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アカデミー賞の短篇ドキュメンタリー映画賞受賞の「フリーヘルド」(本作の原題も同じ)でも描かれた、婚姻の権利を求めて裁判を起こした実在の同性愛カップルを、ジュリアン・ムーアとエレン・ペイジが驚くべき熱量と繊細さで演じている。事実を追っただけでドラマチックな物語になるのだが、映画のタッチとしては完全に社会派で、メロドラマ的演出は抑制されている。刻々とガンに蝕まれていくムーアの演技が素晴らしい。エレン・ペイジの真に迫ったスピーチと表情には泣かされた。
ミュージシャンの伝記映画も最近非常に多いわけだが、はっきり言って力作が多いので文句も引っ込んでしまう。チェット・ベイカーといえばブルース・ウェーバー監督「レッツ・ゲット・ロスト」だが、あちらは最晩年のドキュメンタリー。こちらはドラッグ中毒で音楽界から消えてから奇跡の復活を遂げた1973年までを描く。なんとベイカーの音源を一切使用していないのだが、超好演のイーサン・ホークと音楽担当のデイヴィッド・ブレイドが「映画のチェット」を見事に現出し得ている。
ストーリーにもテーマ(?)にもまったくと言っていいほど興味が持てなかった私としては、主演のビビアン・ソンのマンガみたいなメガネでボサボサ頭のダサさの魅力だけが救いだったと言える。というかああいうの可愛いよね(笑)。まあ途中からホントに可愛くなっちゃうのだが。とても映画とは思えない画面設計と演技演出にまたもや茫然とした。音楽やナレーションを都合良く使うのもやめてほしい。とか思ってた筈なのに、いかなることか、いつの間にかハマって観てました。なぜだ!
その昔「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」を観た時は「全然コワくないし話が終わってないじゃん!」と憤ったものだが、これはマジでコワかった。当然ながらテクノロジー的にアップデートされており、森に入っていく若者たちはヘッドセットカメラやドローンを駆使しているのだが、それらが効果的に使用されるわけではなく、むしろ次々と最新機材がダメになっていくことでコワさを演出している。容赦ない救いの無さは前作同様。やたらとデカい音を突然鳴らすのは品がないと思った。
中年男性と若い女性の年の差カップルは珍しくもないが、これが女性同士の関係に置き換えられただけで、年齢の離れた相手と人生を共にする選択が何を意味するのか、思いもよらない角度から見えてくる。20代のペイジと50代のムーアが睦まじく寄り添う姿はビジュアルでもその現実を生々しくつきつけ、実写の力がものを言う。男と女、善と悪の対立ではなく、ごく一般的な感覚を持ち合わせた人たちの意識の変化を丁寧に描いているのもいい。スティーヴ・カレルの存在は救いだ。
ミュージシャン、小説家などこの手の落ちぶれた才人を演じさせたらイーサン・ホークは達人だ。逆差別を示す黒人ジャズマンとの軋轢も心憎い。ただ、いかに音楽と向き合うかのドラマがドラッグ依存との闘いに同化する構図は、それがどんなに真実であってもあまり感心しない。それこそ無数にある話であり、普遍性が高いゆえに、どんなに個人の内面に迫ってもすべてはその構図に取込まれてしまうからだ。葛藤の末の決断に落ちをつける卓上のカットはあまりにえげつない。
メガネを外したら美少女、実は心優しい不良少年、品行方正な正統派のイケメン。往年の少女漫画の王道はしかし役者陣のてらいのない熱演で気持ちよい。家々の並ぶ通りを自転車で通る風景に「指望」を思い出す。現在と過去の二部構造は同形式の作品群のヒットによる流行、および過去だからこそメタ的に正々堂々と少女漫画の世界を描けたのかもしれないが、現在との接点を持たせるだけの処理ならば惜しい。映像表現における限り過去パートだけでも十分に成立したのではないかと思う。
恐怖には二種類あって、一つはかつてどこかで見たり聞いたりした怖いことがこれから起こるのではないかと予感する経験に基づいたもの。もう一つは全く予期せぬ事態が突然目の前で起こったり知らない何かに襲われたりする未知に対するもの。「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」のフォーマットは、現時点ではある程度誰もに知られており、カメラを持って森に入った若者はひどい目に遭うに決まっている。続篇として保証された恐怖はともかく、一作目がもたらした後者はない。
レズビアンの難病ものかといってこの面白い映画をくれぐれも敬遠なさらないよう。性的少数者の権利という社会的テーマをきっちり押さえながら、警察もの、裁判劇、恋愛ものとジャンルを横断するドラマチックなエンターテインメントになっている。LGBTの活動家でもあるナイスワイナーの脚本、P・ソレットの的確な演出はアメリカ映画の作り手の層の厚さを感じさせる。「アリスのままで」をしのぐジュリアン・ムーアの熱演と制作にも名を連ねるエレン・ペイジの個性が見ものだ。
「マイルス・デイヴィス 空白の5年間」は同じように麻薬に溺れた天才の錯乱と狂気が描かれているが、作意不明の珍作で、マイルス・ファンの私は正視に耐えなかった。それに比べれば、本作はチェット・ベイカーの人生の一時期がキチンと描かれている。とは言え、恋人の献身で更生に努めるという昔ながらのメロドラマには新鮮味がない。ポール・ボウルズやウィリアム・バロウズが映画になる昨今だ、ジャンキーでもいいからもう少しヒップで格好いいジャズメンを描いて欲しい。
純真だがドジで間抜けな女子高生とイケメンでスポーツ万能の秀才と札付きの不良少年のドラマがテンポのいい会話で展開される。まるで昔の大映テレビの連続もの(背後に増村保造がいたらしい)みたいだが、90年代の高校生の日常が丁寧に描かれていて面白く見せる。いずれにせよ、TVドラマ、少女漫画的な軽さが身上だ。主人公たちの気持ちが観客には判っているのに延々繰り返し盛り上げるのはちとくどいし、長すぎる。アンディ・ラウが本人役で現われるラストは洒落ている。
「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」は、ロスト・フッテージ、疑似ドキュメント、低予算を逆手に取った撮影法など斬新で面白かったが、以後類似の作品が次々と現われるに至り新鮮味は失せた。正統続篇と称する本作はGPSやドローンなどを使い前作を越えようという幾つかの狙いも判るが、基本的には前作をなぞったもので、正統続篇ならではの独創的な新しいアイディアがない。手持ちカメラの揺れ動く映像、驚愕を煽る大音響の音楽効果は1時間半とはいえいささか疲れた。