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どうしたって邦題とテーマソングが「アナと雪の女王」を思い出させるわけだが(監督も作曲家も別ですが)、よりシンプルでストレートな設定によってわかりやすさが増している。ワガママでお調子者、でも心根は優しい半神半人のマウイの声を演じるドウェイン・ジョンソン(元ザ・ロック)がなかなか良い。しかし全体の構えとしては典型的なPC(ポリティカリー・コレクトネス)アニメであり、極めて表層的な人道的配慮の擬装を疑わざるを得ない部分も。これに限ったことではないが。
とにかくこれが本格的な映画初主演だというコメディアン、デイヴ・ジョーンズが素晴らしい。やや甲高い声でやたらとまくし立てる彼の舌鋒は、直情的に映る振る舞いの内にこの映画の主題である「ひとりの人間としての尊厳」と「他者に注ぐ優しさ」を鮮やかに覗かせる。職業安定所のお役所仕事の冷淡さ、非道さは他人事ではない。その長いキャリアにおいて一貫して英国のごく普通の労働者たちが抱える諸問題を描いてきたケン・ローチ監督は、引退宣言を撤回してまでこの作品を撮った。
ミア・ハンセン=ラヴもまた女優から監督へと見事な転身を遂げたひとり。むしろ今が黄金期だと思えるイザベル・ユペールを主演に迎えて、高校の哲学教師が見舞われる突然の人生の転変、そして新しい自己との出会いを、わざとらしさ皆無の落ち着いた語り口とナチュラルなタッチで丁寧に物語る。しかしこんな細部までハッタリ抜きに知的な作品を観ていると、フランス映画の或る種の豊かさと同時に、某国の貧しさを意識せざるを得ない。哲学がスノビッシュにしか消費されない貧しさを。
現在のフランス映画界にはすぐれた女優兼監督が沢山いる。この映画の監督マイウェンもそうだし、主演エマニュエル・ベルコもそう。二人の才女に最近ノリにノッているヴァンサン・カッセルが加わって、いかにも仏映画らしいリアルな恋愛映画を撮り上げた。ヒロインがスキー事故で足を大怪我してリハビリに励みつつ過去十年を思い出すという枠組は、彼女にとって回想自体がリハビリとして機能するということでもあるだろう。でも個人的にはこういう男女の感情のもつれ合いは苦手です。
バービー人形的な質感のキャラクターを人間として写しても違和感のないレベルにまでアニメの技術は進化している。それらは人工的なものの表現をより進化させスケールを広げてくれる。だが海とか大自然を相手にした世界観の場合、そのフォーマットのリアルさが逆にロケーションの作りもの感を際立たせ、何をどう楽しむべきか混乱してしまう。さらにドラマの骨子としてはモアナとマウイの二人芝居に近く、シンプルな話のはずなのに何を観ているのかよくわからなかった。
舞台コメディアンであるデイヴ・ジョーンズの佇まいが肝だ。ダニエルは特に他人を笑わせて楽しませるような人柄ではなく、そのような演出がされているわけでもないし、どちらかというとイギリス的なシニカルな感性の持ち主で、それをうかがわせるやり取りは劇中でたびたび見られる。だが率直な言動やのしのしとした歩き方、スキンヘッドの容貌から醸し出されるどことなくユーモラスな雰囲気が、ダニエル・ブレイクという人物を単なる弱者や抵抗者では語れない魅力的な存在にしている。
年齢を重ねた女性の生態を、特異なキャラクターではなく普通の人間のこととして描くドラマが成立するのはヨーロッパ映画の豊かなところ。そこにはそれを体現できる女優の存在が不可欠だ。大女優であるはずのイザベル・ユペールが実にナチュラルに(リアルに、ではない)そのポジションをものにしていて、彼女が女優を続けていく限りその年齢に応じた新しい女性映画のジャンルが開拓されていくのではないか。母親の忘れ形見である黒猫のサイズが異様に大きくてなんだかいい。
怒ったり喧嘩したりするにはエネルギーがいる。それらを怠ったことによるコミュニケーション不足でねじれた人間関係を描くドラマは少なくないが、エネルギーがありすぎてぶつかってもやはり上手くはいかない。何せエマニュエル・ベルコの演じる弁護士は頭に血がのぼるとガラスを割って自分の拳を傷つけるほどすべてにおいて激しい性格。同情するにはいささか存在感が強すぎるか。それを長期にわたりじっくりと見つめた本作自体も相当に体力のある映画だと言える。
族長の娘モアナはプリンセスだが、ロマンティックな夢見る乙女ではなく、冒険心に溢れた行動派と言うところが現代的。陽気なジャンヌ・ダルクだ。容貌魁偉な半神半人の巨漢マウイは愛嬌たっぷりでシェイクスピアのフォルスタッフを思わせる。二人の褐色の肌とポリネシアン的な愛すべき風貌が、世界は民族の壁を越えてひとつだと訴えているように思えてくる。映像は美しく、ミランダの曲は後世スタンダードとして残るような楽しいナンバー揃いでディズニーの楽しさを満喫した。
貧困、格差、硬直した官僚主義に対するローチの怒りは単純明快ストレートだが、教条主義にならず、いつもながら面白く見せてくれる。昔ジャン・ギャバンが演じていたような労働者役を喜劇俳優のD・ジョーンズが好演。弱者が権力に一矢報いて溜飲を下げさせるシーンがいつも楽しみだ。役所の壁に抗議の落書きをし警察に連行される彼に拍手喝采する変なオッサンがおかしい。ローチの最高傑作との評が高いが、これを遺作に引退などしないで欲しい。今の世界こそローチが必要だ。
介護、離婚、家族の死、学問的行き詰まり、様々な問題を抱えながら未来を信じユーモアを忘れないで生きるヒロインの知性に感銘する。哲学教授だからの知性ではない。老いは万人に訪れるが、それを受け入れる覚悟が見事だ。去ってゆく夫に「仕事があるかぎり幸せだ」と言う。彼女の孤独と矜持をカメラは自然の中で美しくとらえる。シューベルトを始め挿入歌が効果的だ。政治には口をつぐんでいる彼女だが、急進的政治思想に傾斜しつつある愛弟子に、映画は未来を託しているようだ。
監督マイウェンと主演のE・ベルコ、二人の女性が作り出したヒロインは多分に男性依存症的な恋愛依存症的でその自己陶酔的演技と相まって終始なじめなかった。恋は盲目と言うから、ある意味では恋愛の本質をついているのだろうが、人間の悲しさ愚かさを見つめる冷めた視点が欠けている。弁護士という職業人の側面は全く描かれていない。女性の精神的、性的自立とは対極の人物のように思える。V・カッセルは優しさと残酷さ、誠実と不実を併せ持つ人物を相対的にうまく演じている。