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日本語通訳を務める若者が、神の言葉を媒介する存在(教会の助祭)でもあることや、画面や挿話に現われるいくつかのシンボリズムからして、これはキリスト教的な意味での「信じること」と「疑うこと」についての物語でもある。それをアジア的視点で論じた映画と言うべきか。撮影と編集が驚くべき的確さ。謎の男に、ほかのどの日本人俳優でもなく國村隼をキャスティングしたのが大正解。いつにもましてハンサムなファン・ジョンミンが、祈祷師をスタイリッシュに演じるのも見どころ。
冒頭の脱獄シーンで「くどいよ……」と思ったのに、しまいにはそのくどさを受け流せるようになってしまっているのだから人間の順応力は恐ろしい(?)。画面に登場した途端にみなかたっぱしから死んでいくという勢いで、ある種の韓国映画を極端にした、またはある種のボリウッド映画からミュージカルシーンを省いてバイオレンスでびしょびしょにした、みたいな感じ。上手い演出と、異様に素人っぽい演出とが混在し、キッチュな場面がてんこ盛り。カルトな人気を獲得するタイプの映画。
バックステージものに弱いわたしのツボを突く題材。歌を通じてキャラクターがみな、自分の人生の問題を乗り越えていくストーリー。クライマックスの舞台シーンは構図やカット割りも見事で、1曲終わるごとに拍手したくなる間合いが取られており、ハリウッドの古典ミュージカルを作り手がちゃんとわかっているのだなと思える。背景美術もいちいち楽しく、きゃりーぱみゅぱみゅの歌に合わせて踊る「ジャパニーズ・カワイイ」的5匹組が、どことなく日本の女の子たちっぽいのも面白い。
やったところで愉快な結果になるわけがないのだから、こんなゲームを始めようという神経がそもそも理解不能だが、あえて「もしも」やってみたらどうなるかという前提で始まる映画。でも、脚本に仕掛けられたこのトリックを、評価するかどうかは意見が分かれるところだろう。限られた空間を上手に使った演出。アウティングの問題を深く考えさせるくだりが個人的には印象に残ったが、7人の登場人物のうちの誰に最も感情移入できるかなど、グループで観に行くと鑑賞後に盛り上がりそう。
祈祷師が活躍する韓国映画に國村隼の日本人が参入し、彼の居住する乱雑な部屋の飾りつけとともに人物像は最後まで謎のままながら、土着的な存在自体が怖い。洋泉社の新刊『ゾンビ論』を読後に見たせいか、ゾンビの始原の地ハイチとヴードゥーの呪術を巧みに韓国の過疎地に移しかえていると思った。「エクソシスト」など、他の映画からの引用はあるものの、2時間半をもたせるのは、撮影の細部がいいせいだろう。村に住み着いた日本人というだけで、怪しい人物とは、庶民感情の反映か。
いま、インドネシア映画に元気があるという評判通り、冒頭から派手なアクションが始まるや、最後まで監督のモー・ブラザーズも主演のイコ・ウワイスもやる気満々、手を抜かないので、娯楽映画ながら肩に力が入ってしまう。女優の格闘技も志穂美悦子ばりですごい。凶悪な暴力を構成する要員は子どもたちを誘拐してきて育て上げるという仕組みだが、記憶喪失したイコがそのことを思い出すという構成で、この国の地方の風景のなかで撮影されると実にリアリティがあり、恐ろしく見える。
最近のアニメはシブイことをする。見たばかりの「虐殺器官」ではカフカの墓参りが重要なシーンになっていたし、この作品も動物たちがキャラクターなのに、それぞれが奏でる懐かしさをともなう楽曲に感情移入。コアラの主人公は父が残してくれた劇場を守ろうと孤軍奮闘する。そこに登場するブタやゾウ、ゴリラなどの動きがおかしい。パンク・ロッカーのヤマアラシなど秀逸で、ハッピー・エンドだと分かっていながら、大団円の舞台をわくわくして待った。オールディーズのファンにはお薦め。
日本の映画鑑賞の環境はよくて、この作品もよくぞ輸入してくれたと思った。親しい者どうしが集まるホームパーティが舞台で、三一致の法則によるイタリアのコメディ。筒井康隆の「スタア」を監督したものの目からすると、演劇的ではなく、日常的な会話が続くので、どうなることかと心配したが、やがて携帯電話を巡っててんやわんや。くれぐれも自分には隠し立てする秘密はないと言ってはいけないという教訓劇。誰しも思い当たるところがあるのは五人の脚本家が知恵を出したせいだ。
よそ者、毒キノコ、謎の病、呪術に翻弄され、混乱していく町の者たちと観ている者をシンクロさせる『羅生門』的構成が実に巧み。かといって玉虫色のままで終わらせず、憤怒や恐怖に駆られて闇雲に敵を見出し、それを排除する間に真の敵が跋扈するという、いつの世にも絶えぬ悪しき摂理を明確に打ち出す。たしかに前二作とは違ったスタイルではあるが、ナ・ホンジンならではの〝追いつ追われつ〟なシーンはしっかりと用意、吹き出す血の量も色味の赤黒配合量もアップしている。
取調室の机に鎖で繋がれたままでの立ち回りを筆頭に、イコ・ウワイスの体技はますます絶好調。モー・ブラザーズも彼の超人的体技に負けてたまるかと、口に手を突っ込んでのアゴ裂き、エンドレスなパンチを受けて凹む顔面といった具合に、容赦なく人体を破壊させる。物語とは別に繰り広げられるそんな両者の激突に、いやおうなくヒートアップ。銃や刃物を取り入れた見せ場を連続させておいて拳VS拳で締める〝わかっている〟感、敵役サニー・パンが醸す尋常ならざる存在感も◎。
〝いつだって人生は変えられます〟的なもの以外に深遠なテーマやメッセージがあるわけではなく、華やかなシーンを繋ぎ合わせただけの印象。だが、そうした娯楽至上主義を掲げたイルミネーション・エンタテインメント制作の作品であるのだから文句を言うのは筋違い。実際、次々と飛び出す時代とジャンルをまたぎまくった名曲&ヒット曲には聴き入ってしまうし、ユーモラスとキュートを打ち出したキャラ群にも見入ってしまう。コアラ=マシュー・マコナヘイが繰り出す妙な日本語は必聴。
原題がスバリそのものとなっているが、なにもかも知っているつもりの親友も家族も結局のところは秘密を抱え込んだ〝見知らぬ人〟である。そうしたテーマとスマートフォンを使ったやりとりはさほど目新しいものとは思えないが、サスペンスフルな演出は冴えに冴えており、明らかにされる秘密もグサグサ刺さるものばかりで、ラストまで持っていかれっぱなし。さも軽妙な大人向けコメディのような日本題とキー・ビジュアルだが、それを鵜呑みにすると痛い目に遭う密室劇だと思う。