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都市再開発に巣くう利権、市長-司法-警察の三つ巴の抗争、各陣営のはざまを泳ぎ回る悪徳刑事の主人公。だいたい話はついている(笑)。極辛舌痛のコリアンノワールだ。香港のジョニー・トーを頂点とするこのジャンルで目立つためには、とにかくバイオレンス描写を極辛化するしか方法がない。そして隠し味はいつも〝鬼の目にも涙〟だ。本作も例外ではなく、その塩っ気は相当なもの。ただそこが、ドライとウェットを天才的に使い分けるトー監督と他の作り手を隔てる分岐点である。
『デモクラシーNOW』をはじめとする米国の独立系メディアやフリージャーナリストのペンの闘争がどんな現状かよく分かる有難い作品。このドキュメンタリーを日本で配給する側の意図は明らかだ。スポンサーの利害を無視できぬ『NYタイムズ』『ワシントンポスト』には限界ありと本作は斬ったが、その2紙でさえ今や反ファッショの論陣を張ろうと緊張している。翻って日本メディアはどうか。権力の監視という本来の使命を忘却しているのでは? という憤怒が配給側の意識にはある。
アジア映画史に名を刻むべき青春映画の傑作である。アフマド特集などで何度か上映されてきたが、今回の単品公開によって本作の価値が改めて強調されるだろう。高校の文化祭準備という似た設定の「リンダ リンダ リンダ」では韓国人留学生の異質性が作品の肝となったが、本作もマレー系、インド系、中華系という3民族の民族感情がデリケートにからんで、そのさざ波が美しい織物と化す。各人各様の秘めた心情が、量ったような等分で歌い継がれる。故アフマドの大きな度量の演出。
母娘がパキスタンの封建的な家父長制からの逃走を試みる。米国に移住したコロンビア大卒の女性監督、という外部化された視点による伝統的人権意識への力強い批判。ただし映画の中盤以降は、人妻の不倫旅行に堕する危険性も生じる。そうなると批判する側の潔白性も弱まり、かといって近松的な破滅の道行きにも依拠できない作者は、シナリオに苦心したのではないか。逃走描写に安手のアクション映画演出が施される点は残念至極。娯楽性との融合が垢抜けない。ロケの絶景は圧巻。
汚職刑事が悪徳市長と検察の間にはさまれてあっぷあっぷ。これがアメリカ映画だったら、最後の最後に知恵を使って大逆転となるんだろうけど、こちらはもうやられっぱなし。その終始受け身のところが、韓国的というかアジア風味というか。登場人物のキャラも、単純一色。悪い奴はひたすら悪い。裏表なく裏ばっか。ゆえに展開はただただ濃厚になっていくばかり。もうこうなったら行き着くところまで行っちまえ、みたいなヤケッパチのカタルシスも感じて。とはいえ、もうちっと頭も使ってよ。
日本のジャーナリズムの現状と較べてみると、アメリカってやっぱ昔からの積み重ねが凄いと思う。政府発表なんて、こちらは丸呑みなんだもんなあ。それに対する検証とか反論とかは、かつては『噂の真相』、今は一部のSNSジャーナリストくらいしかなくて。特に大手新聞、TV報道のひどさときたら。ま、それは世界中どこでも同じ状況か――なんてことを考えながら作品を眺める。なんか映画を観てるというより、見ながら現状を憂うという趣きで。そうか、これTV番組なんだよね。
高校生音楽コンクールが題材。多少センチメンタルだけど、ほどほど良く出来た作品。というのが最初の感想。が、マレーシアの状況を考慮して振り返れば、これがなかなか練り抜かれたお話だったと感心。かの国はマレー系、中国系、インド系など多民族。宗教も入り乱れ、そこに国民間で対立あり偏見ありと混沌。それを踏まえての音楽コンペであり、恋愛、友情だったのだ、と。この監督(故人)、娯楽の衣をまとって、重い自国の現実を描き、しかもその先に希望を込めた。凄く知的な映画だ。
十歳の女の子が初老の族長の嫁になることに。さあ大変と母親が娘を連れて逃避行。そのハラハラが要となるが、パキスタン山岳地帯の風景が珍しく、母娘を助ける運転手のトラック、その祇園祭の山鉾みたいな形体も面白い。演出は堅実な筆遣い。そこが逆にサスペンス効果を上げて。部族抗争の行方が曖昧だったり、結末にもう一工夫ほしいという欲も。が、かの国の女性が置かれた立場を、シリアスな告発調ではなく、追っかけ映画のスリルで描いた、この新人監督のスピリットは大いに認めたい。
悪徳市長の裏仕事を引き受ける汚職刑事が、執拗に市長を追う検事に弱みを握られ板挟みとなり利用されていく。架空の街を舞台に、生き残りをかけた男たちの裏切りの物語が繰り広げられる。クライマックスの地獄絵も凄いが、迫力のカーチェイスや、中盤までの人間描写に緩急あるアクション(ユーモアすら含む)を絡ませリズムをつける渋い演出に唸った。韓国映画の層の厚さを再認識。そして俳優陣が圧巻だ。チョン・ウソン熱演。最近よく見る悪代官顔のクァク・ドウォンが気になる。
映画タイトルは、20世紀に活躍したアメリカのジャーナリスト、I・ F・ストーンの発言。新聞社を離れた後、50年代に自費で個人新聞を発刊して購読者を増やし、ラジカルな言論で多大な影響を与えた。そんな彼の信念を受け継ぎ、大手メディアに属さず活動する現代の独立系ジャーナリストたちの闘いを追う。真実を追求する、彼、彼女たちの覚悟ある弁と行動は、作中に出てくる〝ジャーナリズムとは生き方〟という一言を納得させる。メディア・リテラシーの良き教材としても使えるだろう。
多民族国家マレーシア。ある高校で、芸能の才能を発掘するコンテスト〝タレンタイム〟が行われる。ここに参加する4人の高校生とその家族の風景おのおのをスケッチ風に描き、優しく織り上げていく。言語や民族や宗教も異なる、多様な人々が共存している。隣り合わせに愛があり憎しみがあり、幸せがあり不幸がある。小さな日常に寄り添う、みずみずしい大きな世界観に心安らぐ。8年前に本作を撮り急逝した女性監督ヤスミン・アフマド。亡き彼女のまなざしは今も多くを語っている。
パキスタンの山奥で、2つの部族間の争いを収めるために、老部族長と幼い娘の婚姻が決まる。その事実を知った母は、娘を連れて逃避行に出る。女性を縛る古い因習を批判したアジア映画かと思いきや、アメリカで映画を学び、現在はNYで活動するパキスタン人女性監督が撮ったこの作品は、むしろ痛快なロードムービーといった趣。エンタテインメントとして楽しめるが、テーマ性は意外とあっさりしている。鮮やかな色のショールを羽織り、己を貫く母と娘の美しさが頼もしくて印象的。