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こういう映画って女優なら一度はやってみたくなるものなのだろうか。ジャクリーン・ケネディの伝記映画というよりも、ナタリー・ポートマンがジャッキーを演じるセミドキュメンタリーみたいな感覚で観た。製作側のスタンスも完全にそうなっていて、とにかく夫ケネディの影の薄いこと! 暗殺以後の彼女の行動に焦点を絞っているので、夫婦間の絆といった側面はほぼ描かれない。その結果、ヒロインの強い意志が何に支えられているのか謎な感じもなくはない。ポートマンは頑張っている。
誰もが思うことだろうが、とにかくまずカメラが良い。特にすごい事をやってるわけではないのだが、動きも色も深度も、抑制が効いていながらすこぶる繊細で美しい。高校生になったシャロンの声の野太さが逆に良い。黒人少年同士の性愛を、あんなリアルで詩的な映像で描くなんて。主人公が大人になり、ドラッグディーラーとなって見た目も大きく変貌した後の第三部は、ショットというショット、すべての演技に強い説得力が漲っている。評価の高い音楽はちょっと趣味が良過ぎるかなあ。
こういうのがあるということすら今回初めて知りました。スピンアウトにも色々あるんだなあと感心しきり。それなりに愉しんで観たけれど、率直に言って、この作品にどんな論評を加えたらいいのか全然わかりません(笑)。実際にはレゴを使ったストップモーションアニメではなくて全篇CGだそうで、そりゃそうだろうなとは思ったが、それって本末転倒なのでは? とも思った。ストーリーは非常にシンプルになっていて、あくまでも主眼は「レゴのバットマン」であることがよくわかる。
もう何度も書いてるように、私は「実話」という前提=担保のおかげで「ものすごく劇的な話」が成立するという逆説にはどうしても違和感があるのだが、でもまあこれは確かに「奇跡の実話」としか言いようがないよね。特に後半、映像がMV風に流れる感じがあってそこは感心しない。シーンの跳び方が感覚的過ぎるというか。主演デヴ・パテルは好演してるしルーニー・マーラは相変わらず可憐だが、見るべきはやはりニコール・キッドマンと少年サルーを演じたサニー・パワールだろう。
ファーストレディとは何かを考える上で絶妙にタイムリーな公開となった。夫である大統領のショッキングな死と闘いつつ葬儀を取り仕切った妻の武勇伝かと思いきや大間違い。ケネディそっちのけの感情論で公務と自己実現を混同した挙げ句自己の正当化に至る過程は、同性としては共感しても反発しても己の業の深さ、あさましさ、醜さを露呈するだけという悪魔のような映画。アロノフスキー製作らしい意地の悪さが全開だが、演出はアロノフスキーほど娯楽性に長けていないので余計にきつい。
目に見える差別を実物以上に具現したビジュアル的なアプローチという意味では画期的な挑戦である。造形としての黒人の撮り方、皮膚の写し方においてはほとんど発明と言っていい。一方で、マイノリティの多様性が日々複雑化していく昨今では古典ともいえる人種、貧困、同性愛の描き方は、社会の被害者として存在する主人公の受動的なキャラクターとあいまってオーソドックスでもある。だからこそオスカーを獲れたのだろうが、映画というメディアの根強い保守性に改めてうちのめされる。
なぜバットマンをレゴに? という素朴な疑問はすぐにどうでもよくなる。過去のバットマンシリーズやアメコミに対するツッコミとパロディにあふれた世界観(さらにそこから新たにドラマを生み出している!)を表現するためには、実写やアニメのリアリズムとは対極にある、ある意味不自由なレゴのフォーマットが最適だったのだ。短い手足に敢えてぎこちなさを残した動き、表情や仕草の作り方が慈愛を誘う。中でもジョーカーのいじらしい可愛らしさといったら身悶えするぐらい。
冒頭のシークエンスが圧巻。幼いサルーが眠っている間に列車で遠くまで運ばれ、言葉もわからず、知っている人もいない町を一人彷徨う長いシークエンスにはほとんどセリフらしいセリフがなく、背景音は鳴っているものの芝居の演出としては限りなくサイレントに近い。不安と恐怖、いたいけさと同時に発露する勇敢さを体の動きと表情だけで見せきった子役の力もすごいし、それをさせた監督もすごい。忘れた頃に明かされるタイトルの意味、その出し方がかっこよく、最後まで目が離せない。
脚本を書いたノア・オッペンハイムは、大統領暗殺からの数日間が、ジャッキーをアイコンにしたと言っているが、映画はまさにその数日間を描いている。すべて忠実細緻に再現され、ポートマンも美しく聡明なジャッキーを演じているが、血の通った人間は感じられない。人間でなくあくまでアイコンなのである。ホワイトハウスを去り、ジャーナリストに復帰し、幾つかの浮き名を流した後オナシスと再婚する脱アイコンの時代を知っている我々観客の興味、関心は満足させてくれない。
主人公は抗議する黒人ではないしマッチョでタフな黒人でもない。鋭い感受性を持った少年の成長物語である。原作のタイトルは『月光の下、黒人の少年はブルーに耀く』だが、ゲイの主人公は親友のケヴィンと月光の下で愛を確認する。それを機に物語は一挙に加速し、終章の十数年後の再会に至るまでを息をつかせぬ見事な展開で見せる。黒人でゲイであるという疎外感と0・ヘンリー風の皮肉な結末が静かな感動を呼ぶ。母親、少年時代に慕った売人夫婦、ケヴィン、みな興味深い人間像だ。
レゴで組み立てられたバットマンなんて動きも表情も乏しいので果たしてどうかなと言う不審は、たちまち消し飛んだ。バットマンもジョーカーも饒舌でよく喋るが、ウイットの効いた科白が楽しい。バットマンの性格をひとひねりして練り上げた企画脚本の勝利だろう。特筆すべきはスピード感、疾走感だ。かなりマニアックな作品だが、アニメやアメコミに不案内な私も、M・キートンやJ・ニコルソンを思い浮かべながら楽しんだ。家族愛で締めくくるエンディングも説教臭がなくて良い。
5歳の主人公がインドで兄にはぐれ路上生活の末に孤児院に行くまでの前半の描写が素晴らしい。不安に怯える少年の澄んだ瞳、雑踏を彷徨う遠景を追う映像は胸に迫る。後半は一転し20年後、富裕な豪州の一家の養子になった彼のアイデンティティ探求、実母との劇的な再会であるが、実話に基づいているということが、信じがたいこの話に強いリアリティを与える。実子を持たず貧しい国の不幸な子を養子にするというN・キッドマンのリゴリスティックな信念も説得力を持ってくる。