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ごめん。プロレスにまったく無知な私ったら、タイトルにある〝DDT〟を、かつて盛んに出回った殺虫剤の〝DDT〟と早トチリ、そうか、他のプロレス団体を駆除するぞ、という意気込みか、とカンシンしていたら、アララ、〝ドラマチック・ドリーム・チーム〟の略だったのね。ナルホド、このドキュメンタリーを観て、ややこしくも単純な熱い男たち一人ひとりの言動に、彼らなりの意地と信念が感じられ、全員を応援したくなったり。ところで〝文化系〟の文化って、エンタメのこと?
どこが〝疾風〟なんだが。そういえば冒頭、何者かが、雪山の裸の木の1本にクマのぬいぐるみを打ち付け、〝サア、ゲームの始まりだ〟と薄笑いを浮かべて呟いていたが、ゲームならそれなりのルールやルートがあるはず。がこの映画、それぞれの駒、いやキャラの役目からしてグズグズで、勝手に問題を起こし、あらぬ方向に走って……。ま、〝ロンド〟とは輪舞曲のこと。テンデンバラバラに踊るのもアリかもしれないが、緊急を要する事件があるのにこの脳天気ぶり、脚本も演出もサイアク!!
日活ロマンポルノが再起動することになっての記者会見で、行定監督は、脚本は何でも自由というので、自分では美しいと思うスカトロの話を書いたら、日活から拒否された、とボヤいていたが、大いに期待した本作の主人公が、妙に女にモテる映画監督だったのはいささかこそばゆい。しかも知的でクールなエリック・サティのピアノ曲に先導されてというのだから。主人公が映画を撮るのは久しぶりで、しかも撮影は中断中という設定だが、映画にも女にも受け身の主人公の軟弱さにイラッ。
ちょっと批評のことばもない。星一つはおマケです。どういう狙いがあってハリウッドで8年映画作りを学んだという実力未知数の新人監督を起用したのか不明だが、和服姿の松雪泰子が京都をウロウロする、その歩き方からしてブザマで、しかもその表情はミジメッたらしい八の字顔、古都も文化もヘッタクレもあったもんじゃない。川端原作の現代版? 古都つながりでパリに留学? とにかく場面はあっても絵ハガキ未満、終盤のパリの日本文化デモンストレーションは、悪夢か悪い冗談か。
十九世紀末ニーチェは超越的なものへの信仰の崩壊を指して「神は死んだ」というパンチラインをかまし、フーコーはこれをパクッて個の意志の無力を示して「人間は死んだ」と言ったが、本作はそこからの人間存在の復活を示すドキュメントだ。プロレスラーは商業化戯画化されているとはいえ英雄。英雄はパワポでプレゼンしないしエゴサもしない。する奴は、死んだも同然のただの人。だが本作の主人公たちはそこからヒーローになる。二十一世紀、人類を代表するのは文化系レスラーだ。
雪上場面が良い。スノボで豪快に滑走する大島優子の、グッと突き出されたたくましいお尻が、映像モード新時代のドアをドーンと押し開けようとした。ヌーヴェルヴァーグやアメリカンニューシネマは、それ以前の劇映画でNGと考えられたようなドキュメンタリー的映像を取り込むことで新モードを実現したが、現在ならウェアラブルカメラ映像などがそれに似たものをつくるか。ネヴェルダイン/テイラー「アドレナリン」やロン・ハワード「白鯨との闘い」を連想。本作全体はイマイチ。
先の十月に開催されてた荒木一郎特集上映、観てあらためて気づいたのはポルノにおける男優の大事さ。下半身に引きずりまわされケツを出して喘ぐカッコ悪さを通過したうえで何かを語り得れば、そいつはポルノがキマる男。ロマンポルノ過去作を思えば風間杜夫や北見敏之、坂本長利、高橋明、粟津號……ら(そのほかにも何人も)の独特のキャラクターを思い出すが、板尾氏はもうその域。過去作が予告してた監督行定勲はポルノがイケそう説も証明された。だが、新しさ、発見はあったか?
川端康成『古都』は過去に岩下志麻版、山口百恵版があるが、本作は単に再映画化ではない、いま流行の新味を加えた改変をアピールしたいリブート版。変えたところ付け加えたところに摑まれるものがある「古都 怒りのデスロード」。生活格差が生じた双子という従来の設定に、さらにその娘たちは、と線を延ばしたところが現代。そこでの自立や人生の開拓がおこなわれる。松雪泰子二役、蒼あんな蒼れいな姉妹、橋本愛、成海璃子と、落ち着いた系の美人が満載でそれだけでも観られる。
古今東西、「プロレスはどこまで真剣勝負なのか?」という問答があるように、ドキュメンタリーなるものにも同様の曖昧さがある。本作でも確信犯的に「境界線が曖昧である」という要素を持たせているのが松江哲明流。つまり「プロレスなのにドキュメンタリーである」という点において我々を翻弄するのである。何よりも、ドキュメンタリー、いや、モキュメンタリー、いや、〝真剣勝負〟を盾にその精神を受け継ぎ、日本で〝俺たち〟シリーズが(勝手に)生まれたことの歓びもまた格別。
〈安楽椅子探偵〉モノは映画化にあまり向いていないと言われている。それは、事件を解決すべき主人公が何らかの理由で動けない状態にあるからだ。そういう意味で、本作の主人公は〈安楽椅子探偵〉なのである。しかし緊張感の緩急が生み出す笑いや、雪上のアクションを畳み掛けることによって、主人公がその場に留まっていることに違和感を持たせない工夫が成されている。フォーカスやアイリスの問題を解消させたGoProによる撮影が思いのほか高画質で、ゲレンデに向いている点も出色。
『ロマンポルノリブートプロジェクト』は即ち、各々の監督による〈ロマンポルノ大喜利〉なので「作品個々の評価よりもプロジェクト5作品内で相対的に評価すべき」というのが個人的見解。長回しが多用される本作では〝フィックスの引き画〟でも手持ちの撮影が行われている。そして、人が動き出すとカメラも動き出すというパターンを繰り返す。まるで「心の揺れ」=「カメラの揺れ」のように。物語は月曜日から土曜日までが描かれるが、これを某路線の6駅に置き換えてみるのも一興。
本作は西陣織の世界を描いているが、これは〈映画〉そのもののことを描いているようでもある。後継者を失い、技術が廃れ、次世代に引き継げないという現状。この映画は、その〝伝統〟のあり方を川端康成の『古都』に倣いながら、かつて栄華を誇った撮影所のある街・京都を舞台にしている。それは単なる偶然ではない。映画の始まりと終わりを飾る、着物の縦糸と横糸。それはまるで、京都の街を象る碁盤の目のようではないか。そして、唐突に思えるパリの風景に共通項を見出すのである。