリアで大ベストセラーになった自伝小説だそうだが、どのシーンにも映画的な豊かさが込められている。こんなカメラと編集は今どき他では見ることが出来ない。
タイトルからは全く想像出来ない作品だった。偶然だがこれも母親が亡くなることから物語が始まる。心を病んだ父と娘、そこに現れるセラピストの女性。妙に白茶けたシュールな空間で行なわれるセラピーの場面も興味深いが、次第に映画は意外過ぎる方向へと走り始める。これはちょっと驚いた。まさか○○映画になるとは! 出来れば事前情報一切抜きで観て欲しい。ちょっと「ありがとう、トニ・エルドマン」にも似た、これってもしかして笑わせようとしてるの?という感じもユニーク。
ジム・ジャームッシュの新作「パターソン」にエミリ・ディキンスンのことが語られるところがあり、すごく素敵なシーンなのだが、それはともかく、シンシア・ニクソンの好演を得て、この映画によってディキンスンの生涯と天才に触れる人がひとりでも増えることを願う。随所に挟まれるニクソンによるディキンスンの詩の朗読が素晴らしい。「静かなる情熱」というタイトル(原題も同じ)が実に似つかわしい作品だ。妹ヴィニー役のジェニファー・イーリーほか助演陣も大変好演している。
「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」もここで評したのだが、あの独特のタッチはこの第一作から完全に確立している。監督トム・ムーアはアイルランド人で、本作でもケルト文様が重要な役割を担っているのだが、にもかかわらず、これも「ソング・オブ・ザ・シー」と同じく、どうしても日本のアニメを彷彿とさせる。ムーアは宮崎駿のファンなのだそうだが、宮崎アニメというよりも、むしろもっと往年の日本アニメの平面性とプリミティヴィズムを思わせるのだ。そんなことないのかな?
幼い頃の思い出として出てくる母親の極端に躁的な描写が彼女の死を色濃く匂わせる。小さい息子とツイストダンスに興じる母親の姿は楽しげというよりもなかば狂気じみて見え、どうしようもなく胸をざわつかせる。短時間で強烈な印象を残し、主人公の人生に長く影を落とすその真相をそこはかとなく仄めかすこの描き方はさすがだ。新聞記者である主人公が紙面で人生相談に答え、本人の思惑に反して大評判を呼んでしまい戸惑うくだりがやるせない。物事はいつだって自分の思惑を裏切る。
ひとりじゃないってそういうことか! という若干トリッキーな展開に気づくと心を摑まれる。大きなショックに直面した人の傷つき方は時に予想のつかないものであり、予想もつかないやり方で癒されたりもする。正解などないのだ。自分でもどうしていいかわからず悪戦苦闘する父娘の姿はユーモラスな視点を織り交ぜながら描かれる。真剣と滑稽は紙一重。セラピーのシーンは笑って正解だと思う。その極みが降霊術だ。映像になったときにあんなにも絵面として残酷で面白い行為はない。
生涯の大半を無職で実家にこもって過ごし、精神的に妥協できず、恋愛や結婚に興味を抱きつつも現実的に成就させられない。そんな自分をダメだと卑屈な発言をしては妹に慰められるエミリの生き様だけを見れば、完全にニートのこじらせ女性と認定されてしまいそうだ。エミリの生家のクラシカルな調度や白いドレスが閉塞感に追い討ちをかける。しかしそんな環境でなければ生まれない感性や言葉もあるだろう。どんな苦境も芸術の糧になるという意味ではポジティブかもしれない。
アニメーション作品においては実写の動きをトレースしたり実景を取り込むことでリアリズムを追求する手法が発達する一方、絵画をベースにした絵柄で幻想的・抽象的な世界観を描く作風も進化を遂げている。特に欧米ではその傾向が強く思える。日本ではストーリー、欧米では絵が重視されるというある漫画家の発言はあながち間違ってはいないのだろう。本作もキュビズム的な要素を含むキャラクターと平面にこだわった画面構成が印象的でアニメならではの表現の可能性を楽しめる。
数々の修羅場をくぐり抜け功なり名遂げたジャーナリストが人生を回顧し、生涯認めることのできなかった幼い日の母親の死に思いをいたす。取材先の世界の各地で目の当たりにするのは、数々の人の死にゆく衝撃的な光景であり、それが全て、母親の死に収斂してゆくという語り口は迫力がある。「男はみんな死ぬまでマザコン」と言ったある作家の言葉を思い出す。常にイタリアの現代史に材を取り、政治と宗教に対し鋭い批判を投げかけてきたベロッキオらしい堂々たる大作だ。
妻に先立たれ、精神を病む娘と生活している主人公は検察官という職業柄、科学万能の即物的な世界に生きているが、そんな世界に疑問を抱いている。ヒロインは霊媒や降霊儀式などを行っているセラピストで二人の「霊」を巡る葛藤と娘の救済がテーマとなっている。オカルトでもホラーでもなく克明に日常を描くドラマに組み込まれた「霊」の問題、黒沢清の映画や、最近のオリヴィエ・アサイヤスの「パーソナル・ショッパー」など世界に共通する、現代に残された大きな問題なのだろう。
7篇の詩を発表しただけで、保守的で宗教的戒律の厳しいニューイングランドの小さな町で未婚のまま死んだエミリー・ディキンスンの生涯を、テレンス・デイヴィスは彼女の詩にふさわしい繊細で誠実な手法で映像化している。シンシア・ニクソンは詩人の最期をまるで彼女が憑依したかのような名演で見せる。忘れがたい恐ろしいシーンだ。劇中に流れる「大声で戦うことは勇ましいが、さらに勇ましいのは心の中で突撃する悲哀の騎兵隊だ」という彼女の詩が全てを語り尽くしている。
「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」のトム・ムーア監督のデビュー作。修道院で働くブレンダン少年の冒険譚だ。前作同様キャラは楽しく、緑を基調とした森の背景も美しく、ケルト伝説の知識がなくとも十分に楽しめるが、パンフレットに解説を寄せている鶴岡真弓さんの著書などに目を通し、ケルトの装飾美術や写本について若干知識を持って見ると細部がよくわかり面白さが倍増する。私も図書館で『ケルズの書』の原寸大の豪華な復刻版を手にし世界一美しい本を初めて知った。