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「タイタニック」や「ゼロ・グラビティ」等をつまみ食いしたような設定には「おいおい」と言いたくなるが、目覚めた二人がエンジニアと作家であること、人間が二人いないと対処できない危機がやがて訪れることが、実は物語の本当の要。宗教的な人であれば「神意」と呼ぶであろう、必然であったかのように見える偶然がしばしば導く「天命」について考えさせられる。ケン・アダムをアップデートしたみたいなプロダクション・デザインがケタ外れに素晴らしく、これだけでも観る価値充分。
POV映像で主人公と同化するというよりも、主人公の視界を無理矢理体験させられるアトラクションみたいで、それだけなら高く評価するようなものではないが、面白いのは、客観ショット抜きで次々突拍子もないことが起こるせいで、映画全体がナンセンス・コメディの快作(怪作?)の様相を帯びてくること。これは別に間違った鑑賞態度ではなく、実際、笑いを意図したシーンが多くて、音楽の使い方も可笑しく、さらには謎のミュージカル・シーンまである! 相棒ジミーの設定が最高。
宣伝ヴィジュアルから想像されるようなポップな演出ではなく、リアリズムと言っていい演出なので、こちらもリアルな問題としてあれこれ考えてしまい、その結果「これは暴君の自己陶酔と虐待以外の何物でもないではないか」という結論に至ってしまうのに、ひたすら肯定的に描かれるから、こりゃ(昔の)ヘルツォーク作品みたいな奇想の人の映画として観るしかないのかと腹をくくった途端、父ヴィゴが急に己を疑いはじめて普通のヒューマンドラマへ向かうのでびっくりした。撮影がいい。
主人公のナレーションがぶつ切りの断片を力づくでつないでいるかのようだった前作とは違い、映像やアクションの積み重ねが語りのうねりを作り出し、正統派の群像コメディとして成立。4人の生活は相変わらずダメダメだとしても、20年の歳月は確実に各キャラクターの人間性に厚みを与えていて、その結果、失われた時間、与えられなかった選択肢といった主題が、説得力をもって胸に迫る。俳優自身も20年の歳月を背負っているわけで、演者の身体性が、これほど力を持つ企画もあまりない。
未来の人類が地球環境を見捨てて、120年間の冬眠の果てに別の宇宙世界に居住しようとする気持ちは分からないでもない。しかし5千人の乗客を乗せて目的地をめざす宇宙船がロウアーデッキとゴールドクラスの客室に差別されているとは眠ってしまえばどうでもいいじゃないかという気はするものの、やはりイヤな感じ。もっとも、それがないと「タイタニック」的愛の物語が成立しないのだが。90年で冬眠から覚めたときの恐怖は共感できて、試写室を出た瞬間、東京の樹木が美しかった。
「一人称視点」の映画としては既にロバート・モンゴメリーの「湖中の女」、小説としては筒井康隆の『ロートレック荘事件』があるけれども、長篇アクションを主演者の頭にカメラを取り付けて撮影しきった実験精神には、現場人間として敬意を表したい。しかも情け容赦なく、銃をぶっ放す主人公は一言も口をきかない。その結果、ヘイリー・ベネット熱演のファム・ファタールがぱっとせず、物語映画にはカット・バックが必要不可欠だと思い知らされる。カッコいいエンディング音楽にほっとした。
誰しも子どもに「普通」の教育を施そうと苦労しているので、ヴィゴ・モーテンセンが6人の息子と娘たちを学校にも行かせず、大自然のなかで自由奔放に教育しているのを見ると、羨ましくもあり、その過激さに思わず笑ってしまう。だが、現行の教育制度を否定していながら妙に知的で、チョムスキーからグレン・グールドまでキメこまかく引用。この家族を支配したのは遺骨を公衆便所に流すようにと遺言したモーテンセンの亡き妻で、ヒッピー文化のカルト性が周辺の人々には怖かったのだ。
登場人物のキャラクターは何度も説明されているけれど、前作を見ているかどうかで面白さが違ってくる映画。二十年の歳月で、こんな風貌になってしまうのかと思った。社会はそれなりに変わってきているのに、おなじみの男たちは相変わらずダメ人間のままだ。前作を見た年配者はわが身を顧みつつ、ため息が出る。せめての救いは、ダニー・ボイルが作り出すポップな映像と懐かしいサウンド。エディンバラを舞台に往時のスタッフとキャストをよく集結させたものだと、その点には脱帽した。
ヒロインの名がオーロラである点からして、「眠れる森の美女」が物語のベース。かといって甘ったるいわけではなく、目覚めたタイミングが悪かったり、その場に居合わせた相手がガテン系だと、ガックリどころか殺意ビンビンになることを描いているのがシビアでユニークである。そこからいかにして彼らが相思相愛になるかが重要になるわけだが、はなから絶体絶命な状況下なわけだから一緒になるしかないだろうという感じのまま終了。主演ふたりのムチムチすぎる肢体には胸焼けしそうになる。
全篇を一人称視点で貫いたド根性は、たしかに敬服に値する。ハンドガン、ライフル、ガトリングガンとあらゆる銃器をぶっ放し、人体破損も見せ場と心得て画面を死屍累々にしていくのも見事。だが、それを延々と続けられると逆に弛緩状態に陥って、刺激的なものには感じられなくなる。そんななかで逆に際立つのが、何度もヘンリーの前に現れては、そのたびに扮装が違っているS・コプリーの存在。凝った映像やアクションより彼の七変化と怪優ぶりのほうが楽しく感じられてしまった。
キー・アートを一見すると「ロイヤル・テネンバウムズ」+「リトル・ミス・サンシャイン」なノリかと思うが、そんなことあらず。たしかに変わった一家のロードムービーだが、父親越えを軸とした泣ける家族劇であり、いかなる主義、思想、宗教にも完璧なものはないと突きつける真摯なドラマでもある。それでいて、一家と外世界とのイデオロギーorカルチャー・ギャップをめぐるギャグも用意して笑わせてくれるのも◎。家族総出でカバーするガンズ〈Sweet Child o' Mine〉が美しすぎる。
とりあえず健康志向へ転向、いつしか勃起不全、相変わらずケチな仕事をやめられず……。各キャラの〝その後〟が彼らと同じ世代のこちらにも思い当たるものが多く、E・マクレガー以外の老けぶりもかなりのものなのが、沁みるし、刺さってはくる。〝人生の天井〟が見えてきた者たちの悲哀を描くだけの物語に終始するかと思ったら、意外な人物が希望と未来を見出す展開に結局のところ励まされる。腐れ縁の友人と傷を舐め合うような作品で、前作のファンではないと楽しめないノリではある。