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手持ちカメラで小さな劇場に案内され、ステージと楽屋を行ったり来たりするリアル仕立てのフィクション。モチーフとなる事件の唐突さはともかく、役者が役を演じることの心理状態を、膨大なセリフとそのリアクションで描き出し、異色の群像劇として、作劇技術はかなり高度ではある。でも映画としてはどうなの? ステージと楽屋をつなげて役者の不安や高揚感を解剖されても、大物役者や有名スタアの場合ならまだ間が持つだろうが、馴染みのない役者がほとんどではチト、つらい。
山っ気が多い勝負師のような商売人の成功譚といったら身もフタもないか。確かに主人公が戦後日本の復興に果たした役割は大きいのだろうが、映画の主人公として付き合うには観ているこちらの心に触れるものがほとんどなく、岡田准一の演技も人間的なスケール感不足。それに商売人が商売のためにあれこれ仕掛けるのは当然のことだし。美術やロケ地など、時代の再現は頑張っているようだが、主人公のイケイケ的な行動を追うだけではない描写もほしかった。体育会系好きにはいいかも。
赤塚不二夫『天才バカボン』のパパの口ぐせは〝それで(これで)いいのだ〟だった。「変態だ」も、当然それでいいのだ。かくて原作・脚本のみうらじゅんも、初監督の安齋肇も。生温い公序良俗など一切無視して彼らなりの変態まっしぐら、その潔さはアッパレだ。まあね、ロックとロープ(SM用)の密なる関係は不明だが、痛さと寒さをドッキングさせた雪山での狂態はハンパではなく、全裸で演じる前野健太と月船さららに、座布団ならぬ毛布を2、3枚、投げてあげたい。禁・良識人!?
神代辰巳監督の傑作「恋人たちは濡れた」(73年)の一部引用はご愛嬌として、人物、台詞と会話、そして濡れ場も、70年台前後のヒッピー族やアングラ芝居連中の生き残り的なのには苦笑い。ケイタイも使われているから現代なのに。思うにリアルなセックスなどにさして関心がない塩田監督が、アタマの中でデッチ上げたセックス・ゲームのような作品で、だからか、脱ぎっぷりのいい女優たちが次々と男に絡んでも、裸の機械体操並で画面も〝風〟も濡れもしない。草食系向きのポルノ。
熱のある作品。だが気になったのはモデルが明らかなのに実名ではないこと。ルノアールやドトール、寺脇研がそのまま呼ばれるのに(んなことどーでもいい、という瑣末な部分)、なぜ長谷川一夫、東宝、松竹、ジャニーズと言わぬ! これはぜひ言ってほしかった。〝ゆとり批判〟批判のような部分や、トニー・スコット「デジャヴ」のタイムトラベルを人力でやり遂げるが如き〝スタニスラフスキー探偵〟は面白く、部落差別、狂気の芝居極道も強烈。このオリジナリティ、尊敬する。必見。
岡田准一、すごい。本作は彼の主演作でしばしば生じる、短躯であることの逆説的な優位が最も発揮された作品。立派すぎる体格の登場人物を岡田が見上げる姿勢をとりながら態度は上から目線で叱責するとき、ますます主人公のカリスマ性は強調され、またそれは旧世代日本人の体格時代考証に合っていない役者が非難されているようにも見える。ただ、直接批判がタブーで責任不問の存在である主人公の人物像はクソ。結果、天皇制や日本人の心性への批判を忍ばせていてそこは良い、かな。
テキトーな映画だがサイコーだ。自分も四十越えの子持ち。本作主題は痛いほどわかる。ロマンポルノリブートをも勝手に飛び越えて(つーかそもそも関係ないが)昔のピンク映画をやった・なってしまったようなもの。堂々主演の器であった前野健太と、顔はアイドルで身体は爆イヤラシイ白石茉莉奈の夫婦生活パートカラーに瞠目。他キャストも良し。クライマックスはリーアム・兄さんの「THE GREY 凍える太陽」のナックルを固めるシーンのパクリ。生きる意志。意味なく泣けた
ロマポルリブート五作を見渡してほとんど一番好き(「ホワイトリリー」と同着)。九十年代Vシネ風土的なものと塩田明彦監督の本来的資質の、ポップさ&何でもありの楽しさが横溢し、キャメラと人の動きと空間が観ていて快感。それを満たす間宮夕貴の野性味にも惚れる。だがロマンポルノという語の呪縛よ、本作が参照する「恋人たちは濡れた」やその他の傑作を思えばこの喜びも萎縮する。しかしロマンポルノ規定から本作も生まれた。その不自由との巧みな戯れをやはり称えたい。
物語の進行と共に、映画の中の現実と映画の中で演じられる舞台上の役が同期してゆく本作。この〈入れ子の構造〉は、映画の中で演じられる舞台上の役が「メソッドのアプローチによって本人になりきり、事件の真相に迫ってみる」ため、本作のキャストにとっては更なる〈入れ子の構造〉を生んでいる。舞台上の現実を物語が侵食してゆく複雑な物語構造に加えて、群像劇として多くの役者をコントロールしながらも、観客を混乱させない細野辰興監督の手腕。新作を待った甲斐はある。
この映画の岡田准一は凄い。何が凄いのかと言うと、劇中で基本的に〝年老いている〟からである。つまり、実年齢よりも年上の役であるだけでなく、殆どの場面で何らかの特殊メイクを施し〝年老いている〟のだ。例えるなら、宇宙人やモンスターの類いを演じるため特殊メイクを施す、あるいはジョニー・デップが海賊やハサミ男を演じるため素顔を隠すことに限りなく近い。彼は果敢に〝老い〟を演じているが、観客がそのことを望んでいるか否か?なんてことはお構いなし。役者の鑑である。
基本モノクロの本作は、濡れ場が〈パートカラー〉という手法をとっている。それは、かつてのピンク映画や洋ピン作品などの〈エロ映画〉の文脈として、みうらじゅん、安齋肇の御両人に対して、我々が勝手に作品へ望んでいるものでもある。雪の中で展開される阿鼻叫喚の愛憎劇は、墨絵の如く濃淡を際立たせ、「八甲田山」(77)の如き悲劇へと邁進。映画は、足元のカットではじまり、足元のカットで終わる。歩み始めてみたが、まだスタート地点に立っている。そんな感じもするのだ。
このプロジェクトは即ち、各々の監督による〈ロマンポルノ大喜利〉なので、「作品個々の評価よりもプロジェクト5作品内で相対的に評価すべき」というのが個人的見解。官能的というよりも野性味を感じさせる間宮夕貴の役作り。濡れ場は格闘技のようで、その肉欲がヒロインをより輝かせている。塩田明彦監督は、〈大喜利〉でロマンポルノの名作にオマージュを捧げながらも、終盤で「ゴッドファーザー」(72)のごときカットバックにより3つの濡れ場を同時に演出しているのも一興。