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うーん、もどかしい。これで脚本にもう少し重量感があり、人物たちにクセや個性があったら、「七人の侍」とは言わないまでも、それに近い作品になったに違いない。出雲の風土の神秘的な映像や、豪雨の中での斬り合いなど、実に風格がある。冒頭近くで、この地特有の〝鉄〟造りの技術を丁寧に見せているのも、伝統を守ろうとする村人たちの思いが伝わってくる。ここで造られる鉄が逆に戦いの火種となるのだが。ともあれご当地映画の枠を大きく超えた力作であることは間違いない。
72分のハードボイルド映画だが、観応えは悪くない。施設育ちの雇われ探偵のマジメな不マジメさ。男好きの元カノが女医のくせにエイズ持ちだったというエピソードなど、笑ってる場合じゃないけれど笑えるし。ギャンブル好きのおかま役(蜷川みほ)とのやりとりもくすぐったく、探偵の妹もいい感じ。海辺の町のガランとした雰囲気も、どこか投げやりな探偵の行動にピッタリ。あまり深入りしない箇条書きふうの脚本と、切り上げのいい演出も小気味いい。シリーズ化は、あ、ムリか。
アマチュアのプロというか、プロのアマチュアというか、リリー・フランキーは、三番手、四番手の役どころで登場してこそ、さりげなく目立って面白い。が今回は主役、しかもテレビのお天気おじさん役だけにアップの芝居も多い。そのたびに、作り表情で台詞を言うのが精一杯というのがミエミエ。いっそ、政治家秘書役で宇宙人の回し者の佐々木蔵之介と役をチェンジしていたら――。という大きな不満はあるが、作品自体は意欲的。三島が描く人間界への痛烈な皮肉も薄味ながらチラッ。
安心して笑って、安心してハラハラし、安心してアキレて、安心してホッとして……。山田コメディの安心、安全、安定感は、どんなにキツい世相を盛り込んでも深刻になる寸前に笑いの差し水が入り、いまさら言うのもなんだが、名人としか言いようがない。このシリーズは退職して悠々自適の生活を送る橋爪功の頑固ぶりをメインにして騒動が起こるだけに、かなり保守的だが、子どもたち夫婦が集まってのワイワイ、ガヤガヤのアンサンブル演技など、全員の息が合ってみごと。次回は孫の話を。
飲み屋で騒ぐガラの悪い人たちのタイプそのままの、ザイル系が苦手だ。彼ら関係のものを避けたい。自分で選択できるのなら観たくない。しかし本欄対象作品となったため観た、劇場版「HiGH&LOW」は面白かった。そこでやたら地味なのに役が大きい青柳翔氏は気になった。その彼主演で時代劇。渋い。チャンバラ主眼でなく史観や文化を語ろうという作品。渋い。封建主義に従順すぎるのはろくでもないが池谷仙克美術はいい。本作と「無限の住人」の中間に新たな地平があるのではないか。
自分は本作をつくっているひとたちのシンパで本作に魅力を感じたが、まだこれでは世間を鷲摑みにする力に乏しいとも思った。もっといけるし、いってくれと願う。「ろんぐ・ぐっどばい2」、もしくはまた別の映画のために作り手に伝えたいことを書きたい。森岡龍の探偵と周囲の人物のキャラはよかった。特に好色さや物事の決着のつけ方。だがHIVのネタがあまり機能していない。賈樟柯「青の稲妻」の肝炎ネタのようにまだ肉体関係のない恋人がいたりすればよかったのではと思う。
感心したのはクライマックス的場面のひとつ、火星人リリー・フランキーがテレビ局の屋上で頑張るシーン。リリー氏が地球と人類の危機に対して、恐慌と祈りがミックスされた孤独な抵抗をおこなう姿は、「生きものの記録」ラストの三船敏郎に迫る。それは映画全体の意匠すら突き抜けて三島原作の根本にあったものを見せた。そして橋本愛は自分の横に並ぶ大学ミスコン候補者を惑星間ほどの距離に突き放す金星人美女ぶり。文明批評という主題に負けない見応えと美しさが横溢する作品。
登場人物の一家が不快。その彼らを見て、実につまらないところで笑う、喜劇だから笑わねば、みたいな試写室観客がいやだった。彼らを憎んだ。相当に恵まれてる生活をしてるのに不満ばかり言い合っている家族の醜悪さ。逆「ワイスピ」一家め。だがおじいちゃん橋爪功の高校の同級生小林稔侍が貧困独居老人として現れてから俄然面白くなる。稔侍、あいつら全員殺っちゃってよ!……しかし稔侍は殺らず、独り死んだ。無念。生活保護は当然の権利、という訴えかけは素晴らしいです。
ここ数年、世界で同時多発的に〈巨壁〉の登場する映画が製作されている。それらの〈壁〉は例えば、何かからの襲撃を防ぐものであったり、何かと何かを隔離するためのものであったりする。本作にも〈壁〉が登場するのだが、〈壁〉の意味するところが変化してゆくところに、その議論のありかを導ける。奇しくも、我々が暮らす現実の世界においても〈壁〉を建設しようとする動きがある。そのことを予見したかのような日本の時代劇が海外で評価された点は、特筆に値するのではないか。
映画の中でこれまで描かれてきた探偵たち。その多くは、アウトローで女に弱いけれど、優しい。探偵たちが劇中の住民たちから好かれるように、観客もまた探偵たちに魅了されてきた。本作で探偵を演じる森岡龍の役作りは、まさに観客を魅了する。そして、探偵を魅了する女医を演じた手塚真生もまた観客を魅了する。事件の行方がどうであれ、映画の中のキャラクターに魅了され、探偵の次なる依頼を観てみたいと思えることは、本作が〈探偵物〉として成功している所以ではないだろうか。
自称〝宇宙人〟たちの言葉を借りた社会批判。本作において、彼らの正体云々は重要ではない。現代的に物語がアレンジされているとはいえ、三島由紀夫の暮らした時代とさほど乖離していない今生の問題。その現実には絶望すら覚える。全篇にちりばめられた〝嘘〟と〝真実〟に対するメタファー。現実を直視しているという意味では「陰謀論を唱えるくらいの方がまだマシかも知れない」と思わせるに至る。周囲から狂っていると思われているが、狂っているのは周囲の方なのかも知れない。
劇中〈前近代的〉という言葉が登場する。世界の映画監督たちが血縁関係に依らない家族関係を描く中、山田洋次監督は〝三世代同居〟のような〈前近代的〉家族像を描きつつ、〈前近代的〉な古びた〝笑い〟を誘発させている。しかし〈前近代的〉な家族そのものを描こうとしているわけではなく、前近代的価値観と現代的価値観との衝突や、無縁社会や下流老人の現実を提示してゆく。本作は、かつて近代社会を支えた人々の老いを描くことで、現代日本の病理を〝笑い〟で炙り出している。