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仲のいい少年2人組が同性愛に気づいて狼狽する様子を、アイスランドの原始時代と変わらぬ風景の中に浮かび上がらせる。冒頭で少年グループが釣りをしている。無駄なほど大漁となるが、カサゴが釣れると〝醜い姿だ〟と口々に罵りながらカサゴに唾を吐き、グチャングチャンに踏みつぶす。この1シーンだけでこの村の同質的な閉塞性を明らかにしてしまう。未亡人や離婚者といった独身者にまで陳腐な貞節を強いる環境である。だからいっそう2人の少年の逸脱が輝いて見えるのだ。
オムニバス各篇はどれも作り手の未熟さを露呈する。でも引き込まれるのは、2025年香港というSF的想定にもかかわらず、これが私たちの普遍的物語でもあるからだ。中国政府のグローバル支配に圧殺されていく自由都市・香港の庶民たち。印象深いエピソードは、普通話(北京語)の苦手な昔気質のタクシー運転手が「普」に×の付いたステッカーを貼らされ、四面楚歌となる一篇。まさか香港映画から、あのけたたましく語尾がせり上がる広東語の消える日が来てしまうのだろうか?
フィリピンのドラァグクイーンが死んで、7日間の死化粧を遺言として仲間に託す。あたかも死後の案配こそが人生の目的のような語られようである。彼女は少年時代から〝自分が死んだら〟を空想していた。彼女の本名はパトリックだが、トリシャ・エチェバリアと名乗る。エチェバリアとは、イエズス会の創設メンバー、フランシスコ・ザビエルの本名から採っているものと思われる。信仰とタナトスと唯美的耽溺が渾然一体となり、アルモドバル風の祝祭劇をアジアの風土に実現させた。
中国の延辺朝鮮族自治州から女がソウルの場末に流れてきて、居酒屋を営む。その店は透明なビニールで囲っただけのもの。一時的に風雨を凌げても、外界から完全に守られてはいない。本作は、庶民の生とはこのビニールハウスのごとき頼りなげなものだと言外に語る。女主人と脱北者1名を含む常連客3人組は、友だち以上恋人未満の幻想共同体を構築する。軍政独裁期に活躍した李長鎬の作品、とりわけ「風吹く良き日」「馬鹿宣言」の下層民の鬱屈を思い出させ、深い情感を醸し出す。
いつも一緒のチビとノッポの男子二人組。ノッポはチビが好きらしい。その彼のやるせない視線。ここに監督の繊細が匂って。チビくんの思春期のもだえ。姉たち、その現実主義とロマンティシズムの対称。そして母の孤独。演出の眼は行き届いている。それがアイスランドの広々とした空の下で描かれ、ゆえに息苦しさはない。だけど切なさはある。大人になること、それは自分とは違う他者への受容からはじまる、の結末に心が動く。巻頭に登場の醜い魚が巻末でぴりりと効いて。ちと長いのが。
こういう、今、そこにある問題を描いた作品に対しては、良し悪しなど二の次にしたくなる。共鳴できるかどうか、それだけじゃないかと。それでもというか、だからこそというか、やっぱり映画としての表現がちゃんとしてるか、魅力的かどうかは問われるべきじゃないかと。なぜなら、それが〝作品〟のもつ宿命だから。①は凡庸②は観念すぎ③は言葉のズレをネタにして小粒でピリリ④は力の入った告発劇だが⑤は子どもたちに紅衛兵を暗示させ、一番の印象。で、香港支持!
南国の陽気さでトランスジェンダーを描く。ミス・ゲイ・コンテストの女王を目指すミスターレディ。その半生が喜怒哀楽盛り込み、手堅い演出で描かれていく。時制を交錯させた工夫はあるが、このタッチだったらオーソドックスな話法でもよかったのでは。役者陣は1オクターブ高い演技で、そのあたりのいかにもなトランスジェンダー観とか、頑迷な父親像など、ステレオタイプの感がする。ただノンケの恋人の設定とか、主人公に日替わり死化粧を施す終盤部など印象深いところもあって。
中国からの朝鮮族とか、脱北者が主人公というのが目新しい。繁栄の反対側にある街で、彼らグータラ三人男が飲み屋の姐御をめぐって恋のさやあて合戦。なんてお話はどうでもいいくらい、ただただ男たちと彼女がぶらぶら遊んでいる様が綴られる。こちらものんびり気分になって。いずれも本業映画監督の三人の脱力おトボケ演技が魅力的。脇のバイク少女、ニセ認知症の父がよき調味料となって。急転直下の終幕は、この映画そのものが一場の〝夢〟だったと思わせる。捨てがたい魅力が
幼なじみの少年2人の繊細な心の距離と葛藤を描いた、アイスランドの青春映画。子どもの性を、きらきらした自然の中に溶け込ませていく映像の詩情は、スウェーデン時代のラッセ・ハルストレムを思い出したり。だが、後半、主人公の少年を想う友人の苦しみが押さえきれなくなる辺りから、純粋さと紙一重の絶望をえぐるようなドラマになっていく。ティーンの恋物語なのに、鑑賞後はディープな徒労感(ちょっと尺が長いのもあるけど)。1つの恋を終えた感じ。子役たちがすごくいい。
香港の十年後となる近未来の風景を、5人の若手監督が予想して描いたオムニバス映画。かなり風刺的に香港社会が観察され、かつ強いメッセージが放たれているにもかかわらず、香港の主要映画賞を獲得し、口コミで大ヒットと興行的にも成功しているというから驚く。従来の香港映画の匂いと明らかに違う。何が起こってる? 参加している30代の監督たちは、日本でいうと、どういうスタンスにいる人たちなのか。この作品を観ると、日本や日本映画の十年後を予想せずにはいられない。
急死したミス・ゲイ・フィリピーナのトリーシャ。葬儀の日まで、日替わりセレブメークをしてほしい。そんな遺言を親友が叶えるうちに、弔う人が増えていく7日間と、トリーシャの人生を交錯させて描く。子ども時代からのさまざまなエピソードが、ユーモアと本質を絡めてちりばめられ、人物像が多面的に浮かび上がる。たとえば、ジョークのようなミスコン・トリビアに、彼女の真の美しさが見え隠れする。大らかで心根がやさしい映画。自分らしさの肯定感は、やっぱり幸せの素だな。
ヤン・イクチュンはじめ、本職は映画監督の男たち3人が俳優として出演。行きつけの呑み屋のマドンナ的存在の女性と中年男たちの、うだうだとした日々がモノクロームで映し出される。男女の関係性が見つめられているけど、(本作監督同世代の)ホン・サンスよりいい意味でさっぱりしていて、仏ヌーヴェルヴァーグ風の青春おふざけ感が楽しく、儚げな手触りも心地よい。ノスタルジックな味わいが、じわじわと身に沁みてくる。ヒロイン役の女優ハン・イェリが、何とも魅力的だ。