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ティム・バートンって天才なんだな、とみんな知ってることをあらためて思い知らされること請け合いの傑作。この人の登場と成功がなかったら広義のファンタジー映画のあり方は今とは全然違っていただろう。グロテスクとキュート、ファニーとビューティフルが結局同じであ(り得)ることを、この監督は繰り返し教えてくれる。ご都合主義も予定調和もまったく瑕疵にならない。なぜならそれが「アメリカ映画」の武器だから。相変わらずサミュエル・L・ジャクソンの万能俳優ぶりがすごい。
この際だから正直に言うが、この映画はどうしても好きになれない。何もかも観客の好意的な情動におもねったわざとらしさに満ちている。不安定なクローズアップの多用も、フォーカスしたい人物以外を外界に押しやるための、やってはいけない作為に見えてしまう。主人公の苦悩の正体をはっきり語らない黙説法も気に入らない。音楽の使い方も下品だと思う。タイトルの深読みを誘う仰々しさも狙い過ぎ。だがおそらくこれらは全部、観る人によっては長所なのだろう。だから敢えて書いた。
同乗していた自家用車での妻の事故死をどうしても哀しめない仕事人間の男がありうべき感情の不在に向き合うべく身の回りのあらゆるモノを破壊する。ジェイク・ギレンホール演じる主人公(好演!)が書く手紙がナレーションされるのだが、彼の心理は明解には説明されない。なぜなら彼自身、わかっていないからだ。ここにこの映画の核心がある。脚本の映画であり、演技の映画である。何かを修理するためには、一旦解体しなくてはならない。ナオミ・ワッツと出逢ってからの展開は秀逸。
まったく〝ナイス〟でない男二人によるズッコケ活劇の秀作。舞台は1977年のロス。ひょんなことからポルノ業界の暗部に首を突っ込んだ何でも屋と私立探偵の凸凹バディもの。ラッセル・クロウの強さタフさとライアン・ゴズリングの弱さダメさのコントラストが笑える。サスペンスフルなストーリーは後半かなり盛り上がるが、事件それ自体の進捗よりも場面ごとの演出を楽しむ映画だと思う。やたらとパパの捜査に絡みたがるゴズリングの娘を演じるアンガーリー・ライスが可愛過ぎ。
エヴァ・グリーンのブラックなコスチューム・プレイとドSなキャラクターがハマりすぎていて、迷える子供たちと脱線しがちなドラマをガッチリ引き締める。それに甘える形で、無生物に命を吹き込む子供の能力を描くシーンではフランケンシュタイン博士よろしく異なる生き物の異なる体のパーツをつなぎ合わせて嬉々と動かしてみせたり、邪悪チームの命綱である眼球の描写に並々ならぬフェティシズムが注ぎ込まれているなど、ティム・バートンの変態性が炸裂しており、思わず顔が緩む。
狭い屋内で繰り広げられる家族関係の息詰まる閉塞感と緊張感を、顔のアップのカットバックと畳みかけるようなテンポの編集で見せる。ドランのライフワークともいえる家族の映画。昨今のフランスを代表する名優たちの顔面の圧は半端じゃない。しかしある爆弾を回避しながら展開する会話劇の応酬には逃げ場がなく、それがテーマを体現する手法として機能すればするほど、映画としてのダイナミズムは失われる。タランティーノがいかに会話劇の名手であるかを逆説的に考える。
自分の感情を見失った寡夫が現実とのズレに戸惑いもがく様がユーモラス。もう若者ではない大人の自分探しはジャン=マルク・ヴァレの得意分野だが、今回は遠くへ旅に出るのではなく慣れ親しんだ周りの世界がある日突然異境となる。正常と異常のボーダーラインにあるギリギリの危うさをジェイク・ギレンホールが好演。この映画での極端な破壊行為はその逸脱がきちんと機能している。あそこまでドロップアウトしながら社会復帰できるのが羨ましい。音楽の使い方がいい。
窓の奥に見えている車があれよあれよと近づいてきて部屋のガラスを派手にぶち破る。室内の平和が一瞬にして壊れる。冒頭からかまされるこうした豪快なクラッシャー描写はその後もたびたび繰り返されるが、それが単なる乱暴さや粗雑さにしか見えず、上手く生かされていない。拍車をかけるのがラッセル・クロウの暴走。彼自身のイメージとも容易に重なるが、コメディ風味で処理できるレベルを遥かに超えている。事態の惨状と能天気なテンションが嚙み合わず乗り切れない。
島の古城で超能力を持った子供たちを庇護しているミス・ペレグリン。バートンならではの忘れがたいキャラクターだ。子供たちの様々な超能力がなんとも楽しい。海辺のサーカス小屋で展開される奇妙な子供たちと、S・L・ジャクソンや骸骨人間たちの入り乱れてのアクション・シーンの面白さは一寸比類がない。レイ・ハリーハウゼンや多くのファンタジー映画へのオマージュなのだろうが、そんな知識が無く初めて見る人も楽しめること請けあいだ。主人公の少年の成長物語でもある。
都会で作家として成功した主人公が故郷に帰る。ゲイである。彼の帰郷で母、兄、兄嫁、妹の中でくすぶっていた葛藤、愛憎が露わになる。奇矯で歪んでみえる家族の一人一人を描き分けていく脚本、特に科白が良い。戯曲を原作としているが、完全にドランのものになっている。G・ウリエル、V・カッセル、ナタリー・バイなど芸達者な役者たちの表情を追うカメラが家族間の緊張を着実に拾う。ドランが一貫して描いてきた家族のテーマだ。彼の映画は今後何処へ向かうのか興味深い。
空虚な生活の象徴のガラスとコンクリートの瀟洒な住宅、贅を尽くした家具調度をハンマーで打ち壊すことにより自己回復を図るというテーマはかなり文学的かつ哲学的と言えるが、破壊が痛快でカタルシスを与えてくれるのは確かだ。忘れがたいキャラクターは十二歳の美少年クリスだ。この魅力的な問題児は自分はホモではないかと悩みを主人公に打ち明け、彼の破壊活動に心から楽しそうに協力する。二人の心の交流がこの映画の見どころだ。ギレンホールに一歩も引けを取らない子役だ。
絶好調のライアン・ゴズリングと役のため肥ってお腹の出たラッセル・クロウのバディ振りが絶妙。この種のオフビート・タッチのミステリー・コメディーはよほどの技術とセンスがないとなかなか出来ないものだがこれは成功している。不発のギャグが少なく、上手く決まっているのが見事だ。同じようなタッチの私立探偵もの「インヒアレント・ヴァイス」は、原作が前衛派のトマス・ピンチョンで監督がP・T・アンダーソンなので作品的評価も高かったが、娯楽作に徹したこの映画も遜色はない。