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最新ネットカルチャーとSNSをフルに活用した、最近ますます増えてきたタイプの作品。親友への当てつけでムチャ振りオンラインゲーム『ナーヴ』(要するに『VICE』みたいなもの)に参加したヒロインをエマ・ロバーツが嬉々として演じている。青春映画、恋愛映画としての基本姿勢は古典的なパターンだが、だからこそ道具立ての新しさとスタイリッシュな画面が映えるということなんでしょうか。正直興味が持てない世界だと思ったが、後半やや意外な展開に。いや、そうでもないか。
とにかくエル・ファニングありきの映画で、彼女の容姿の魅力がヒロインのキャラクター造型に直結し、映画全体のテーマを表している。出てくる男女が次々と彼女にメロメロになっていくのだが、ああいうタイプに惹かれない人もいるんじゃないの、と思ってしまったのは事実。しかし何と言ってもレフン監督の真骨頂は、ラストのアレだろう。いやあ、やっちまったな、という感じだが、僕は大好き。あらゆる伏線が衝撃の結末に繋がる、とも言えるし、全部台無しにしているとも言える(笑)。
とにかくニコール・キッドマンありきの映画で、彼女の常に堂々たる佇まいと演技力が、実在した「砂漠の女王」の再現に直結し、映画全体のテーマを表してもいる。監督ヘルツォークにとっては、クラウス・キンスキー以来の極めて主人公らしい主人公だ。史実を基にしているとはいえ、エピソードが時間的にどんどん跳びまくり、だがそれはほとんど気にならない。良い意味で大味なのがこの監督の持ち味と思うが、ますますその傾向は強まっている。しかしアラブ人とは恋に落ちないんだね。
ヨーロッパで評価されやすい映画、国際映画祭で賞を貰いやすい映画には幾つか特徴があり、そのひとつは、小さな問題、たとえば家族が見舞われる問題をリアルなタッチでつぶさに描きつつ、その背後に舞台となる国(マイナーな国家だとより望ましい)や社会の普遍的な矛盾を覗かせる、というパターンだと思うが、これは典型的なそういうタイプの作品。そこで問われるのは、まず演技演出であり、次いで画面(カメラ)の美学である。ムンジウ監督は硬派の芝居を創出し、見事な絵を描いている。
脚本が実によく出来ている。今の自分を変えたいがその勇気やきっかけに飢えていたティーンの女子の元に、手軽で慣れ親しんだツールによって絶好のチャンスがもたらされる。ゲームの中の挑戦が人生への挑戦に直結する。少々無茶なハードルでも自らの動機ではなくゲームのミッションだと思えばクリアできてしまう。実体のない誰かの命令に従うことで自分の責任を曖昧にしつつ安易に達成感を手にした気になれる怖さ。終盤、ゲームの舞台を現実に移して実状を明かす描き方もスマートだ。
田舎から出てきたばかりの垢抜けない少女が慣れない都会の洗礼を受けて覚醒していく前半が面白い。特に目立ったアクションがあるわけでもないのに微妙な目つきや仕草で変化を見せていくファニングがやはり上手い。彼女の周りに現れる都会の人間は誰もが胡散臭く、業界の裏にうずまくドロドロを糧に人工的な美で武装していく虚実乱れた表現も効いている。ただ、それがある一線を超えると完全な精神世界に突入し、アートとしか言えない領域で完結している感は否めない。
白い服で野性の地に乗り込んで行く西洋人といえば「フィツカラルド」のキンスキー。本作のキッドマンはどう見てもキンスキーの女性版だ。ヘルツォークはフィクションとドキュメンタリーを行き来する作家であるが、実在の人物をモデルにした本作は、キッドマン自身についてのドキュメンタリーにもなっていると思う。実生活では自然に逆らうほどの美と洗練を装う一方で、フィクションの上では野蛮な役柄を好んで演りたがる彼女の精神性を堪能するにはうってつけの一本だ。
ちょっとした出来事、若い女性が暴漢に襲われることは「ちょっとした」で済まされるものではないが、それをきっかけにギリギリで成り立っていた日常が崩れていく様が、ムンジウ得意のリアリズム描写で追求される。特に事件を受けた父親の暴走とそれを追うカメラの働きは際立っているが、その肉迫が物事を個人の特異な行動に集約させてしまったようにも見える。原題の「卒業」は一つの親子関係の形に終止符が打たれることでもあろうが、そこには他者との関係性が不足している。
オンラインゲームに参加したヒロインの冒険譚であるが、青春ドラマ、近未来SF、サバイバル・ゲームなどのいいとこ取りで気楽に楽しめる作品になっている。スタテン島のロケも悪くない。映画はハッピーエンドに終わるが、果たして現実のNET社会の未来はそんなに楽天的なものだろうかという疑問が残る。住民監視システムの完備を初めディストピア的側面をこの映画から読み取れるだろうか? 近未来の設定がサバイバル・ゲームのための背景としてしか機能していないように思える。
16歳の美しいモデルを主人公にしたファッション業界の話という売りだが、そんなヤワな映画ではない。見終わって驚かれる方も多いだろう。評判になった「ドライヴ」は端正なノワールだったが、フリン監督の本来の狙いは異端と禁忌の世界にあるようだ。なにしろネクロ××××やカンニ××××の世界が日活時代の鈴木清順風のカラフルな映像で眼前に再現されるから、その辺の好きな者にはたまらない映画だ。美しくもグロテスクなグラン・ギニョールだ。パルプ版『眼球譚』だ。
ヘルツォークの作品で、しかも砂漠が舞台となると、どうしても初期の傑作「アギーレ/神の怒り」や「フィツカラルド」と比較したくなる。健闘しているニコール・キッドマンをあの狂気の鬼才クラウス・キンスキーと比べるのはいささか酷かもしれないが、自然の脅威に挑む人間の情熱や狂気はあまり感じられない。ラブ・ロマンスに重点を置いたのもヘルツォークらしくない。力作ではあるが、「バッド・ルーテナント」や「狂気の行方」の方に、彼の新しい境地を感じる。
情実、コネ、贈収賄で動いている自分の周囲の世界に批判を持ちながらも、それを利用して生きている主人公の医者。肥満の初老の男で薄汚れた情事のため離婚寸前。今、娘の留学のため医師のモラルを破ろうとしている。主人公にも彼の生きる世界にも全く共感はできない。見たくないものを眼前に突きつけられるような映画だ。だが、気がついてみればいつしか画面に見入っている。それがこの映画の力であり魅力なのだろう。娘の未来に託し一筋の希望を抱かせるラストシーンがいい。