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道路事情に長けていないタクシードライバー。じつはイランの名匠ジャファル・パナヒ監督の世を忍ぶ姿である。このベレー帽をかぶった水戸黄門が運転席に設置したGoProやiPhoneといった小型デバイスは、タクシー乗客の悲喜こもごもを記録する。本来は定点観測であるはずのカメラが、街中を動き回っているという逆説の面白さだ。アメリカ政府が悪の帝国扱いをしてきたイランではあるが、車窓から垣間見える首都テヘランの凛とした美しい佇まいからは、悪の匂いは感じられない。
日本の「エンディングノート」同様、映画作家が自分の親の病を記録していけば、一世一代の愛と死のドキュメンタリーができ上がる。ドイツ中部フランクフルト郊外の一軒家に私たち観客もしばし滞在し、アルツハイマー病を発症した母の看護のために帰郷した映画作家のかたわらに身を寄せることになる。固有の死生観、夫婦観が炙り出される。興味深いのは、母がかつては左翼運動の闘士で、若者が歴史の表舞台に立っていた時代をリードしていた点だ。怒れる若者にも老いは訪れる。
中国西部・青海省を舞台に、チベット人家族の肖像にカメラは留まり続ける。余計なものは一切描かず。乳離れしない甘えん坊の幼娘、祖父との感情的もつれを解消できない父。羊飼いの放牧生活を鷹揚に撮影しつつ、雪解け前の草原地帯の硬軟入り交じった風景を大摑みする。この土地を知り尽くすソンタルジャ監督にしか撮れない世界である。中国政府はチベット問題に神経を尖らせるはずだが、これほどチベット的な作品が国際映画祭を賑わすというのは、ある種の懐柔なのだろうか。
絵本作家の晩年を彩るニューイングランド地方での古風な田園生活。家庭菜園、伝統的な生活様式。「スローライフの母」の異名を持つ主人公の口から発せられる珠玉の人生訓。開拓時代の気風を残した彼女の不屈の生きざまには感服させられる。しかし、異端を容認しない頑迷さが漂い、邸宅を訪れる子や孫やその配偶者は例外なく彼女を敬い、あまつさえ19世紀のような衣裳に身を包んでいる。普段はナイキとか着ているくせに、セレブのお婆ちゃん宅への訪問用コスチュームがあるのか。
映画を作ることを国家から禁止された監督が、タクシーから一歩も外へ出ない映画を創る。制約された舞台。限られたキャメラ・ワーク。一見、窮屈だ。しかしその筆致はのびのびと自由で。今のイランを反映したような乗客が次から次へと登場。その一人一人のおしゃべりの愉しいこと、魅力的なこと。そこに辛味、苦味、毒気もさらり含ませて。ムキにならず、絶叫せず、この淡々の語り口の巧さ。映画の力を信じ、その威力を発揮して、頑迷な政権に一矢を報いた。見事なレジスタンス作品。
日本の家族介護ドキュメンタリーのほとんどが、いまそこにいる肉親の記録。このドイツの監督も、認知症の母親をキャメラで追う。違うのは母親の過去を刻んでいること。政治活動やフリーセックスの青春時代を。かつてのみずみずしい姿を知っている監督は、今の母親をなかなか受け止められない。しかし自由を求めた彼女は、認知症となって、すべてのしがらみから解放されたように見える。そう、母親は他者として生まれ変わったのだ。新たな家族関係の葛藤と出発が描かれて。なかなか。
六歳の女の子が、死と誕生を経験する。父に対する不信の感情ももつ。その心の動きを、彼女の自然な表情で見せきった演出の細やかさ。広大な草原。女の子がとぼとぼ歩く。その小さな姿を高台から父親が見下ろす。ここを一つに収めた遠近画面の見事さ。娘と父、その父も祖父に心を閉ざす。凍った河が二つの父子を隔て、やがて季節の推移とともに水も、彼らの心もゆるむ。この悠々たる筆遣い。一見モンゴル映画。だけどちらり中国の影がうかがえるところが、紛れもなくチベット映画だと。
光があれば闇がある。闇があるから光は輝く。だけどここには陰がない。お日さまだらけのお庭にお花。犬に猫に、ニワトリあひる。手作りジャムもおいしそう。スローライフの農場暮らし。だけど旦那はどこ行った。百姓仕事イヤになり、さらばさらばと出ていった。地上の楽園夢のよう。ターシャそこまで踏ん張って、築いた成り立ち見たかった。彼女の生誕百年の、お祝い映画のめでたさよ。微笑みあふるる宴の輪。入れず私は影の中。そういやこちとら園芸よりは、演芸好みのバチ当たり。
反体制的な活動を理由に、2010年より20年間の映画監督禁止命令を受けているJ・パナヒ。そんな中、街を走るタクシーという密室を舞台に極秘の映画製作を行う。運転手はパナヒ自身。乗り降りする市井の人々。製作状況のみならず、彼に降りかかるさまざまな制限が、いかに才能へ重石となってのしかかっているかがわかるのは辛いが、パナヒと彼を支える人たちの強い意志はそこにしかと読み取れる。タクシー内の作劇と、イランの街のリアルな喧騒とがふいに重なり軋む瞬間がスリリング。
認知症になった妻を長年ひとりで介護してきた夫。息子ダーヴェッドは実家に帰り、父に代わって母の世話をしながら彼女の最期の時間を映像に記録する。この両親は、若い頃、政治活動もしていた左派の知識人で、互いの浮気を許し合う個人主義的な考えを徹底していた。息子である監督は、母の認知症が、母と父、母と子どもたちの愛情の通わせ方に変化をもたらし、家族としてより親密になっていく様子をとらえる。ドイツ映画。夫婦像も含め、こうした介護ドキュメンタリーは珍しいと思う。
厳しい自然の中で牧畜を営む家族。長篇第2作となるチベット人監督ソンタルジャは、父と母と小さな娘の素朴な生活を描きつつ、父が祖父に抱くある複雑な思いを映画に謎めいた揺らぎとして漂わせ続け、そうすることで、穏やかな家族の風景をただ居心地のよいものだけにしていない。シンプルだが、男女の根源的なところを探り当てている作品。計算か直観かわからない魅力的なショットを重ねていく、映像で動かす独特な話術が凄い。役者の顔や表情が美しくとらえられているのも必見だ。
絵本作家ターシャ・テューダーは、緑と花に囲まれたライフスタイルを実践したスローライフの母としても知られる。が、このドキュメンタリーを観ると、彼女がとんでもない名家の出であり、その血筋とその中におけるある種の異質性が生んだ人間味溢れる天才だとわかる。だから、癒し系ゆるさというよりは、強く気高い本物の凄さを感じ、ピンと背筋が伸びる気持ちになるのだ。美しい風景。優雅さと慎ましさ。人生を生きる上での数々の名言。極上という何かに彼女の姿から触れられる。