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連続公開の「汚れたミルク」では世界普遍の問題に敷衍したタノヴィッチ映画がこの新作では再び自画像へと原点返りする。ユーゴ内戦の象徴的な建造物であるサラエヴォのホテルでの有象無象を通じ、現代世界における終止符の打てない報復のスパイラルを打ち出しつつ、黄昏の憂愁もただよわせる。グランドホテル形式という点でE・グールディングやゴダールへの、サラエヴォの火薬という点で「マイエルリンクからサラエヴォへ」のM・オフュルスへのリスペクトが見え隠れする。
経済破綻が報じられたはずのギリシャで、ブルジョワ野郎どもが悠々とクルーズに興じている。世界中に喧嘩を売っているこの設定だけでも、リンクレイター「スラッカー」に出演したというギリシャ人女性監督に快哉を送りたいが、事はそれで終わらない。映画は終始エーゲ海に浮かぶ高級ボート内という限定空間だけが被写体であるにもかかわらず、カメラが優秀なのか、充実したカットの目白押しである。男同士のイヤらしい見栄の張り合い劇を、なにもここまでちゃんとやらなくても……。
ヒッチコックやベルイマンがそうだったように、人間の罪悪感、懺悔というものが何故これほど映画とマッチするのだろう。クリニックの雇われ院長を務める女医は、他殺死体で見つかった少女を、死のまぎわにおいて助けなかった。映画は、女医の過失を告発し続ける。カサヴェテスの「オープニング・ナイト」に似たマゾヒスティックなシナリオを、ダルデンヌ兄弟が彼らなりのタッチで料理した。クリニックの診療室へは小階段を昇降しなければならない。微細なストレスの集積。
インドのスペクタクル史劇。王の忘れ形見が市井で怪力青年に成長し、父から玉座を奪った伯父一族に対抗する貴種流離譚だ。序盤で主人公に滝登りをさせるという上昇運動の豪快な視覚化がみごとである。女性戦士と恋に落ちるプロセスもマサラ・ムービーならではの歌謡仕立てが薫り高く、主人公が初めて首都に乗りこんで民衆を味方につけていくシーンのカタルシスもすがすがしい。マイナーなテルグ語映画が映画大国インドを一躍制覇した点でも、主人公の名誉回復と重なる。
今もなお続くボスニア・ヘルツェゴビナの混乱状況をグランドホテル形式で描いて。経済は行き詰まり、労働者の身分も不安定。女性は生きづらく、ヤクははびこり、地下ヤクザが暗躍する。百年前の暗殺事件は賛否両論、この前の紛争の正否もあやふやなまま。このカオス状態を、目まぐるしいカット・バックの疾走感で、ゴロンと投げ出して。最後の銃弾一発の虚しさ、そして巨大な階段を昇り続けているような男の姿。もうもう監督の苦悩、そのため息が聞こえて。ちと直球すぎの感も。
ヒマと金のある六人のオッサンたちが、海上のクルーズ船中で誰が最高かを競い合う。観ているとバカバカしい。だけど米国の、からだは大人だが頭はガキのまんまの連中が騒ぎまくるコメディーみたいな騒々しさがない。この男たちを見つめる監督(女性!)の筆遣いが冷静なのだ。どこか彼らを観察している趣きで。やがて、現実とは違うゲームの規則、そこにしがみつき、己を賭ける男というもの、その本質が滲みでて。M・フェレーリの「最後の晩餐」の精神とどこか通じる〝男〟映画の佳作。
この兄弟監督、前作の「サンドラの週末」からストーリー・テラーになった。今回は郊外の小さな診療所、その女医が主人公。ならば、彼女を中心に、住民たちの社会的状況とか移民の問題を、ドキュメンタルに描くことも可能。が、少女の死の謎を設定することで、ミステリー的展開に。現実の問題を在りのまま提示するのではなく、そこにお話の面白さを盛り込む。そうすることで、人物にあたたかい血が流れ、しかも彼らの痛みが自然に伝わって。なんだか作品が豊かになった気がするのだが。
英米のファンタジー映画が食傷気味なんで、このインド産戦国絵巻は楽しめた。なんか、かつての無邪気な東映チャンバラみたいで。「黄金孔雀城」とかさ。中身も貴種流離譚だし。お馴染みの唄と踊りの趣向もピタリ、いいところにハマって心躍る。それよか、これでもかの大戦闘シーンの痛快さ。馬とともに数万の敵軍に向かって突撃、一撃、数十人の兵士を吹っ飛ばす。いやはや、張り扇の音がパンパン弾けるような威勢のよさ。ドラマ部分が重くならないのもいい。たまにはこういうのも。
タノヴィッチが「ノー・マンズ・ランド」を発表したのが、01年。15年後に撮った本作は、彼が世界の矛盾や紛争、そこに発する人間の愛憎を最先端で問いかけている映画作家だと再認識させられる。原作戯曲は、ホテルの一室でサラエヴォ事件についての演説を練習する男のモノローグ。映画はホテルを舞台にした群像劇に脚色し、広がりのあるドラマに仕上げている。社会的立場と個としての内面のズレ。その小さな隙間を入り口に、壮大な問題提起をしていく話術が人間臭くかつ知的だ。
6人のオヤジたちが船上に集まり、数日間のクルージングへ。それぞれの日常言動を評価し、一番点数の高い〝最高の男〟を決めるゲームを開始する。ギリシャの女性監督の作品だが、彼女の感性、日本のいわゆる腐女子の感性に近くないか? 登場するのはムサ~イ中年たちなのに、みなどこか美しい。キラキラしてる。キャスティングでは、〝自分に潜む女性的な部分を恐れない男性〟を求めたそう。まさに男臭いヴィジュアルから零れる繊細さが堪らない。セコさもご愛嬌。笑えるし。許せます。
診療時間を過ぎて鳴ったドアベル。開けなかった女医。翌日見つかった少女の遺体。救えたかもしれない命に起きた真相を、主人公である若き女医が探り始める。医師と刑事と修道女を合わせたような彼女は、罪悪感と正義感に突き動かされ、究明を止めない。事件の核心に迫るサスペンスに加え、その過程における、対人に窺える彼女の心理の変化がもう1つのサスペンスとなっていて面白い。暴力に向き合う物語でもある。シリーズ化も待望したい、ダルデンヌ兄弟の軽やかで懐の深い野心作。
製作国インドと、アメリカでも大ヒットを記録。伝説の戦士バーフバリの3代にわたる運命をスペクタクルに描いた超大作。拾われた赤ん坊が成長し、美しい女戦士と恋をして、やがて自分の血筋の因縁深い過去を知ることになる怒濤の展開が、ドラマとミュージカルとVFXを駆使したアクションてんこ盛りで描かれていく。その重量級の濃さは間違いなく見応えはあるが、かなりお腹いっぱい。と思っていたら、なんと、これは〝第一章〟とのこと。体力のある時に、次作も観たいと思う。