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タイトルとは裏腹に心温まる愛犬物語とまるで無縁なのはソロンズらしい。世界に対するシニカルな視線を、ダックスフントの流転と共に提示。ユーモアたっぷりだが傍若無人、苦渋に満ちている。D・デヴィート演じる映画学科の教授は、卒業生のトークショーで侮辱を受ける。この痛苦に耐えられる観客はいまい。悔恨、不寛容、孤立無援が渦巻く中を一匹の犬が通り過ぎていく。彼の長い茶色の胴体は、名前の「糞」(ドゥーディ)であると同時に、流転の横移動を体現するスクリーン(絵巻)でもある。
映画の技術的発展はVFXばかりでないことが、本作によって証明された。視覚障害者が営むマッサージ診療所を舞台に、うごめく人間の体臭が、見たこともない技法で撮影される。フィックスと手持ち、複数の絞り、照明、アングル、フォーカスを縦横無尽に前触れなく転換させ、その絶えざる転換によって視覚障害の感覚を見る者に疑似体験させる。光を感じる盲目と闇を感じる盲目があると登場人物が述べるが、視覚芸術たる映画がついに『盲いたるオリオン』の官能を捉え得た瞬間だ。
ロシア人監督が平壌のエリート少女に密着取材して得たフッテージのネガティヴなパートを目一杯使用することで、チュチェ思想の欺瞞をスクープした。そんな状況のすべてを私たち観客は、できる限り俯瞰で注視したい。少女の疲労、精神的限界が生々しく写る。金日成礼讃イベントに動員された青年団の一様な無表情が、報道で見る完璧なマスゲームより少しだけ心情を読み取れる近距離で捉えられる。そこに人間であること以上の欺瞞を透視するなら、それは私たちの鏡でもあるのだ。
トランスジェンダーの娼婦二人組の一日の動向をiPhoneぶん廻しで撮りきった。私も海外ロケでiPhoneを使ってみたが、機動力、感度、音さえも上々である。LA中心部でロケしている。あの街の中心部はあんなにスカスカなのか。広すぎる道路、広すぎる空、味気ない建物の連なりを眺め続けると、これがやはり文明の行き止まりなのかもしれないという感慨に囚われる。ラストのドーナツ屋で一同が会すあたりの気まずさは、まるでホン・サンスのよう。主演二人が素晴らしい。
いやあ相変わらず、すっとぼけて、笑いがこわばるソロンズ・タッチ。アメリカ映画では脇の、そのまた隅っこにいるような人たちを描いて。今回はダックスフントがつなぐ人間模様。そこに皮肉とおかしみと哀れが込められ。でも、ラストのグシャリは悪趣味だなあ(これは見てのお楽しみ?)。全体、胸に沁みるところまで行かなくて、やたら苦みだけが口に残る。それがこの監督の持ち味なんだろうけど、どうも人間観というか世界が窮屈に思えて。各挿話をつなぐアニメと歌は楽しめたけど。
視覚不自由者の群像劇。よくある障碍者ものみたいに、彼らを無垢の存在として捉えていない。性のもがき、美への憧れ、それにふれたいというひりひりした感情。それが不安定なアングル、ぼやけた映像で表現されて。心の苦しみを肉体を傷つけることで訴えた、痛い痛い画面。観てるともう息がつまる。眼をそむけたくなる。が、ここに登場の人たち、いずれもが愛に飢え、愛を求めて。彼らの救いというか光はそこにしかないという監督の呟きが聞えたとき、この映画に普遍の広がりと深みが。
北朝鮮の現状が8才の女の子を通して紹介され。官僚の監視の下での撮影、通行人までも管理されているというガンジガラメの現場。ならば本番前後のカットを生かそうという、このロシア人監督のしたたかさ。老軍人の長々と続く演説、それを拝聴の女の子。アクビをこらえ、必死に眠気と戦う、そのアップ画面の切ないこと。小学1年くらいの子どもたちが将軍様に縛られていく、そこに胸が潰れるような哀しみと怒りがわき起こる。最後に流した女の子の涙。それは、作り手、観客の涙でもあり。
いよいよ全篇スマホ撮影の映画が現れた。トランスジェンダーの娼婦2人の半日。そこにアルメニア人タクシー運転手が絡んで。とにかく、ミスターお嬢たちのお喋りがけたたましい。作品全体は、軽いスケッチの連なりで。自然な気分は出てるけど、キャメラの見た範囲というか、ちと狭苦しい感じがして。画面から空気感とか雰囲気が流れてこないのが、どうも。いやそれよりも、作り手がスマホ映画という手法に酔って、中身をあんまり吟味していないという印象。心あたたまるラストだけど。
1匹のダックスフントと、この犬が行く先々で出会う飼い主たち。それぞれの風景を切り取った4つの物語が、シュールな笑いの中に浮かび上がる。斜めから物事を見つめながら、人のダメダメさを、ちょっと嫌らしくドライに、でも決して突き放したりせず、根底に愛をもって描くトッド・ソロンズのスタイルは相変わらずだ。でも、今回どこかノレなかったのは、こちらの感性が古びたからか。中盤に挿入される、物語をつなぐ休憩タイムはいらなかったのでは? 1本の線が途切れてしまう。
中国のベストセラー小説を、ロウ・イエが映画化。南京の盲人マッサージ院を舞台に、そこで働く者たちの日常や葛藤を濃密なタッチで描く。強烈に人間臭い世界観がある。目の不自由な人々が社会で生きていく上で見えるもの。目で光を感じる健常者には見えないものを、映画という視覚表現から強く訴えかける。ロウ・イエのエロスはこれまで苦手だったけど、ここに描かれるあらゆる情念はエロスを超えた何かに到達している。ある一時代の集団の物語だが、青春群像としても胸を打つ。
主人公は、エリートが集う少年団入団を前にした8歳の少女ジンミ。北朝鮮の庶民生活をとらえたドキュメンタリー、という名目で撮影されながら、出演者たちが演出される姿が映し出されている。しかも、演出しているのは、本作の監督であるロシア人のマンスキーではなく、北朝鮮の文化省関係らしい人たち。マンスキーは危険を冒した隠し撮りなどで撮影の裏側を収めることを敢行したのだ。少年団の芸のレベルは高いと感心する。が、子どもたちの笑顔の背後の不透明さは切なく怖い。
トランスジェンダーの2人の娼婦と、痴話話で彼女たちが巻き込む男たち女たちによって繰り広げられる、クリスマス・イヴの大騒動。3台のiPhone 5sでの撮影は、フットワーク軽く、舞台となるロサンゼルスの街をリアルに映し出す。一見、キワモノ的なようでいて、ジェンダーの多様性を生かしたそれぞれのキャラ設定が面白く、関係性の艶笑喜劇としてはかなり正攻法。語り口も役者の演技も安定していて引き込まれる。しかも最後はハートウォーミング。クリスマス映画だもの。