パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
ネタバレになるから詳しくは言えないけど実は古くからあるパターンの物語。でも特筆すべきは主人公の人物像。超人的能力も、然るべき人に授けられるのでなければこうなってしまうのだという風刺的な話かと思って観ていたら、彼がこのような人物になるまでの経緯がやがて見えはじめ、そこから現代のイタリア都市の状況も透けて見えてくる。敵対する二人の男にはしっかりと実力派男優が配される。低予算ながら工夫を重ねて撮ったと思われる点も好ましく、しかも主人公の無骨さにマッチ。
面白くならないはずがない設定なのに、前半の人情話的部分が、各人物の魅力を上手く引き出せていないきらいがあり、もたついているばかりでなかなか本題が始まらないという印象を受けてしまう(ただしエピローグ部分は上手くいっていて味わいあり)。スローモーションや低速度撮影をこういうやり方で多用するアクションシーンは個人的には苦手だが、「ちょっと前の映画」の雰囲気を出そうとする狙いがあるのかもしれない。サモ・ハンのアクションはさすがの貫祿。ゲスト出演陣が豪華。
メキシコとの国境近くにいた人たちが、迫害を逃れてカナダを目指すという筋書きには、どうあっても現在の米国の情勢を重ねずにはいられないわけだが、それはさておき、P・スチュワートの「老い」の表現が感動的な、おじいちゃんと不良親父、少女が織りなす美しい家族ドラマである。と同時に、肉弾戦の場面では、キャメラの位置が非常によく考えられていてまれに見る迫力。ちょっとした細部の見せ方にも気の利いた工夫があり、ピアースの初登場シーンなど、台詞の書き方もかっこいい。
拉致のシーンだけでも「なぜ後ろからいきなりスタンガンを使わないのか」等々、いっぺんに五カ所ぐらいツッコみたくなって、とんだぼんくら映画かと思いきや、監禁先の設備や、科学者風の一味の服装や外見の、奇妙なレトロ感を見るに至り、50年代から60年代にかけてのB級SF映画の感じを狙った作品ではと思い当たる。当時のその種の映画には冷戦期のパラノイアが表現されていたとも言われるが、そこまで念頭に置いてその現代性を主張した作品、かどうかは訊いてみないとわからない。
日本アニメへの敬意はあるものの、イタリア人の手にかかると、相当に肉食系の味わいになる。主人公エンツォが超人パワーを手に入れる原因がテヴェレ川の水中に沈んでいたドラム缶の放射性廃棄物を飲んだせいだというのだから、話のほうもかなりデタラメだ。しかしスーパーヒーロー役のクラウディオ・サンタマリアをはじめ、恋人のイレニア・パストレッリ、悪役のルカ・マリネッリら若者たちに、まるでパゾリーニの「アッカトーネ」のような存在感があって、現代の青春映画ともいえる。
舞台はマフィア組織がからむ中国とロシアの国境の町。侘しい風景の中をすっかりアクの抜けた白髪の老人サモ・ハンが、よたよたと歩いてくると、「五福星」のジャッキー・チェンやユン・ピョウらとの青春像を記憶している者には、絵になりすぎて泣けてくる。彼がいつも通る路上で、ヒマをつぶしている年金生活三人組のなかにツイ・ハークまでいて、香港映画の笑いの伝統を守る。サモ・ハンの役は認知症初期だが、20年ぶりの監督としては部分接写のアクション撮影を多用して快調。
ミュータントとはいえ、戦闘で負った傷の治癒能力の衰えたローガンをヒュー・ジャックマンが懸命に演じる姿は痛々しい。疲弊した彼が名優パトリック・スチュワートの老々介護までするので、シニア観客には切ない娯楽大作だ。官憲に追われた少数派のミュータントがめざす国境の光景など、やはりハリウッドは反トランプかという感じ。超能力少女ローラ役のダフネ・キーンも他の子役たちもいい味を出しているのに、残酷物語のせいでR指定となり、未成年たちに見せられないのが残念。
写真家ダイアン・アーバスの映画を撮ったシャインバーグ監督の作品だけに低予算のSFホラーながらディテールがいい。一人息子を育てるシングルマザーのノオミ・ラパスの変身してゆく姿の描き方がみごと。彼女が囚われて、恐怖の実験が繰り返される建物が予算の無さむき出しの安いセットなのも妙にリアル。その中で実験に従事する者たちもなぜか女性が怖い。とりわけレスリー・マンヴィルの上品な老女の優しい顔が一番の恐怖。映画好きが集まって、知恵を出し合った作品だとはおもう。
敵役は「ダークナイト」のジョーカーしているし、主人公とヒロインが醸す雰囲気はなんだか「オールド・ボーイ」だし、なにより『鋼鉄ジーグ』である。監督の好きなものを詰め込んでいるのがアリアリなわけだが、自己満足に終わっていない。さもしいチンピラの分際で〝大いなる力〟を得てしまった主人公の逡巡、善行よりも悪行を働くほうが人々からもてはやされる現在の風潮もしっかり描き、ヒーローのあり方をズシンと問い、浮き立たせる。どこまでも憂鬱だが、燃えてしまう快作。
客演が目立つ、最近のサモ・ハン。それゆえに久々の主演作なうえに監督作でもあって期待したわけだが、ドラマ寄りの仕上がりに。別にそれでも構わないが、彼が認知症である設定や少女との交流という要素の活かし方が中途半端でグッとこない。とはいえ、アクションではハッとさせてくれるのはサモ・ハンならでは。関節技重視で徹底的に相手の骨を折るor砕くファイティング・スタイルは彼には珍しく、そういう点においても燃えた。大物ぶりを証明するかのような超豪華なゲスト陣も壮観。
あの爪で引き裂かれ、串刺しにされる雑魚どもの酷い死に様を容赦なく映す。これにより〝ヒーローなのか、畏れられる怪物なのか〟というローガンが抱き続ける葛藤を浮き彫りにし、スーパーヒーローが活躍すれば死屍累々たる有様になる〝現実〟も我々にガツンと突きつける。さらにローガンのダークサイドを抽出したかのような強敵との対決、自身の娘ともいうべき少女との対峙を経て、そうした苦悩の数々に彼が落とし前をつける展開もお見事。鑑賞後、ローガンに最敬礼したくなった。
S・シャインバーグ監督の前々作「セクレタリー」が、SMとラブロマンスを巧みに融合させた作品だったので期待大。今回もボンデージ要素濃厚であるものの、蜘蛛責めをはじめとする猟奇プレイの描写はさほどなく、主人公と彼女を捕えた連中の正体をめぐるミステリーに重きを置いた仕上がりに。しかし、これがなんとも緊迫感不足というか投げやり感満点でのめり込めず。だが、それが「結局、コイツらはなんなんだ?」という良い意味でのモヤモヤ感を残すことになるので悪くはないのだが。