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女優メラニー・ロランが、人類滅亡のシナリオに対し、「別の、人類が反省して生き長らえるシナリオはないものか?」と画策し始める。いまのライフスタイルを私たちが続け、気候変動と環境破壊が続いた場合、人類は近いうちに滅ぶ。子どもを持つ親として、彼女たちはいろいろと試みと相対する。その試みがどこか楽しげなのがいい。しかし、作品の作りを問いたい。プロパガンダをモーションCGによるタイポグラフィで観客に突きつけていくという作為性は、作品の思想に合わない。
人類は進化以来、もっぱら平らな土地を歩行し、斜面には段や手すりを設けて対処してきた。ところが本作における登山家たちは、人類の進化にノンを唱えているかのようだ。彼らは斜面どころか、ヒマラヤ山脈メルー中央峰にそびえる岩盤に釘を打ち込みながら登る。直角に上昇するというこの欲望は、人間という動物の構造を無視した狂気の衝動である。自然ドキュメンタリーであるが、人の精神にうるおいと解放をもたらす自然はここにはなく、自然に取り憑かれた狂気だけがある。
地元マフィアが支配するマニラのスラム街深くに分け入り、路地のガラクタやジメッとした路面の汚水などあらゆる映画的契機が転がっている。だが映画がかなり進行してもなかなかまともな台詞一つ聴けず、こちらは勝手にイメージ先行の作品なんだと決めつけて見てしまう。詩人であり音楽家でもある一九七三年生まれの監督はその多才さを発揮したが、上滑りの感もあり。また撮影の名手クリストファー・ドイルには、良いドイルと悪いドイルがある。本作の撮影は後者だろう。
詩学・文献学の大学講義を起点とし、教授と生徒の対話、生徒同士の対話、キャンパスの喧噪、サルデーニャの島男たちの合唱、羊飼いのベル、頭上数メートルを通り過ぎる一陣の風。そうした豊かな音と音の擦れ合いが、ガラス越しの不自由なアングルで捉えられ、摩訶不思議なアンサンブルを形成する。自由な形式で撮られた、しかし普遍的な韻律も保った、ゲリンによる映像=音声の詩。男女の語る文学への思い、愛と欲望についての言葉の数々が、私たちの耳に痛みを思い出させる。
このままだと地球は絶滅。ならば、どうすれば? というエコロジストたちの提案と実践が、次から次へと繰り広げられて。ちと目まぐるしい。少し立ち止まって考えてみたいと思う。けど、映画の時間はどんどん進む。ただし取りあげられている素材は面白いし重い。環境問題だけでなく、経済、教育、政治の新しい取り組みには、なるほどと納得させられるものが。それを大マジメではなく、グラフィック感覚のオシャレな映像と音楽で展開し。その口当たりのよさ、調子のよさが痛しかゆしの面も。
人跡未踏のヒマラヤの高峰に挑んだ登山家たちのドキュメント。何せその一人がキャメラを廻してるんだもん。すごい臨場感。ちと画角が限られて(そりゃそうだ、自分も登ってる)、狭苦しい感じはするが地上との距離は分かる。いやあ、高所恐怖症じゃなくてよかった! 彼らが登頂に至る経過とか心境も、コメントや記録映像で分かりやすく解説されて。いっそのこと登頂日記というか、一人称キャメラの映画に徹すればとも。にしてもクライマーとか登山愛好家が観れば垂涎の一篇だろうなあ。
殺し屋がいて娼婦の恋人がいてカリスマ的ボスがいて――と設定は暗黒街物のパターンを踏んでいる。が、物語らしきものはない。最初はこういうイメージ優先の作品もあっていいかと無心に眺めていたけど、結局はミュージック・クリップの連なりみたいな映画で。この監督さん、気持ちよかったろうなあ。好き放題やって。最近貫祿がついた浅野忠信とC・ドイルがいなきゃ、単なるプライベート・シネマと見紛うかも。ま、アレンジを変えて繰り返し流されるテーマ・ソングは耳に残ったけどネ。
「おなごはかわいらしい化けもんや。男の気持ちしだいで弁天様にも鬼にもなる」と嘯いたのは、増村保造の「好色一代男」。これはそれを廻りくどい理屈で描いたような映画で。最初は大学の講義のドキュメントかと思わせて、次第にドラマ的展開になる。そこに男の女に対する建前と本音、理論と実践のズレが窺えて。よく考えれば、男のコッケイが底に見える。ポーカーフェイスの喜劇にも思える。だけど演出は大マジメ。この厳格な映画の顔つき、その愛想のなさ、色気のなさにはちと辟易。
食にしろ、子育てにしろ、エコにしろ、ライフスタイルにまつわるドキュメンタリーは、国内外で増えている。でも、この作品の魅力は、生活に密着したスタンスを保ちつつ、徹底した俯瞰の目で世界を見つめ、これからの個人の在り方が模索されていること。農業→エネルギー→経済→民主主義→教育、という必然的に推移し循環する章立てがいい。自分には無理、と思う提案も多いのだが、こうした欧米市民の発想や行動は、案外、日本でもすぐに普通になるかも。とても刺激的で面白い。
メルーに挑む3人の一流クライマーが、過酷な自然に立ち向かう姿を追ったドキュメンタリー。これまで登山の劇映画をいくつか観てきたが、本作はどの作品とも印象が違う。それは、登山家が自分でカメラを持ち、自らの活動を撮っているから(映像作家でもあるジミー・チンによる)。危険な遠征を意外とサラリと見せるので、むしろ派手さを感じないが、物凄いものが映し出されているのだ。真価のわからぬ私のような素人には勿体ないな。クライマーの最先端とスピリットが炙り出された一本。
フィリピンの監督ケヴィン・デ・ラ・クルスが、浅野忠信を主演にマニラで撮った作品。殺し屋と組織の女の逃避行と思しき展開だが、セリフはないし、ストーリーもあるようでない。実験映画と言っていい。全篇に流れる音楽は心地よく、世界観をしっかり作っている。また映像もユニークなのだけど、撮影監督はクリストファー・ドイルなわけで。監督、ちょっとドイルに頼りすぎではないか。資料によると、台本もないとのこと。ベテラン監督なのだし、もう少し洗練さがあっていいような。
大学の授業。芸術家を奮い立たせる女性=ミューズの本質を巡る教授の持論に対し、女生徒たちから賛否両論が飛ぶ。でも実はこの教授、こっそりモテモテで……。芸術に近づく女たちのタイプを、監督ゲリンがフィクションとドキュメンタリーの間で巧みに考察している。私自身は、自作の詩を見せて、教授にダメ出しされていた反抗型タイプの子にシンパシー。彼女とまったく同じことを言われた経験がある。その時は愕然としても後々役に立っているので、この教授の仕事は信用していいかも。